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カタカナ語、多用する側の問題か、受け取り手の勉強不足がいけないのか。

こんにちは、ぶーんです。

最近、とても気になっていることについて書きます。

ずばり、
「カタカナ語は、多用する(乱用する?)側の問題か、受け取る側の勉強不足の問題か」

社会人になってから、身の回りの言葉がカタカナ語であふれるようになってきました。
(業界によって大きく異なるかもしれませんが。。)

カタカナ語が気になるとはっきり自覚したのは、大学生のとき。

とあるライングループで、ある人が「○○しなきゃね」って発言しました(○○:カタカナ語)。

エビデンスとか、よく聞く言葉なら意味が気にならなかったと思います。
でも私も周りも含めて、パッと聞いただけではわからない単語でした。
(その時は検索してこういうことを言っているのかというのを理解しました。その言葉、当時大学生の私には馴染みない言葉でしたが、業界頻出のビジネス用語みたいなまとめサイトに出ていました。知っている人は知っている言葉みたいです。)

多くの人は???となっていたのですが、そのうちの一人が「○○ってなんですか?」ってストレートに聞いてくれて、あっぱれ!!!って心の中で拍手しました。
(わからないなら聞けよみたいな突っ込みはご容赦ください。。調べて満足しちゃいました。。)

それからというもの、よくわからないカタカナ語に出会うたびに、その出来事を思い出します。

そして、つい先日。
ある方(会社の人)との会話の際、これまたすぐにわからない言葉を含んで質問を受けました。
ビジネス用語でも何でもなく、ただ単に英単語でした。

ふんわりと意味はわかるから、こういうことを問われているのかな?とは思うものの、なんとなくで答えるのは不安でした。
正直に聞いたら私の英語の勉強不足が完全に露呈するなあと思いつつ、変な返答で誤解を生みたくないっ!と思い、聞き返しました。
聞いたことで、わかりやすく言いなおしてもらえて、なんとか答えることができました。

そのときにふと思ったのです。

カタカナで一言でまとめるのは楽かもしれないけど、それで本当に良いのだろうか?
外国の方がいるような会議であれば、英語で進めるのはわかります(当たり前か)。
そうじゃない場合は、なるべくわかりやすい言葉選びも大事なのではないか?と。

「カタカナ語をひたすら使いまくる人が悪いのか、受け取る側の勉強不足が悪いのか。」

はっきりとどちらが正しい/正しくない、良い/悪いは判断できないことではありますが、お互い寄り添うことができたら、認識の違いが最小限になると思うので良いなと思います。

「あうんの呼吸」って言葉もあるので、なんとなく伝わるだろで物事を進めがちですが、それで伝わっていない・間違って伝わっていることは多いよなと思う今日この頃です。

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