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新世界映画

正月早々、阪本順治監督の『ビリケン』を観る。

私はこの映画は、1回目は大阪の映画館で観たのだが、確か、2011年とか12年くらい、原田芳雄の遺作の同監督の『大鹿村騒動記』公開に近い頃だったような記憶がある。

ちょうど、阪本順治監督のトークショー付き上映があったのだ。シネ・ヌーヴォーだったかな。原田芳雄好きで、阪本順治監督の『どついたるねん』のファンだったので、それで観たのだが、阪本監督は当時、序盤の杉本哲太さんが通天閣の天辺で腕を組んで立つシーン、この空撮時に、怖がる杉本さんに「哲太、立って!」というフレーズを言ったことを、繰り返し語っていた。この空撮は、今ならばドローンで撮影するだろうか、街中だから許可とか大変そうであるが、恐ろしいシーンで、杉本さんの役者魂を見る思いである。

まぁ、映画自体は私はそんなに好きではないが、1990年代の映画の空気感が堪らなく好きで、この映画は1996年くらいの映画だけれども、「今度、ユニバーサルスタジオが出来る」などという台詞も時代を感じさせていい。

阪本順治監督は新世界映画をたくさん撮っていて、『どついたるねん』や『王手』もそうだが、全ての映画が上手く交通整理されていないような気がするのだが、然しパワーに溢れている。

通天閣映画といえば、これはロマンポルノであるが、『㊙色情めす市場』という、現代では完全に、見つけ次第射殺せよ命令が下されそうなタイトルではあるが、傑作映画もある。よみかたは、まるひしきじょうめすいちば、である。

ポルノ映画であるが、濡れ場そのものよりも、作劇や演出面に拘った素晴らしいアート映画である。
今作はモノクロ映画で、娼婦の母娘が主人公で、知的障害のある弟に女を教えてやるシーンなどが出てくるが、ここは哀しくも痛切なシーンであって、その決定的な濡れ場のあとに、画面は鮮烈な太陽の赤に彩られる。モノクロ画面からのカラー撮影への変貌である。ここから、禁忌を犯した姉弟の苦しみと哀しみの極地が描かれ、それでもなお、うちはこの世界で生きていくねん!なはは!的な急にあっけらかんな太い女性の魂を叩きつけられて映画は終わる。
これは、タイトルで忌避されること間違いなしであるが、観た人は忘れがたき作品として、心に刻印されること請け合いなので、未見の方はまぁ、観て欲しい。

そして、通天閣映画というか、私の人生のベスト10に食い込む作品として、『追悼のざわめき』というウルトラに傑作な映画がある。

1988年の映画であり、これもまたモノクロームの撮影が美しい作品である。
まぁ、一言で言えば、闇鍋映画であり、暗黒映画であり、哀しい作品であると同時に、大問題映画である。
汎ゆるタヴーがこれでもか!と詰め込まれており、ここでも兄に抱かれる妹が登場するなど、タヴーのフルスロットルであり、普段きちんとした筋立てがある映画しか観ない人にはまず勧められない作品であり、別に、観なくても人生に一切の支障はないが、観たほうが濃い人生になることは請け合いである。
まず、主人公からして連続女性暴行殺人魔であり、殺した女性の局部を切り取り、それを愛するマネキンに取り付けて、なんとか孕ませようとするのだが、ここまでで、既に最早よくわからない人が多数だとは思うが、そういう純愛もあるので、許して上げて欲しい、と思ったが普通に殺人者なのでやはり死刑に処されなければならないね。

人間は、こんなにも人形を愛することが出来るのだ!

まぁ、そういう主人公と、前述した小人症の兄妹、それからやたらに美しい兄妹(基本、喋らない)、それから木の股を犯す乞食など(ここらへんも、普通の人には理解できないあたりかもしれないが、『』が代わる代わる登場する、そういう作品である。

この映画は大阪の釜ヶ崎で撮影されているが、その辺りの経緯は出演されている河添まみこさんの著書に詳しいが、基本的には撮影現場は意外と和気あいあいと、と思ったら普通に監督が暴君で辛かったと書かれているが、非常に面白い書物で、楽しく読ませて頂いた。


基本的にはどんな美しい映画も、どんなおぞましい映画も、どんな怖い映画も、全て後ろには人がいるので、そのカラクリというか、手品の種、というのは大変に面白いものである。
お化け屋敷も、裏側こそが面白いだろう。驚かす側は、様々な工夫と苦労で、客を楽しませようとする。

さて、映画、にハマる人間は、基本的には、作品→監督→裏方→その界隈のことなど、どんどん映画単体ではなく、マルチバースに興味が出てくる。それは原作や、影響を与えたものなどにも波及し、映画人生は豊かになっていくのだが、ハマらない人は、基本は物語と出演している役者、くらいで完結してしまうことが多いので、私とは話が合わない(無論、そうじゃない人もいるが、やはり人は識らない分野には熱を持って話せないものだ。それは私も同様で、私も興味のない分野、例えばビジュアル系のバンド界隈の話など、一切の興味がないため、申し訳がないが話せない)。

まぁ、話は脱線してしまったが、新世界、いや、通天閣が見下ろす世界を描いた映画には、何故かこう、心が揺り動かされてしまう。
『追悼のざわめき』においても、ラストは異界を見下ろすかのように、通天閣が重要なファクターとして立ち現れる。

そして、やはり高畑勲監督の『じゃりン子チエ/劇場版』だろう。

まぁ、リアリズム演出を積み重ねる高畑勲は日常系ドラマとの親和性が抜群に高いが、チエと母親のヨシ江とのシーンは大変に情緒があって、最後の電車シーンなんてホロリとさせられる。

然し、実際にはじゃりン子チエの舞台は現実には存在しない大阪の地名のため、新世界ではない。

けれども、新世界的な作品であり、これら全ての作品は、折に触れて観返すことが多いのである。


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