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武甲山の三尊石とイネハポのこと

かれこれ十数年ほどの付き合いにもなろうか。
私たち3人で武甲山の活動をしよう!と意気込んでいた時。

考えてみれば、不思議な付きあいだ。

時代は、どんどんIT化し、
AIという人間を忘れるほどの進化を遂げようとしている
未来の入口に、埋もれた歴史を掘り起こすという化石な話。

イネハポという名前が命名した経緯を話そう。

お互いが秩父の生まれなのに、
「東北」「九州」と離れて暮らしている。
その2人の間をとりもつのが「武蔵」にいるというバランスの良さ。

以前にみた夢のこと。

武甲山山頂に板碑が3つ置かれた夢をみた。
細長い板でモノリスみたいだった。

こんな感じ。

板碑といったら武士を弔うことだから、その夢をみた時に、
武甲山は死んだのか、と思ったが秩父平家という落里らしく、
秩父は武士がたくさん住みついた場所なので、その霊を鎮魂している武甲山だよ。
という風にみた方がよろしいかと・・・。
先祖らしい夢だな~と思った体験。

実際、山頂の遺跡はなくなっているため霊は帰れないようにみえて、
実は、あの世の世界では、ちゃんと武甲山は引き受けているのだと思う。

その夢では、武甲山下に社務所があり神社だかお寺だか建物があった。
巡礼者たちが、賑わっている様子。(実際はない)

その夢が気になったので、当時、武甲山山頂の発掘調査をしていたあっちゃんに武甲山に三つの石があったか聞いてみたら、「あったような~」という返事で、三尊石の写真を送ってくれた。

あっちゃんは、発破される前の武甲山をよく知っている人。
たぶん、あっちゃんしか語れないんじゃないかな。

中央にいる人があっちゃん(武甲山山頂の発掘調査の様子)

イネハポとは、アイヌ語、縄文語で「母」の意味。

イネハポ命名のあっちゃんは、武甲山が破壊される前に、
秩父の民俗調査で武甲山山頂にあった遺物を測量していた。
しかし、その調査が終わる前に秩父を出て旅に出る。

霊媒体質というのだろうか、
荒ぶる霊を抱えていてそのことが人生に大きな影響を与えることに。

うすうす感じてはいたけど、破壊のための調査だったことが耐えられず。

最終的に着いた場所が、熊本県の水俣だった。

水俣病があったメチル水銀汚染の町。

水俣の海と人と寄り添うことで、武甲山の御霊を慰めるという人生を選んだ彼女の心は、まだ悲しみにあふれていた。

水俣にきてもあっちゃんは武甲山の話しをする。

お世話になった民俗学者小林茂先生が亡くなられた時、
何も先生に告げずに飛びだした為、亡くなったと聞いて泣き崩れ、
その時に息子から「お母さん秩父なんでしょ?」と言われた。

イネハポスイッチが入ったけど、家族のことを思いOFF。

ということで、「イネハポ」は武甲山の「母」の意味があって命名した。

活動しよう!となったけれど、
武甲山は「家族のために秩父に帰るな」と、そう言う。


さて、そんな板碑の夢だが、

これは武甲山発掘調査をまとめた記録で、
「三尊石」というのがあった。

霧の中の「三尊石」武甲山発掘調査資料より

当然、今は発破されてなくなっている。

「三尊石とは、三尊仏になぞられ組まれた3個の立石のこと」
ということで、よく庭石にある。

仏像の祀られ方に、形式に沿って、時には並べられているとの事で、
主たる【如来】そして脇侍(きょうじ)には【菩薩】そして眷属に【天部】

悟りを開かれた重きの順になっていると。

釈迦如来  文殊菩薩 普賢菩薩 十大弟子

阿弥陀如来 観音菩薩 勢至菩薩 二十八部衆

薬師如来   日光菩薩 月光菩薩 十二神将

これらの3つの石を三尊石という。

まるで人が並んでいるような3つの石が、武甲山に鎮座していた。
静かにこの時を待っていたのだとしたら、これからの未来はどう開いていくのか楽しみでもある。

イネハポは、特別な活動をしているわけではないが、
悲しみをひろうことは得意だ。
生活の中に、武甲山があれば良い。

そして、若い人たちへのバトンを残そう。

参考資料
※京都観光をご案内して学んだこと(三尊石)より
https://plaza.rakuten.co.jp/mk2143/diary/201307150000/

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