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タダ券に支えてもらった家族の娯楽

子どもの頃の新聞のイメージってなんだろう。
なんかたくさん情報が書かれている紙?
毎朝、毎晩、ポストに入っている紙?
お父さんが毎日読んでる紙?
私は「新聞を購読していたら、たまにタダ券をくれる」というイメージを抱いていた。

私が子どもだった頃は新聞屋さんから遊園地や映画館の無料招待券をよく貰っていた。
とくに兵庫県宝塚市の宝塚大劇場の横に併設されていた「宝塚ファミリーランド」という遊園地の招待券はよく貰っていた。
関西在住で同世代ぐらいの人には馴染みがある遊園地だと思う。
もう今は閉園してしまって跡形もないが、遊園地と動物園が併設されていて、どちらも楽しめた。
もう記憶がうっすらとしかないが、ホワイトタイガーが有名だったらしい。
子どもの頃のアルバムの写真には春夏秋冬の宝塚ファミリーランドが多く写っている。
大人になってからテレビで宝塚ファミリーランドのシンボル的なちょっと変わった観覧車が、今は九州にあることを知って「まだ生きてるんだ!?」と感動したことを覚えてる。

映画館のチケットも貰っていた。
田舎の古びた小さな映画館。
毎年その映画館でドラえもんの映画を家族で観に行っていた。
当時の映画館は座席指定なんてなかったので、席は早いもん勝ち。
私の家は映画を観る場合は朝一の時間の映画に行くことが何故か決まりだったので、早起きして映画館に行っていた。
母のこだわりだったのか必ず座る席は通路側の席。
この席を取るために朝一で映画館に入らねばならなかった。
ポップコーンやジュースは買ってくれなかったが、必ずパンフレットは買ってくれた。
もうその映画館は潰れてなくなっているが、潰れる少し前にハリーポッターを観に行った記憶がある。
今じゃ考えられないが、当時の映画館は立ち見もあった。
座席の横の通路の階段にも人が座っていた。
当時は普通の光景だったような気がするが、立ち見や階段に座って、映画を2時間観る情熱は凄い。

私の親は子どもの頃よくお出かけに連れて行ってくれた。
そのきっかけが新聞屋さんがくれる無料招待券の存在が大きかったと思う。
当時の新聞屋さんがなぜ無料招待券を配っていたのか、あまりその辺のルールはよく分からない。
新聞屋さんに私たち家族の休日の娯楽は支えられていた。
新聞は父親が定年退職するまで契約していた。
無料招待券をもらった分は、おそらくお返しできたと思う。

最近、映画館があった場所の前を歩くことがあった。
商店街の中にあった映画館だが、その商店街も子どもの頃と比べるとだいぶ活気がなくなっていて、寂しい雰囲気になっていた。
こんなに静かな場所だったのかと少し寂しい気持ちになったが、懐かしい気持ちを思い出した。

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