武甲山ものがたり

ふるさとの武甲山の歴史と語り。仲間たち(イネハポ)と歩んできた横瀬、秩父、武甲山の道を…

武甲山ものがたり

ふるさとの武甲山の歴史と語り。仲間たち(イネハポ)と歩んできた横瀬、秩父、武甲山の道を記録します。失われていく里の山を思い出と共に。また永遠であるために。ありがとう、武甲山。 ※歴史、語り、イラストなどなど、仲間たちと繰り広げる多様な視点からお伝えしていきますのでお楽しみに!

マガジン

  • 武甲山の歴史、民俗、郷土史

    武甲山の麓先祖代々古い家の生まれ。父から受け継いだ語りも交えて武甲山の歴史や横瀬の郷土史、伝説などを伝えていきます。(担当:なな)in東北

  • 武甲山とつぶやく

    武甲山の語り部会。自由に発信しまーす。 (担当:LEIKO in武蔵、あっちゃん in九州)

最近の記事

武甲山山頂遺跡の古銭と磐座信仰

広報よこぜ(昭和53年7月) ※埼玉県文化財保護審議会員の調査より。 武甲山山頂にある御嶽神社遺跡の周辺を調査した結果、 多くの古銭が見つかっている。 それだけ武甲山の御利益が各地に広まっていた証拠。 江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、 頂上は平たんで本社及び末社等羅列して往々にあり、と記録。 発破される前に山頂に、小さなお堂が見える。 山頂には、蔵王権現社、熊野権現社、 大通両権現の三つのおもな神社がありそれぞれに末社があった。 御嶽神社は、棟札に享保

    • 滝の枕と人魚沼

      「ここで人魚をみたんよ」 『よこぜ』という昭和45年頃の横瀬村教育委員会が作成した冊子を読んでいたら、父が子どもの頃の「赤穂木沼」を語りだした。 同級生と釣りにでかけたところ、同級生のお姉さんも沼にやってきて、水浴びしていた。 とてもきれいなお姉さんだったそうだが、水浴び中にふと見ると、人魚に変わったという。 スル~と水の中に入った時に、人間の姿ではなかったと。 「秩父物語」が生まれた滝の枕。 「そういう風に見えただけ」と、父は急に弱気になったが、 もう父から昔話を聞

      • 武甲山の犬神様

        武甲山が「犬神様」とよばれていたことを思い出す。 小学生の頃、白いセメントの山肌がいろんなモノにみえて、 猿や骸骨などいろいろな形にみえると楽しんでいた時がある。 その中でよく覚えているのは「犬神様」だった。 今は崩されているのでわからなくなっているが、 武甲山の東側に犬が登っている大きな姿がみえる、と噂になった。 かろうじてわかるその頃の写真をのせておく。 武甲山の犬神様を怒らせたら怪我をするから、 武甲山に登る時、必ず鳥居のところで一礼する、と言われたこともあった

        • 武甲山の語り部(3)

          移り変わる自然と発展する都会(2)のつづき 武甲山の語り部(2)|武甲山ものがたり (note.com) 18歳の時に都会に憧れた東京に住んでいたことがありました。 その頃は、見えない圧迫感と閉塞感のような気持ちがあり、 逃れたくて故郷を飛び出しましたが、気を失って2度倒れてしまうことがあり、秩父へ強制的に帰らされてました。 秩父に戻った23歳の時に、埼玉県の文化財保護審議員の小林茂先生と 出会うことになります。 この頃、横瀬町の資料館へ何度も足を運んでいたんですが、

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        • 武甲山の歴史、民俗、郷土史
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        記事

          武甲山の語り部(2)

          母なる森の命の水の物語語り:発破する前の武甲山山頂の調査をしていた高倉さん(あっちゃん) 私の生まれた所は影森です。 産湯は武甲山から引いているお水でした。 父は、セメントの労働者で、家族は社宅で暮らし、 今思えば幸せな子供時代でした。 会社の銭湯が社交場で武甲山というより 確か「原石山」と呼んでいました。 その一角が父親たちの現場で危険な場所でもあるから、 安全祈願をしてちゃんと山の神をお祀りしていました。 一日二回の発破で、その度に家のガラスがびりびりと震えて

          武甲山の語り部(2)

          武甲山の雨乞い岩

          ■武甲山の雨乞い岩の歌 ♪「武甲山の大前に 雨だんべえ龍王なあ 長の日照りにそのために 五穀の種子も尽きる故 武甲山の神々へ氏子が集まり御願ひ」♪ 雨乞い岩が生まれた背景には、ジジババ石や長者屋敷物語など、 飢饉により襲われた村の苦悩があった。 水について知るための2つの特徴は、 「信仰としての祈り」と「祈りの道具」である。 信仰としての秩父夜祭、祈りの道具としての雨乞い儀式。 古来、大地の治療法として水は音に共鳴すると考えられてきた。 それを知る術が、まだ、残されてい

          武甲山の雨乞い岩

          太古の記憶 秩父・武甲山のむかし

          秩父霊場の武甲山 秩父三山(三峰山、両神山、武甲山) 武甲山のことを「犬神さま」と呼んでいた。 山そのものをご神体としてみていた時代があり、 今はそのように呼ばないが、不自然に感じない山。 登山をする時は、鳥居の入り口で頭を下げてから 登らないとケガをすると言われていた。 この秩父が豊かになったおかげが、武甲山の良質な石灰にある。 東京に近いため、多くは都市発展のためにコンクリートの必要性を認識していた帝国大学(現:東京大学)の学者の提唱より、渋沢栄一が石灰産業に乗り

          太古の記憶 秩父・武甲山のむかし

          オポプの生川に誕生した畠山重忠の伝説

          子供の頃、武甲山の生川登山道を登りはじめたところに マス釣り場があり、父と兄とよく遊びにいっていた。 生川の源流は武甲山東峯にある小持山から流れ出る。 その隣の峰を大持山とよび、雨乞い岩と命名された大きな岩があり、 大小と兼ねる名前は、神話に登場する大国主、少名彦命からとの説がある。 父の代まで子供の頃は、生川の水を庭にある井戸から汲んで飲んでいたそうだ。 生川は、「うぶかわ」または、「おぼかわ」と呼び、 地元の人は「おぼっかわ」と発音するが、 どことなくアイヌ語に響き

          オポプの生川に誕生した畠山重忠の伝説

          武甲山の三尊石とイネハポのこと

          かれこれ十数年ほどの付き合いにもなろうか。 私たち3人で武甲山の活動をしよう!と意気込んでいた時。 考えてみれば、不思議な付きあいだ。 時代は、どんどんIT化し、 AIという人間を忘れるほどの進化を遂げようとしている 未来の入口に、埋もれた歴史を掘り起こすという化石な話。 イネハポという名前が命名した経緯を話そう。 お互いが秩父の生まれなのに、 「東北」「九州」と離れて暮らしている。 その2人の間をとりもつのが「武蔵」にいるというバランスの良さ。 以前にみた夢のこと

          武甲山の三尊石とイネハポのこと

          【歴史】横瀬七郷武甲の山が 俺が稲田を見てござる(古歌)

          江戸からみて秩父は西北にあたる。 秩父の霊峰、武甲山、三峰山、両神山は西北にそびえ、 徳川家康は、その方角が聖なる「要」であると捉えていた。 西武線に乗って横瀬町へ入ると大きな武甲山がそびえる。 東(東京)から帰省する時に見える武甲山はとかく目立つ。 トンネルを抜ければ、中世、要塞をおいていた所であり、そこに武甲山が座す。武甲山信仰の始まりだ。 その入口が芦ヶ久保にあたる。 そこに茂林寺があり、古くは、秩父札所巡礼の最初であったそうだ。 懺悔堂、船乗り観音、海の安

          【歴史】横瀬七郷武甲の山が 俺が稲田を見てござる(古歌)

          武甲山の語り部(1)

          秩父には、武甲山つぅでけえ山があってな。 その山はお宝の山だったんよ。 なんでも、むっかしの何万年も何億年も前の生きもんの死骸が固まってできた、石灰っつーのがあってな、それがお宝でよ、 これを掘れば金になるっつんで、秩父の人はこれを掘ったんよ。 そいでな、最初は小さく手掘りをしてたんよ。 でもな、最近の時代になって、そうなぁ、おじいくらいの時代かさー。 東京の大きな会社が入ってきてな、ミツマテ(三菱マテリアル)っつったかさ、そこが掘り始めたらな、あのでけえお山がよ、形が

          武甲山の語り部(1)

          武甲山の宇宙(はじまりの夜)

          子供の頃、よく見ていた夢がある。 実家の庭から見える幻想的な宇宙に満天の星空。 夜空に広がる星々をよく見ると、星がひとつひとつ動いている。 UFOのようにだんだん動きが大きくなり、 しだいに大きな宇宙船がびゅんびゅん飛んでくる。 それが怖くて目が覚める。 いつもそんな宇宙の夢をみていたが、決まって実家の庭からだった。 子供の頃は、宇宙と一体になっていたが、大人になると宇宙を忘れる。 その孤独をずっと持ったまま。 横瀬は星がよく見える。今も冬の夜空に見える星々が踊ってい

          武甲山の宇宙(はじまりの夜)