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【第1話】網膜剥離闘病記 ~網膜剥離になりやすい人の特徴。手術は滅茶苦茶痛い!?~


コロナ罹患の直後に発覚した網膜剥離

飛蚊症と視野欠損

 2022年の大晦日、僕は新型コロナウイルスに感染し、年始は1月7日まで療養期間を過ごしていた。症状としては高熱と鼻水に加えて少し咳が出るくらいで幸い軽症だったのだが、1月6日を過ぎた頃右目に違和感を覚えた。所謂飛蚊症といわれる黒い毛埃のような物体が頻繁に右目の前を飛ぶようになったのだ。新型コロナ罹患のせいで鼻水がすごく、頻繁に鼻をかむようになっていた僕は、強めに鼻をかんだ際に起こる目がチカチカする感覚と同類の症状だと思い、それほど深く考えることはしなかった。
 1月8日、飛蚊症に加えて右目の左側の視野が欠けるようになる「視野欠損」が起きてきた。初期の視野欠損はほんのわずかなもので、自分の鼻の高さで死角となる視界の最左部が少し強調された程度だったので、その時点でもまだ僕は鼻のかみ過ぎによる目の血管のちょっとした不具合くらいにしか思っていなかった。もしくは鼻のかみ過ぎで少し鼻が高くなったかもしれないとアホみたいな楽観視をしていた。

 結果的に僕は、それから数日後に1万人に1人の罹患率と言われる網膜剥離で入院、手術をすることになるのだが、この文章は自覚症状が現た発症初期から、術後の経過なども含めた僕の網膜剥離治療の記録だ。

ボクサーじゃないのに網膜剥離!?

 新型コロナの療養期間が明け、世間から大いに出遅れた仕事初めとなった僕は、溜まってしまった仕事を片付けつつも視野の欠損範囲が少し広くなった気がしていた。
 ここまでくると確実に気のせいではなく、そろそろ眼科で診てもらった方がいいかなと思っていたが、仕事の休みと近所の眼科の診察時間が合わず、眼科にかかれたのは1月18日になってしまった。
 診察開始時間は朝9時30分。10分前に眼科に着くと、既に3人の患者さんが待合室で診察を待っていた。僕は初診であることと、自分の目に起こっている飛蚊症及び視野欠損を医療事務のお姉さんに伝え、問診票を記入しながら診察を待った。
 それほど待たされることもなくまずは検査室に呼ばれ、看護師さんの指示の元数台の機械で検査をする。それが終わると診察室に通され、問診票に記入したのと同じ内容を院長である女医の先生に再度伝えると、検査の際に使う瞳孔を開く目薬を僕に点し、瞳孔が開くまで待合室でしばらく待つよう指示した。
 再度診察室に呼ばれる頃には僕の瞳孔は右目だけオールスター感謝祭のチャック・ウィルソン氏のそれのように開いていて、少しの明かりでも眩しくて仕方がない。先生は自分のパソコンを見た状態のまま、「網膜剥離ですね」と“風邪ですね”と同じ声のトーンで言い、自覚症状が出たのはいつかとの問いに1月6日くらいと答えると、「もうだいぶ進行しちゃってますねー。もうちょっと早く来られませんでした?」と続けた。
 僕ももう少し早く来たくなかったわけではないが、他の人より多く正月休みを取っておいて、その直後に「ちょっと眼科行くので早退(遅刻)します」と平気で言えるほど強靭な神経は持ち合わせていない。
 先生はさっきの検査で撮影した僕の網膜の剥離された部分の写った画像をパソコンの画面に映し、“記念に”といった感じで「写真撮ってもいいですよ」と言った。この時点では、この先生が患者さんを不安にさせないように敢えて軽く話をする人なのか、本当に僕の症状が眼科医にとって軽いものなのかわからない。
 とはいえ、“網膜剥離”という久しぶりに聞く病名に僕は耳を疑った。だって網膜剥離で思いつくのは辰吉丈一郎をはじめとするボクサーかロベルト本郷くらいなのだ。世界戦も経験していないアラフォーのおじさんが罹る病気とは思えなかった。僕は世界戦どころか格闘技をかじったことすらなく、喧嘩や揉め事は専ら電話やEメールで済ませてきたタイプだ。
 先生に「何が原因ですか?」と聞くと、
「加齢と、近視が強い人はなりやすいですね」
 と言い、
「あとはアトピー等のアレルギーがあって目をよく擦ったり、元々網膜が薄い人もなりやすいです。」
 と加えた。
 “加齢”というパワーワードに怯んでそれ以降を聞き逃しそうになったが、各項目に心当たりがあり過ぎて困る。
 先生によると、既にレーザーで処置できるレベルではない可能性が高く、手術の必要があるかもしれない、いずれにしても大きな病院で診断が必要だと紹介状を書き始めている。
 とりあえず罹ってしまったものは仕方がないので「治るのでしょうか」と聞くと先生は、「治りますよー」とさっきの“風邪ですね”と同じテンションで即答した。常にたいして深刻な病状では無いような先生の語気につられて、まあサクッと日帰り手術でも受ければ治るんだろうなと想像し、紹介状を受け取る。

街医者から大学病院へ

 今なら大学病院の午前の外来診察に間に合うからすぐに向かってくださいと紹介状を渡され、僕はその足で新宿の大学病院へ向かった。2019年に新築された外観が高級ホテルのようなその病院は内装も真っ白で明るく、まだ瞳孔を開く目薬の効力が残っている僕には余計に眩しく煌びやかに映る空間だった。
 受付で紹介状と保険証を提出し、諸々の手続きを済ませて3階の眼科エリアに行くと、平日の昼間にもかかわらず多くの患者さんが診察や検査の順番を待っていた。当たり前だけれどここにいるすべての患者さんが何らかの目の病気でここを受診している。僕のような初診の患者はまず初診専用の診察があり、そこで医師が紹介状を見ながら簡単に病歴や現在服用している薬について問診をし、目の状態も軽く確認する。大学病院のような大きな病院は、同じ眼科でも病名(病状)によって専門医が異なるため、初診時のこの診察の際に担当医を割り振っているようだ。
 初診者の診察が終わり、次は先ほど街の眼科でも受けた視力検査や各種目の検査を再度するので呼ばれるまで待合スペースで待つように指示されたが、この待ち時間がひたすら長い。“大学病院は待つ”とは聞いていたが、ここまで待つかというくらい待たされる。土日のテーマパークのアトラクションくらい待つ。アトラクションは並ぶ皆がその先に楽しみがあるから待てるが、今僕が待っている先には“目の検査”というアトラクションとは程多い行事しかない。それでもひたすら待ち続けること1時間余り、ついに名前が呼ばれ、視力検査や緑色の光を見ていたら急にそこから眼球に向かって風が出てびっくりする眼圧の検査や、覗いたレンズの先のクラシカルでカラフルな気球を眺める謎の検査やなどをいくつか受け、また待合スペースで待つように指示される。僕はクラシカルな気球の絵を見るためにこんなに待ち、更に待つのかと思ったが、例えば僕の覗いたクラシカル気球が、某ネズミのキャラクターがパレードをしている絵だったとしてもこんなに待つのは苦痛だと思う。それでも大学病院とはそういうものなのだ。仕方がないのだ。待つことにしよう。
 さらに待つこと1時間。やっと名前が呼ばれ、担当医の診察が始まった。

第2話へつづく

#創作大賞2023

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