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文の文 1

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文というハンドルネーム、さわむら蛍というペンネームで書いていた作文をブラッシュアップしてまとめています。
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#べっぴんさん

ざつぼくりん 41「よわむし1」

ざつぼくりん 41「よわむし1」

ああ、思い出すさ。時ちゃんとこのふたごが生まれたのはさ、四年前のよく晴れた、そりゃあ気持ちのいい秋の日だったよ。俺もこんなに寝込まなくて、まだまだ元気だったころのことさ。どっかの学校で運動会をやっててさ、朝からポンポン、景気のいい花火の音が聞こえてた。庭に出てみると、空が青くて、深くて、眺めてるうちに、おぼれちまいそうだったさ。

ほんとは早く生まれちゃ困るんだけど、早くふたごにあいてえなあって、

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ざつぼくりん 40「べっぴんさんⅥ」

ざつぼくりん 40「べっぴんさんⅥ」

翌日、目が覚めるとカーテンから朝の明るい日差しが洩れていた。

「今日、おとうさんが迎えにくるね。だいじょうぶかい? 華ちゃん」

「うーん。だいじょうぶだと思うけど……わかんない……けど、自分応援団でがんばる」

「そうかあ、華ちゃんはほんとにがんばりやさんだね。……でも絶対無理しちゃだめだよ」

「……時生さん、わたし、やっぱり、みんなにちゃんとさよなら言って帰りたい……」

「あのね、絹子は

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ざつぼくりん 39「べっぴんさんⅤ」

ざつぼくりん 39「べっぴんさんⅤ」

その時の僕がよほど不機嫌そうな顔をしていたのか、風呂上りの華子がバスタオルで髪の毛を拭く手を止めて不安そうな顔で、僕を見上げて言った。

「時生さん、どうしたの? なに怒ってるの?」
「うん? 怒ってなんかないよ」

「だって怒ってる顔だもん。ねえ、さっきの電話、うちからだったの? うちのおかあさんが何か気に障ること言ったの?」

僕はバスタオルの上から華子のくるくる回って察しのいい頭を撫でて、首

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ざつぼくりん 38「べっぴんさんⅣ」

ざつぼくりん 38「べっぴんさんⅣ」

「伯母ちゃんから聞いたんやけど、義姉ちゃん、入院したんやて? 予定日はまだやろ? 具合悪いのんか?」

明生からの電話だった。昨日の夕方のことだ。十歳で京都に移り住んだ弟は会話のほとんどが京都弁だが、僕はそんなにうまく話せない。それでもゆったりとした明生の声を聞くと懐かしくて、なんだかほっとする。

「いや、具合が悪いっていうんじゃなくて、ふたごを少しでも長くお腹にいさせるために入院したんだ。どう

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ざつぼくりん 37「べっぴんさんⅢ」

ざつぼくりん 37「べっぴんさんⅢ」

郵便局の角を回って路地に入る。路地の真ん中当たりの小さな平屋建ての家の傍らに梅の木が伸びている。それほど大きな木ではないが、早春には白い花を開き、その香りとともに、その路地を通って駅へ向かう勤め人たちをひととき和ませてくれる。

その幹につっかえ棒がしてある。この前の台風のときに手当てしたらしい。つっかえ棒の先に分厚い板が当てて括りつけてあるのだが、板と幹のあいだに一枚白い布が挟んである。梅への心

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ざつぼくりん 36「べっぴんさんⅡ」

ざつぼくりん 36「べっぴんさんⅡ」

窓の外の風景はもはや色を失い、夜に溶けている。今、絹子は傍らのベッドで横向きになって眠っている。その顔は少し青白く見える。

「なんだか眠り姫になったようにいくらでも眠れるの。こまっちゃう。ねえ、王子さま、わすれずに起こしにきてくださいましね」

などと絹子が言うのは多少貧血があるせいらしい。苦手なレバーやプルーンをがんばって食べてきたが、やはり負担が大きいのだと思い知る。ふつうならたったひとりの

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ざつぼくりん 35「べっぴんさんⅠ」

ざつぼくりん 35「べっぴんさんⅠ」

海辺のちいさなこの町に、秋雨がしずかに降りはじめる頃、華子は僕と絹子の部屋にやってきた。そして、一カ月あまりたった秋晴れの今日、世田谷の九品仏の自分の家に帰っていった。来たときと同じように父親である紘一郎に連れられて帰っていった。

手を繋いで部屋を出るふたりを見送った僕は、今、病院にいて、地上はるか十一階の高みにある産科病棟の病室から、気ぜわしく色を落としていく薄暮の空を眺めている。

この大学

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