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読書ノート「時間はどこから来て、なぜ流れるのか?」(著:吉田信夫 ブルーバックス)

1.本書の内容

本書の構成

ニュートンは時間を明確に定義せず外界の何物とも関係なく絶対的で均一に流れる時間を想定していました。本書はそのような時間の流れが物理的には存在しないことを明確にする第Ⅰ部と、それではなぜ時間が流れるように感じられるのかを問う第Ⅱ部の二部構成になっています。

第Ⅰ部

アインシュタインが時間を時計で測るものと定義したことにより時間が相対的なものであることが明らかになりました。

アインシュタインは静止と運動が原理的に区別できないことに気付きました。つまり静止状態を決定する絶対的基準はありません。これを「相対性原理」といいます。また加速度運動と重力も区別できないことに気付きました。これを「等価原理」といいます。

相対性原理に基づいた上で物体の運動=速度にかかわらず物理法則が一定だとします。事実、マクスウェル方程式から導かれる光速度はどんな場合でも一定です。そうするとロケットなど非常に高速の乗り物に乗っている人とそうでない人では時計の進み方が変わらなくてはなりません。速く運動している方の時計が遅れる「ウラシマ効果」です。また加速度と重力が等価なので重力が強い場所も時計が遅れます。この辺りは普通の相対性理論の解説書でも書かれる話です。

本書ではここで少し難しい幾何学の説明がでてきます。図形の「回転」とは1つの不動点に対して座標の他の点が「回転」した場合に不動点の周りで回転した点との間の「長さ」が変わらないような「変換」だとします。言い方が難しいですが長さの概念が私たちが普通に考えているものであれば私たちが普通に考えている「回転」と同じものになります。しかし「長さ」の定義を変えてしまうと「回転」の意味が変わります。

点Aが座標(X,Y)にあるとしましょう。原点OとAの間の長さOAを計算する場合ピタゴラスの定理が使えます。点AからX座標軸に対して垂直な線分を引くと長さXの線と長さYの線を直角をなす2辺とする直角三角形の斜辺がOAになるからです。斜辺の長さをSとするとS²=X²+Y²になりこれが普通の長さです。

しかしミンコフスキーという研究者が光速度一定の下にウラシマ効果が成り立っている状態をY軸を時間軸Tに置き換えた時空座標で表現した場合にS²=X²-T²を「長さ」の定義とすると、物体が加速することはXT座標で「回転」することに等しいことを発見しました。このような回転を行った場合に物理法則が一定(光速度不変)となることを「ローレンツ対称性がある」といいます。

ローレンツ対称性がある回転変換を行うと時間軸TはX軸側に倒れ、空間軸XはT軸側に持ち上がります。その回転の大きさは時間軸も空間軸も等しくなります。このため回転を進めると時空座標を二等分する45°線で時間軸と空間軸がぶつかってしまいます。この45°線が光速度だとすると質量を持つ物体が光速度を超えることができないこととも整合的です。ウラシマ効果による時計の遅れもローレンツ対称性がある時空の幾何学で説明可能なことも示されます。

こうした話は一般通常人の直感的理解とはかけ離れていますが相対性理論は観測事実と整合的でありウラシマ効果も実験で実証されています。したがって時空がローレンツ対称な構造を持つことも認めざるをえないでしょう。これを認めることは時間と空間が分離できないという意味であり時空座標は物体の時空上の運動を測る尺度に過ぎないため絶対的で均一に流れる時間というものは存在せず、時空のあらゆる場所に固有の尺度があるのです。つまり相対性理論的な時空においては時間は流れてすらいないということになります。

第Ⅱ部

第Ⅱ部では相対論においては流れてさえいな時間がなぜ我々にとって方向(過去→未来)を持つのかを探っていきます。

時間を測る時計には昔は振り子が使われていました。振り子は振れる周期が等しい「等時性」という性質があります。等時性は過去も現在も未来も等時ですから方向はありません。他方、物理的な大きさを持つ振り子は摩擦等によりエネルギーが散逸して時間とともに振幅が小さくなっていきます。これは一方方向の変化であり不可逆です。

振り子のエネルギーは熱として散逸します。このような現象は熱力学の法則に従います。熱は常に温度の高い方から低い方に流れ、その逆はありません。これを数式で表したのがエントロピーで、必ず時間とともに増大します。これを「エントロピー増大の法則」といいます。

容器の中の気体をモデルに考えます。気体の温度とは気体分子の平均速度です。一個の分子の速度はランダムであり分子同士のランダムな衝突によりランダムにエネルギーがやり取りされると容器の中の分子の速度が一定の分布に落ち着いていきます。繰り返し繰り返しランダムにエネルギーをやり取りした場合に最も実現確率が高い状態に落ち着くのです。逆にランダムにやりとりして実現確率の低い状態に落ち着くことはあり得ません。この状態を平衡状態といいます。

平衡状態は最もランダムな分布であり全ての分子の速度が均一になるわけではありません。むしろそのような均一状態は実現確率が低くエントロピーは低いのです。

宇宙はビックバンで始まったといわれます。ビッグバン直後は宇宙にはわずかなゆらぎしかありませんでした。つまり均一性が高い=エントロピーが低い状態だったのです。そこから整然とした状態が崩れていく過程において原子が生まれ、星々が誕生し、生命が生まれました。宇宙全体ではエントロピーは増大しているのですが局所的にはエントロピーが減少する条件が満たされることがあり得るのです。著者はビックバンが極めて特殊な状態だったからビッグバンを「時間の端緒」として「ビッグバンから遠ざかる向き」に不可逆な物理現象が進行するのだと言います。

次に未来は決定されているのかという問題に移ります。ニュートン力学では位置や速度の初期条件が与えられると微分方程式で表された法則に基づきその後の時間変化における状態が一意に決まります。これを決定論と呼びます。ニュートン力学だけではなく相対性理論も決定論です。

他方、量子力学では位置と速度には一定の幅があり確定できません。これを「不確定性原理」といいます。これは分からないという意味ではなく一定の確率分布で表されます。つまり具体的に何が起きるかは真の意味で決まっていないということです。

また初期条件が不確定なだけではなく始点と終点が与えられた場合の経路についても不確定となります。ニュートン力学では最小作用の法則といって作用が最小になる軌道しか実現しないが量子力学では経路にも揺らぎがあります。ここで有名な二重スリット実験がでてきます。量子には波の性質があるためこの実験では波の干渉により1つの粒子がどちらのスリットを通ったかは不確定です。しかし粒子のスクリーンへの到達点は確定しており干渉し合いません。これを「脱干渉」といいます。

時間と空間が一体となった相対論の時空で空間を1本の横軸で代表させて時空座標を描いたときに粒子の運動は座標内の1本の線で表せます。これを「粒子の世界線」と呼びます。次に世界の全粒子について時間以外のすべての空間の無数の場の物理変数を1本の横軸で代表させた座標を作ります。著者はこれを「世界線の座標」と呼びます。この座標内で時空座標内の粒子の世界線と同じような線を引くと「世界の世界線」を描くことができます。

著者は量子力学を踏まえた世界の世界線を考えます。世界の世界線の始点はビッグバンですが初期状態は一定の不確定性を持ち確定していません。そこからの経路も不確定性があるのですがどこかで脱干渉が起こって特定の状態が選ばれそれ以外の可能性から分岐します。そこからまた揺らぎのある経路が始まりますがその先でまた脱干渉を繰り返します。このような形で量子的揺らぎを持つ世界線を構築します。このような世界線ではどこかの時刻の世界線の状態が分かっても、その時点ではその後の無数の可能性からどの世界線が脱干渉によって「実現された歴史」となるかは決まっていないという結論になります。なお著者は脱干渉には人間による観測は必要でないという考えです。

次に著者はタイムパラドクスについて考察します。この宇宙に時間のループなりワームホールが存在しうるかは分からないが、ひとまず粒子1個が通れるワームホールが存在するとします。そして粒子がワームホールを通った後に元の時刻と位置に帰ってくるとします。その場合、物理的には時間は流れないという立場にたてばその時刻に自分自身とすれ違いまた干渉し合う無数の効果が併された全体的に整合的な過程になると言います。タイムパラドクスは過去に戻った粒子にとっての時刻と戻ってきたところの時空の時刻が同じでないと考えるからパラドクスになるのであって戻ってきたのでれば同じ時刻で干渉するはずというわけです。ただし既存の理論ではその過程が計算できないとも言っています。

ここで著者はもう1度世界線の座標に戻り、時間に関する物理変数も無数の場に分割されるはずだし、他の物理変数を横軸にまとめたのに時間だけ1本の軸として残してあるのは見やすさを考慮して選択したに過ぎないといいます。時間も含めて物理変数を1本の軸にまとめると世界は量子的にぼやけた広がりを持った点になるといいます。世界点は完全にスタティックな状態でありダイナミックな変化は起きないと言います。

いよいよ最終章で時間はなぜ流れる(ように感じられる)のかを考察します。

著者は時間が流れるように感じられるのは時間の流れが物理現象ではなく人間の意識に由来するからだと言います。人間が時間経過を意識する際に、しばしば順序を入れ替えたり因果関係を捏造したりしながら流れがあるかのように内容を再構成していると言います。

時間の流れの鍵である現在という特別な瞬間が実在するかについて「ある瞬間の意識」が存在するかを心理学的に考察します。野球選手がボールを打ったとき選手は後に球種を見極めてから打ったと語る場合があるが人間の脳と腕の筋肉への指令の関係では1秒以上の時間が必要なのでプロの選手の球速から考えると見極めてから打ったのでは到底間に合わないから実際は球種を確認する前に予測して振り始めているはずだといいます。

また腕の3か所を一定の時間間隔でタップするだけでタップが等間隔に連続して移動しているように錯覚する「皮膚ウサギ効果」を例に後の知覚が過去の知覚を変化させていると言います。つまり意識される時間の流れは一瞬一瞬をフィルムのコマのようにつないでいるのではなくいくつかの前後の知覚をまとめて事後的に作られているようなのです。

脳神経の伝達速度はイオンチャンネルの反応に基づいてるため物理過程と比べて非常に遅いと言います。例えば熱いものに触れて手を引っ込めるという脊髄反射行動をとった場合、熱いという感覚が脳に届くのは手を引っ込めた後なのに脳が熱いから手を引っ込めたというストーリーに作り替えると言います。

顔と杯が交互に見える有名な錯視現象を例に意識の交代はニューロンの「協同現象」だと言います。協同現象とは部分だけみると機械的な動きのようでありながら全体として合目的であるような協調性を示す現象です。協同現象の特徴は持続的な現象だということです。持続的なまとまり同士がいくつかの要素を共有することでつながり総体として時間方向に変化がある意識が形作られるのが「心理的な時間の流れ」の実態だいうのが本書の結論になります。

時間が意識において過去から未来へ向かうのは過去は記憶があるのに未来は不確かな予測しかないからだといいます。これについて著者は記憶は脳のニューロンの結合であり結合を形作るのは細胞内の高分子の働きによるのでエントロピーの小さいビッグバンに近い方で高分子が合成されエントロピーが増大する方向でシナプス結合やニューロンが壊れていくため情報が失われ過去の記憶しか持てないからと言います。

2.雑感

私は文系人間ですがブルーバックスは昔から好きです。相対性理論や量子力学では時間が過去から未来にしか流れない必然性はないという話は良く聞きます。素粒子は実際に時空の広がりの中を前後左右縦横無尽に行き来しているのかもしれません。時間がなぜ過去から未来に流れるかというのは物理学者にとって謎につつまれているようです。

相対性理論や量子力学は一般通常人の直感に反する様々な現象が間違いなく事実であることを実証してきたと思います。それが人間なら誰でも経験して自明と思っている時間の流れに苦慮しているのは門外漢から見ると大変興味深いことです。

速度や重力によって時間が遅れたりしても話としては自分にとって外部の出来事なので直感に反する結論でもそいうものかと受入れ可能です。しかし時間の流れは自己の内面に関わるから直感に反すると受け入れ難いという感覚になるのはやむを得ないものがあります。

その点、非常に興味深いのは本書でも触れられるとおり心理学や脳科学の方面でそもそも意識体験というのは時間的な現在の体験ではないという可能性が高まっています。さらにいうと記憶というのも客観的な過去を貯蔵し参照するというよりはニューロンの配線に組み入れられたある脳内の状態を必要に応じ再構成して呼び出すような仕組みなのではないかと思われます。

そう考えると意識に上る過去は再構成された現在で、意識に上る現在は編集された過去なのではないかとさえ思えてきます。つまり人間の内的直感というものは科学的に見ると全然信用できない可能性もあるということなので今後の脳科学研究の進展が期待されます。

物理の話に戻すと物理学で不可逆現象といえばエントロピー増大の法則がすぐに思いつくようで時間の流れの本質をエントロピーと結びつける説も良くみます。ただ私個人としてはエントロピーと時間の流れがなかなか頭の中で結びつきません。

著者は未来の記憶がないことをエントロピー増大の法則に直結して説明しようとします。しかし記憶がシナプスのネットワークであると認識しながらエントロピーの増大方向にネットワークが壊れるから未来の記憶がないという結び付けは強引すぎてついていけませんでした。それは過去の記憶が失われていく理由にはなっても未来の記憶がない理由にはならないのではないでしょうか。

脳が未来を記憶しないのは私たちの脳が未来の情報にアクセスできないからでありなぜそうなのかを熱力学的なエントロピー増大の法則に直結させるのは無理があると思います。また脳は外界の情報を取り込んで発展する局所的な系なのだとすると脳内の現象だけに着目して時間の流れを錯覚と断ずるのはまだ早い気がするのです。

本書では世界の世界線がそれ自身で観測抜きに時間に沿って内生的に脱干渉して歴史分岐するという量子力学の解釈が示されています。しかし波束の収束については様々な解釈があり著者の見解はさしあたり有力なものではないようです。ベルの不等式のような実験で確認できる形になっていない解釈の提示は科学者が唱えても楽しい形而上学の域を超えるものではない気がします。時間の流れが現状において解釈にとどまるなら、ある一定の見方を表明するものであって正解を与えるものではないのです。

とはいえこうした楽しい形而上学を考えるのは私も大好きなので自分なりに考えてみたいと思います。合目的的な協同現象を基礎とする脳内の情報処理が目的とするのは本能的な欲求を根っことして派生した諸々の欲求でしょう。脳の情報処理は外部から身体を通じて情報を認知すると欲求を満たすため(欲求を満たせることの前提となる危険の回避も含め)身体に行動を指令します。身体は外部に働きかけて(あるいは逃げ出して)目的を達成しようとします。

脳にとってはこの外部の情報/対象との相互作用が続いているならそのまとまりが現在になりその範囲で合目的的に情報を編集します。認知した情報を行動指令に変換する時に使う情報が記憶であり過去です。対象への働きかけの結果が現れるのが未来です。

脳内では現在の認知×過去の記憶→未来への期待×現在における選択肢の実行可能性→行動指令という情報処理が(多くの場合無意識に)行われており、そのアウトプットとしての行動の過程と成果をモニタリングするのが意識の役割なのではないでしょうか。そうであれば過去、現在、未来という時間の区別と流れが内的直感として意識の中に自然に現れてくることになると思われます。なおこれは人間の実存的時間を複雑系としての脳の情報処理システムの観点から捉え直したものです。

脳に本能的欲求を与えるのは遺伝子でしょう。遺伝子もまた合目的的な現象であって遺伝情報のコピーを増やしていくように振る舞います。脳の時間が過去から現在を経由して未来に流れるのは遺伝情報の増殖が過去から未来に向けてしか成功できないからではないでしょうか。本書の言葉で言えばビッグバンに近い方からビッグバンから離れてエントロピーが増大する方向にということです。何でそうなのかはちょっとよく分からないのですが(笑)

もう1つ楽しい形而上学を付け加えてみます。著者は世界の世界線は便宜的なものであり突き詰めるとスタティックな世界点になると言います。これは脱干渉を自生的なものと考えたからではないかと思われます。量子の波束が収束するために人間による主観的観測は必要ないとしても、ある状態にある量子の波束が収束するためにはその状態にとっての外部と相関する必要があるのではないでしょうか。そうだとすると世界の世界線は外部を排除したシステムであるため波束が収束できずスタティックな世界点にならざるを得ないのではないでしょうか。

しかし大乗仏教の説く常住不変の法性法身などは世界点の如きものかもしれず世界線の歴史分岐はお釈迦様の掌の上の出来事だという見方もありうるので形而上学的に何が正しくて何が間違っているかは一概に言えない話になります。

まあ正解が分からないということは事実によって反証されない範囲であれば何でも考えてみていいということです。さあ、みんなで考えよう。

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