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書店パトロール16 好きな本を5冊聞けばその人の念の系統がわかる

書店に行くと、まずは文学、映画、芸術、が私のメイン担当なのだが、たまには軽い本を読みたくなる。どうせ買っても読まないのに。買うので満足しちゃうんだよね。読まないのにさ、なんか、バカみたい。
だって、新刊書店って推しの本が売ってないもの。そりゃあ刷りたての本のインクの匂いは大好き。クンカクンカ、ってそりゃあハム太郎にもなるってものよ、とっとこ。

さて、本というのは選ぶことそのものが面白いのかもしれないなぁ。と、思いつつ、新刊コーナーに置かれた『横浜コインランドリー』という本に目をつける。

パラパラとめくる。ああ、一服の清涼剤。師走とか、夏休みとか、どこか遠出する時に読むのはこういう本がいい。重たい本は身体を重くし、旅を重くしてしまう。旅に連れていくのは軽い本がいい。いつだってそうだ。だって、旅が終わればもうさよならだもの、大抵は。一度きりの逢瀬みたいなものでさ、たまに思い出すくらいがちょうどいい。ああ、顔は覚えてるけど、名前は何だっけ、ってなもんよ。

それから、万城目学の新刊(文庫化)が目につく。


万城目学、最近は全然読んでいない。しかもまた文庫の上下で分厚いこと。
これは旅には連れて行くことは出来ない。旅の最中、これを読み切ることは不可能だ。これは通勤通学用の本である。

世の中には、通勤通学専用本、というものがあり、万城目学の作品はそれに該当する。
まぁ、エンタメ小説の大枠はそうである。これらは学校や会社の休み時間にも重宝される。ちょいちょい読む。そう、朝の連続テレビ小説のように、10ページくらい読んだら、ああ、また続きが気になるなぁっと本を閉じる。気付くと読み終えている。そんな本である。

あんまり重かったり、脳天を貫くような衝撃を与えない、普通に面白い!というのが如何に難しいことか。通勤通学専用本はそれらを満たしていたり、満たしていていなかったり。

そして続いて発見したのは出久根達郎の『出久根達郎の古本屋小説集』。


私は古書が好きである。正確に言うと、敬愛作家や自分の興味を抱いた分野の古書が好きであって、古書ならなんでもいいわけではない。
古書ならなんでもいい、という人もいる。それはまぁ、人の好き好きなので、その人が楽しめれば良い。

人生楽しんだもの勝ち、価値観は人それぞれ、享楽主義と事なかれ主義が合併した結果、人間のごみが出来上がる。
『人それぞれが信条』の人間は大抵は我がウルトラハードに設定されているので要注意だ。

で、この古書を題材にした小説、欲しいが1,000円以上する!た、高い!高すぎる〜ってなもんで、後ろ髪引かれつつ返却。
結局、本って本当に欲しい作品あらば、10,000円だろうが100,000円だろうが、1億だろうが、1兆円だろうが惜しまない、ってなもんで、いらない本は100円でも10円でもいらないもんなー。ここで無意識にそれに費やする時間と比較したりしているのかもしれないな。或いは、ビジョンアイによって読まない自分が視えていたり……。

スヴェンって今見たらまだ小僧だな。ブラックキャットは意外に好きなんでね。

それから、『ジュリアン・バトラー 真実の生涯』の文庫本を発見。

ジュリアン・バトラーは同性愛文学の魁、いや先駆け(魁だとクロマティ高校だよね)である『ネオサテュリコン』を書いたと言われる作家で、まぁ、そういう設定の架空の作家であり、この本はフェイク小説である。
なので、そんな作家はいないわけだが、虚実を匠に織り交ぜてその実像を炙り出す、という体裁の作品とのこと。私は読んでいないので、ぜひ読んでみたいが、これまた高いよ……。

それから、雑誌でBRUTUSのゲーム特集を発見。天野喜孝の絵に惹かれて。
よく、天野喜孝の絵はグスタフ・クリムトのパクリ、という意見を目にするが、私はどっちも好きだ!そして、天野喜孝には幼少期から幻想、というか、ふぁんたじいなるものの美学を教えてもらっているから、クリムトよりも好きよ。

やはり、FFといえば、天野喜孝であり、野村哲也であり、この二人は重要だ。無論、吉田明彦なども好きだが、なんだかんだ、Ⅸの天野喜孝の絵は最高だったよ。
で、中は色々な著名人のゲームへの接し方とかインタビューとか。その中に、ライムスター宇多丸氏のインタビューを発見。これは欲しいなぁと思いながらも、我慢した。と、いうのも、最近金欠気味で、明日は『ブルーピリオド』の新刊も出るので、私には840円は大金だったのだ。

今欲しい本で、20,000円を超える本がある。それはまぁ、今は無理だが何れは手に入れたいが、物欲ってしばらくすると消えちゃうからなー。消えるまでガマンガマン、かな。





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