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原田マハの『異邦人』を読んで怒りが頂点に達してしまった

原田マハの『異邦人』を読む。
カミュではない。
ドラマにもなっているようだ。キャストを見る前に読み終えてよかった。正直、俳優の顔が頭に入るとすごく嫌なんだよね。


そもそも、今作は『いりびと』と読むのだが、今作を読んだ私の感想としては、『登場人物全員、死刑に処す』、というものであるが、まぁ、幼子は罪はないので、正確にはほぼ全員を死刑に処す、ということになる。


このマインドは大事。

ここからはネタバレも書く。

舞台は京都である。京都は私のMY HOME TOWNであり、日本の古都である。然し、私はこの本を読んで愕然とした。私の識る京都はそこに存在しておらず、言ってしまえば、アマン京都をビジネスホテルとして使用するくらいの感覚のセレブたちが、何やら、やれ京都画壇がどうの、やれモネの『睡蓮』がどうのと、聞き苦しい話をしながらも、その実、実は男どもは嫉妬とちんぽこの赴くままに動き女どもはマウンティングと見栄とワガママ三昧(正確には主要2名)という、暗黒大陸も真っ青の狂想曲エクストラヴァガンザが紡がれていたのだ……。

2011年3月の東日本大震災が起き、原発事故による放射能不安が蔓延る時から物語はスタートする。スタートはするのだが、こういう、その時々の問題を小説に書くのならば、せめて生涯のテーマにするべきであり、コロナ文学なんて今更黴が生えちゃってしょうがない感じになりつつあるわけで、時事ネタは後世の人間が面白がるだけである。コロナを書くのならば、永久にコロナや疫病と文学を通して闘う必要性があるが、他人が興味を持たないネタなんて、私書かないもーん、だって、誰も読んでくれないもの!ねぇ、あなただって読まないでしょ!?みーんなが話題にしている小説がいいに決まってるわよねぇってな感じはいけないのである。
何か大問題が起きて、それをテーマに文章を書くのは、恐らくは熱病のようなものであり、冷めたときに寒々しい無責任だけが残るものだ。
この『異邦人』もまた、初めこそそれが機能しているが、後半、普通に震災や原発ネタは消えて、完全にただの装置であることを知る。何の装置かというと、主人公夫妻を京都と東京、その二つの都に引き剥がすためだけの装置である。

主人公の1人、たかむら一輝は銀座の老舗画廊の専務として働いている。親父が社長なので、まぁ、コネ入社の坊っちゃんである。
常に頼りない男であり、最後に激怒するが、蚊の一匹すら殺せない激怒である。
もう1人の主人公は妻の菜穂で、彼女は一輝の画廊の顧客である有吉不動産の社長の娘である。まぁ、社長令嬢である。
そして、どうやら念能力者のようで、彼女は美的センス(主に観賞用)が抜群に優れていて、父の会社の経営する個人美術館の副館長・学芸員を務めており(館長はママンの克子、この克子は獰猛なおばはんで相当のスキモノ)、資産を湯水の如く使って、自分が愛する美術品を買い蒐めている。

物語は、菜穂が妊娠し、然し原発事故もあったため、放射能から逃れるために京都に疎開しているところから始まるわけだ。

夫は東京で働き、妻は京都でダウナーで退屈な時を過ごす。然し、次第に妻は京都という街の持つ魅力、いや魔力に取り憑かれていき、ある日出逢った一枚の絵に心を奪われる。その絵を描いた白根樹という無名の画家、それにそれぞれの家族や、京都画壇の大家である画家や画商が翻弄される話である。

この『異邦人』を読んでいて、まず感じるのが、文章の川端康成っぽさだ。コピーと言ってもいいくらい、川端感が文章中から横溢している。そして、最後まで読むと、これは完全に川端の『古都』を下敷きにしている話だと理解できる。



著者本人もそう言っているし、文庫本の最後の解説でも言及している。ここからは『古都』のネタバレも書く(まぁ、もう半世紀以上前の作品にネタバレもないと思うが…)が、生き別れの姉妹の話(『古都』は双子で、『異邦人』は竿違いである)である。
完全にパクリ…とまではいかないが、オマージュ捧げ過ぎである。そもそも、川端康成もまた、美術大好き人間だった……。
川端康成は借金してでも美術品を購入していた。3000万円の絵を借金して購入して、にっこり顔なのだから、美に取り憑かれていたのだろう。いや、正確には収集欲だろうか。
東山魁夷や古賀春江など、様々な画家とも親交が深い。絵のコレクションも山程あるし、書や茶器、花器や仏像、埴輪、彫刻など、抽象から具象まで愛していた。
つまりは、京都、美術、とくれば、基本的には文学では川端康成か谷崎潤一郎が相当するのだろう。

今作は恐ろしいほどに男性が無能で下衆に描かれており、女性はどちらかというと贔屓目によく描かれているように思われる。男でまともな奴は1人もいない。ついでに、若い男性もいない。一番若いのは一輝で、それでも30半ばだろうか。基本的には中年から壮年の人々が欲望を剥き出しにして闘うのである。

女性では一人、克子だけでが糞女として描かれており、まぁ、とんでもない過ちを犯して剰えそれを娘に伝えるわけで、度し難い人物ではある。

私個人の感想としては、初めに描いたように、全員死刑に処されるべきだと思うが、姦通罪、殺人、強請、など、様々な事件の渋滞で最早噎せ返りそうな本作の中でも、一番のバカ女はヒロインの菜穂である。
作中で、画廊も不動産も、どちらも経営が難になろうとも、菜穂は完全に我関せずであり、美がどうのとか、バカなことを言っている。それなりに歳を重ねているのに、完全に大学生くらいの感覚である。
文庫本の帯に、「美しさは、これほどまでに人を狂わすのか」と描かれているが、冷静に俯瞰してみると、狂っているのは菜穂だけであり(画家の志村照山は少し嫉妬に狂っているか)、そもそも完全に金銭感覚ガバガバなだけで、ブランドを買い漁る女と根は同じである。

ツェリードニヒみたいに女を攫って犯して解体するのを総合芸術と呼ぶくらいだと、狂っていると思う。

京都には明確に階層があるという。

このバカどもの棲む階層はタワマンでいうところの上層階なのだろうが、私は読んでいて、え?こんな人たちいるの?というくらい、浮世離れしている人達である。
彼らが会話に出す絵画もまた、ピカソ、マティス、ドガ、竹内栖鳳、上村松園、など、とてつもなく大衆的であり、面白みもない、完全に美術の教科書みたいなものばかりである。
これは、そういうセレブは、こういうブランド力のある名前だけが好きなんですよ〜、彼らの絵の本質はわかっていないんですよ〜、という皮肉なのだろうか、読んでいてもわからない。

そして、京都の風物が丹念に描かれるが、これもまた紋切りも紋切り型、完全に京都紹介小説であり、こんな美術とか、京都の文化を嗜むだけで満足している人なんて今日日いるの?と思えるほどに、彼らは他には無趣味である。
そのくせ、一輝はまさかの母娘丼を頂くという、ツェリードニヒも真っ青の変態チンポ野郎として開眼し、破滅へとひた走りだすのだが……。

京都弁も、私は記憶が定かでない頃から京都に住んでいても、聞いたことのない言葉ばかりである。まぁ、タワマンの上にいる連中、所謂天竜人たちなんで、違う文化、言葉が彼らの共通言語なのだろう。
私は、読んでいてネットでも話題になった、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の「パン美味しいねん」を思い出さずにはおれなかった。

とにかく、今作を読むのであれば、普通に『古都』を再読した方がいいな、と思う。『古都』は、川端康成が睡眠薬中毒になって、朦朧としながら書き上げた作品で、淡雪のような作品である。一種の、白昼夢小説とも言える。
新聞小説で、長い作品だが、ひらがなが多用されている文章は美しい。
とくに、姉妹が北山杉の下で雷と大雨から避難して、抱きしめ合い、かつて、母親の中で、こうしてくっついていたんだろうねと、安心を感じるシーンは大変に美しい叙情に満ちている。
ラストも、はらはらと雪が舞う中、一夜限り泊めてもらった家を夜中に抜け出して、姉妹が別れを告げる薄暗い明け方のシーンも、大変に心に残る。

『異邦人』は出てくる人間が極めて陳腐な価値観を持つ連中であり、彼らはまさに死刑に処しても構わないだろう。
菜穂は、異様に育ての母に反発するわけだが、彼女は最後に娘を産む。一輝とは離別して。
全てを棄てて、娘を産んで、それがどうなるのかわからないが、彼女のわがまま気質は、果たして生まれてくる子どもにも受け継がれるのだろうか、とにかく、娘もまた数奇な運命のドアを開ける羽目になりそうである。

とにかく、一事が万事この菜穂の金遣いが荒く、一輝も基本グリーン車に乗って京都東京間を移動するのだが、それを途中で社長である親父に「うちも経営が危ないんだヨ!俺も車通勤やめる!運転手も解雇したヨ!満員電車やばくない?」という説教で、諦めざる負えなくなるシーンはギャグかと思ったね。

けれども、まぁこのお話も、ある種白昼夢小説である。一輝は、京都という魔都に飲み込まれて、白昼夢を彷徨うのである。
まぁ、それもまた京都幻想に過ぎない。

みんな、こんな『くれないものがたり』みたいな、京都幻想に憧れているのである。


ここは妖かし、とうに滅びた都のまぼろし  名コピーすぎて腰砕け。


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