見出し画像

書店パトロール48  僕はカレーにする

久方ぶりの書店パトロール。今日はどんな本があるのかな。と言いながら、そういえば、全然話は変わるのだが、このGWに、京都の岡崎、あの、『光る君へ』でお馴染みの、平安神宮にほど近い、みやこメッセで開催された、春の大古書即売に訪った。
訪ったのだが、然し、欲しい本があまりない。つうか全部たけーよ!と悪態をつきながら、会場を回る。皆、本を手にして真剣に物色している。
祭りである。然し、古書は貴重なもの、稀覯本、掘り出し物など無論あるが、町の本屋にだって、新書とはいえ良い本はたくさんあるのだから、そこにももっと今くらいの熱意で回れよ!と何故か腹が立ったのだ。
そういえば、今度、6/21から、藤井大丸の地下でも古書展が開かれるのだという。全くもって、藤井大丸の客層とだいぶ違う気もするが、これも行かねばなるまい。

さて、で、新刊書店を回る。まずは動物の本に目が行く。

うぉー。分厚いなぁ。700ページくらいあるぞ。それでこの価格ならオトクじゃないかしら?そんな風に思いながらパラパラと。動物の本は好きだ。
動物の本を読んでいると賢くなる気がする。そして、バスなどで読む際に、あえてカバーを見せびらかす。そう、私が賢い人間だということを識らしめるためだ。
然し、意外、というか当然、人は誰も人のことなど見ていないのだ。

そんな私に優しい目線を投げかける生命体が。

クジラは歌を歌うのだという。ソング、である。
そういう話を書いていた、津原泰水の美しい恋愛小説がある。『赤い竪琴』だ。

私は、この小説が好きで、まぁ、この小説は、楽器職人のおっさんと、グラフィックデザイナーの女性との、大人のラブストーリーであるが、まぁ、難病ネタはぶち込んでくる。
序文で、永久少女たちへー、とあるように、これはハート・イズ・ロンリー・ガールの、純な心を持ち続けている女性たちに贈られているのだ。
まさに、これこそ、昨年の珍作である、『耳をすませば』実写版の正当な姿なのである。なにせ楽器職人だ。聖司だ。天沢だ。このおっさんの祖父が夭逝の詩人である寒川玄児という男で、その日記、詩人の日記ーが、物語のキーになる。ランボー(スタローンではなく)のような男なのだ。
まぁ、美しい小説だ。

さて、次に気になったのは映画本。ファッション関係だ。

やはり、映画は衣装、なのである。素人はよく、映画は脚本だよーという、うんこみたいな意見を言う。脚本が良くても映画は70点止まりだ。少しレベルが上がると、映画は監督だよー、という、まぁ、うんこみたいな意見を言う。じゃあ役者なのか?役者などいなくても良いのだ、究極は。
映画は照明こそがその品格を作り上げ、一番重要なのは、そこに時間を介在させることが出来るかどうか、なのである。
然し、それよりも重要なのは衣装だ。衣装が映画なのだ。華美な衣装に捕らわれるお客さんは多いが、衣装とは縁の下の力持ち。実は人は、衣装に心惹かれていることが多いのである。

と、まぁ、意味不明なことを言うのが私の映画理論であるが、最早、物語などはよほど面白くないと意味がないのである。重要なのは、驚き、照明、衣装、そこから醸し出される郷愁に加えて匂いと詩情。

と、言いながら、役者がいないと衣装も意味ないじゃんかよー、と脳内で谺する。うーん、マンダム。

で、続いては任侠映画の本である。高倉健と鶴田浩二。

大著である。然し、実は私は高倉健さんの、つい、さん付けをしてしまう、高倉健さんの良いファンではないし、鶴田浩二も詳しくない。然し、こういう評伝を見ると、何故か、買ったほうがいいかなぁ、どうしようかなぁ、と悩むのである。然し止めておこう。

と、そんな私の前に、塚本邦雄である。塚本邦雄、といえば、短歌会などで、ダブルのスーツに蝶ネクタイ、そしてポマードべったりつけての貫禄ある姿で歌人たちを従えていたそうだが、そんなとき、食事の際に、メニューを見て、じっと考え込む、その姿に、鵞鳥のスープでも頼むのかと思いきや、「僕はカレーにする。」と言い放った、あのエピソードが好きだ。
まるで、「俺はガンダムで行く」、ばりの、なんとも可愛いギャップ。
さて、そんな塚本邦雄の昨年出た、『ことば遊び悦覧記』。

どれどれ、どんな言葉が遊びが……、う、うわぁーってなもんで即本を閉じたね。何たる難しさ、クラクラと目眩がしそうだ。しかもこの本、サイン入り。どうやら、塚本邦雄が生前書いたというサインが大量に(数千枚)みつかり、それを全て差し込んでいるのだ。なので、塚本邦雄のサイン本は大量に現代の本屋に並んでいる状況である。

然し、やはり、こういう言葉の魔術師が、僕はカレーにする。このギャップがいいのである。そう、僕はカレーにする。明日はカレーを食べよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?