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サファイアが一番好き 私の人形愛

人形、と、いうものに、非常に興味がある私である。
そんな私のもとに、一通のメルマガが届く。

この秋に、大阪のフェニーチェ堺において、チェコの人形劇の上演がある、というのだ。チェコ、それは、人形劇のメッカ。調べてみると、なんと、ロームシアター京都でも上演されるようで、うーん、観たいなぁ、という思いが募る。

チョコの人形劇、ということで、私は一つの小説を思い出していた。

私の好きな小説家の津原泰水が書いた作品に、『たまさか人形堂物語』という小説がある。連作小説で、たまさか人形堂という祖母の人形店を継いだ女性主人公の澪さん(ドラマの主人公になりそうなテンプレートな性格をしている)と、そこで働くことになる50代〜60代の師村さんという寡黙だが穏やかな人形職人、そして冨永君という、これは10代後半から20代前半くらいだと思うが、まぁ、イケメンで才能のある、そして毒舌でもある若手の人形職人、このトリオの物語である。

津原泰水の作品の中では、比較的一般受けしやすい作品で、チャプターごとに様々な人形にまつわる物語が紡がれる。美文ではあるが、読みやすく、飲み下しやすい文体だ。

ぬいぐるみ、リカちゃん人形、ソフビ人形、ビスクドール、球体関節人形、文楽人形、ラブドールなど、人形の様々についての物語があって、お雛様で有名な新潟の村上市を舞台にした話があったり(村上は鮭も有名だ)、安珍清姫の文楽人形の話があったり、そこは津原泰水、モティーフもいいし、幻想性を常に纏っている。

この中に、熟練の人形職人の師村さん(作中では、シムさんと呼ばれている)が、若かりし頃にチェコで観た人形劇の話を一人称で語る話があるのだが、ここでは、チェコの老齢の天才人形師が、彼の弟子たちに最終試験として人形劇をさせる。他の記事でも書いたが、その話を読むと、いつも映画、『ふたりのベロニカ』を思い出してしまう。

この話は、まぁ、読んでみて欲しいのだが、人形使いというものの幻想性と存在学、マトリョーシカのごとく、どこまでが人形で、どこからが人形師かわからない、そのような奇術めいた姿を小説に描いている。
人形使いが操る人形がそれよりも小さな人形を操り、更にその人形がより小さな人形を操る……。そもそも、人形使い自体、人間なのだろうか。この人形使いも人形ではないだろうか。いや、そもそも、人間自体、人形ではないのか……。

人形、というのは、私のウルトラに愛する『ブレードランナー』のレプリカントたち、ロイ・バッティや、『ブレードランナー2049』のKも、人形である。然し、その作られた、人間と寸分違わぬ、ただ、作られた人間が人形であるのならば、人間も人形ではないのか。そもそも、人とは何か。と、いう話になるのだが、まぁ、これは古代からの命題であり、人形と人間を比べること、重ねることは、ある種、正しいことなのである。

私の好きな俳優は、マーロン・ブランド、そしてルトガー・ハウアーである。

どうでもいいが、人形、と、いえば、谷崎潤一郎の『蓼喰ふ虫』、これは43歳頃の作品で、この作品辺りから、本格的な古典回帰時代が始まる。

『蓼喰ふ虫』の主人公である要には、『陰翳礼讃』に連なるように、日本の伝統美について傾倒していく様が見える。今作では、人形浄瑠璃が重要なモティーフとして登場し、人形、というものと女人の美しさが重ね合わされる。

ふと、要は床脇の方の暗い隅にほのじろく浮かんでいるお久の顔を見たように覚えた。が、はっとしたのは一瞬間で、それは老人の淡路土産の、小紋の黒餅こくもちの小袖を着た女形おやまの人形が飾ってあったのである。
涼しい風が吹き込むのと一緒にその時夕立がやって来た。早くも草葉の上をたたく大粒の雨の音が聞える。要は首を上げて奥深い庭の木の間を視つめた。いつしか逃げ込んで来た青蛙が一匹、頻にゆらぐ蚊帳の中途に飛びついたまま光った腹を行燈の灯に照らされている。
「いよいよ降って来ましたなあ」
襖が明いて、五六冊の和本を抱えた人の、人形ならぬほのじろい顔が萌黄の闇の彼方あなたに据わった。

谷崎潤一郎 『蓼喰ふ虫』

私は、今作を読んで、はっ!そういえば、私はまだ、文楽、というものを観劇していない……。と、そう思い、これはもう、淡路浄瑠璃は一度は観に行かねばならないと早速調べて、然し、なんか、日帰りは大変そうだなぁ……と、すぐにその決意を放擲ほうてきした出不精の私である。
なんだか、『蓼喰ふ虫』に出てくる淡路で浄瑠璃を観劇に行くシーンの描写が幻想的でぽかぽかと、眠たくなるような柔らかさを持っており、そんな経験を、私もしたいと思ったのだが……。

まぁ、谷崎、と、言えば、船場、であり、文楽、と、言えば、大阪なのである。

私は人形劇が好きだ。例えば、NHKでも放映されていた『平家物語』や『三國志』は大好きだった。

どうでもいいが、以前、スーパードルフィーの、中原淳一デザインの高島屋限定モデルを持っていたことがある。とても、とても高価なお人形だ。

スーパードルフィー、と、いえば、私の住んでいる京都市の西方、太秦を超えて嵐山に近づく辺りに、『天使の里』なる施設があり、これは、どうやら、このスーパードルフィーとオーナーが楽しめる、そのような美術館のようで、一度入ってみたいものである。どのような遊びが行われているのかは私は識らないし、もうオーナーでもないので、ここに入る資格はないのだ。

スーパードルフィーはやはり、『ベルサイユのばら』や『リボンの騎士』がすごくすごくいい。


さて、で、津原泰水の話に戻ると、津原泰水は四谷シモンとも親交が深かったため、私の大好きな小説『バレエ・メカニック』においても、表紙はシモンドールだ。

シモンドールはめちゃくちゃ高い。それに比べれば、スーパードルフィーなど赤子のようなものだ。何百万円もするが、その姿形自体が詩であることは間違いない。私には到底手が出ない代物だ。なので、四谷シモンの本を読んで、寂しさを紛らわせるばかりである。
四谷シモンの人形は、私は生では観たことがない。で、香川県には、四谷シモンの人形が置かれた人形館がある。ぜひとも行きたいところだが、出不精な私である。

遠く、静かに佇む人形に思いを馳せ、今日も日々の金勘定に精を出す。


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