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「推し活」とはなんぞや【「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か】

最近よく聞く「推し活」という言葉。
いつから流行りだしたのか、いつのまにか私たちの日常に溶け込んでいた言葉。
何か好きな人やキャラやモノを「推す」
これは「ファン」とは違うのか。
そんなことを考えていたら、面白い本があった。

「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か
「推す」という行為について、二次創作、2.5次元、モノマネ、応援上映、ぬい撮り、色々な観点からなんぞやを分析している本。

まずは「推し活」とは何か。

ファンである自分が「なにをするか」であります。
好きな対象のイメージをもとになにかを生成してしまう、好きな対象と同じことをしてしまう、好きな対象の世界を現実で体感しようとしてしまう、など「推し」をめぐってファンはいろいろなことをしています。その対象を受け身的に愛好するだけでは飽き足らず、能動的になにか行動してしまう対象が「推し」である、と本書では考えます。

    第一章#「推し」で学ぶプロジェクション-応援-

確かに私たちは、グッズを買ったり、ライブやイベントに行ったり、聖地巡礼をしたり、感想をSNSで共有したり、なにかしら「推し」に対して行動をしている。
思わず行動してしまう対象がいたら、それは推しということ。
自分の「推し」を応援することで自分自身の感情が変化をしていく。

「推し」を応援すると、行動でも感情でも「推し」との一体化が生じるといえるのです。「推し」と自分は一体であると感じられるのであれば、それもまた大きな快感となって、さらに応援への熱がこもることでしょう。そうなると、そこには先ほどの底なしの循環、すなわち「推しの沼」がある、というわけです。

第一章#「推し」で学ぶプロジェクション-応援-

私たちのやっていることは「プロジェクション」らしい。
「プロジェクション」とは「プロジェクション・マッピング」の空間や物体に映像を投影して重ね合わせた映像にさまざまな視覚効果を与える技術のことを指す言葉だと思うが、この本では違う。
2015年に認知科学の先生が「プロジェクション」のことを「作り出した意味、表象を世界に投射し、物理世界と心理世界に重ね合わせる心の動きを指している」と提唱している。
簡単にいうと心と世界をつなぐ働きをしているものとして、プロジェクションという概念を提唱されている。
「推し」を推すことが「心と世界をつなぐ働き」になるらしい。
私たちが物理的なモノに意味をつけている。
うーん…なんか難しい。
読んでいるときも難しいと思ったが、これを説明するのも難しい。

本には二次創作、2.5次元、モノマネ、応援上映、ぬい撮りについて色々と書かれていた。
どの話も面白かったが、とくに私が興味を惹かれたのが、ぬいぐるみの写真を撮る「ぬい撮り」について。

私はあまりこの「ぬい文化」がよく分からない。
ぬいだけでなく、キャラクターのアクリルスタンド(アクスタ)をお出かけ先に持って行って記念撮影をする。
コラボカフェや、そのコンテンツに関係するところに持っていくなら理解はできるが、全く関係ない場所で写真を撮っている感覚が、私には理解できなくて、何のためにやるのだろうか…と不思議に思ってた。
これは私自身が「ぬい」という存在に全く興味がないから、そう思ってしまうだけで、その文化自体は否定はしていない。
周りに迷惑をかけず、本人が楽しければ何でもオッケーだと思う。

そんな「ぬい撮り」についても説明があった。

「推し」をかたどったぬいに投射されるのは、このばあい「推し」の表象だけではありません。聖地巡礼の楽しさや舞台やコンサートのワクワク感、おいしいものやきれいな景色に感動している自分も、ぬいに投射されているのです。

第五章 とびだず心、ひろがる身体-拡張-

ぬいの記念撮影は自分の記念撮影。
自分自身の楽しいワクワクした気持ちをぬいに投射して楽しんでいる。
撮ったあともSNSで仲間と写真を共有して一緒に楽しい気持ちを共有する。
共通の推しを通じての交流、これもひとつのコミュニケーションだと思う。

ぬいとも楽しい時間を共有する。
ぬいと一緒にでかけることがひとつのコミュニケーションになる。
これは故人の写真に話しかけることとメカニズムは同じらしい。
返事は絶対に返ってこないが、思わず語りかけて会話をしているような感覚を味わう。
そう言われると納得できるような気がする。

最近はぬいぐるみだけを旅行に行かせるプランも人気があるらしい。
どういうこと!?と思ったが、ガイドさんがぬいぐるみを旅行先に連れていき、リアルタイムでぬいぐるみの様子を写真で共有してくれるらしい。
仕事や子育て介護などのために旅行できない人に、自分が体験をしているような感覚を与えてくれる。
ぬいやアクスタという存在は自分自身の相棒のような分身のような感覚なのかもしれない。

結局「推し活」とはなんぞや。
自分の人生に彩りを与えてくれる存在なのか。

「推し」の○○に出会って人生が変わった!と熱心なファンはよく言います。実際、そのとおりなのだと思います。けれど「推し」がむりやりあなたの人生を変えたのではありません。
あなたの人生が変わったきっかけは「推し」ですが、人生を変えたのはまぎれもなくあなた自身です。それこそが「推し」の真髄です。

第六章 プロジェクションが認識世界を豊かにする-救済-

確かに「推し」の存在は私たちの生活を変えてくれる。
私にも「推し」の存在はいる。
推しの考え方や人生観に触れて、私も自分の人生に取り入れようと思ったり、こんな風になりたいなぁという憧れを抱くこともある。
推しがいて良かった!と思うこともたくさんあるが、推しの存在はきっかけで、自分自身が推しに触れた影響で人生の考え方や見え方が変わって、生きる楽しみを与えてくれている。

なんとなく「推し活」を強要するような世の中の風潮に、しんどい思いもしてる人もいると思う。
あまり他人のことは気にせず、自分のできる範囲で推しを応援すれば良いと思う。
推し活にかけるお金も、自分の生活を圧迫しない程度に好きなように使えばいい。
私は良いなぁと思ったものは迷わずお金を使うが、微妙だなぁ、なんか興味持てないなぁ、ちょっとこれはなぁ…と思ったら、どれだけ応援していても絶対にお金は使わない。
そりゃあ推しにお金を落としたほうが推しも喜んでくれると思うが、いらんもんはいらん。
応援は義務ではないのだから。
自分の生活を第一に!

「推し活文化」は奥が深い。
流行りの言葉について色々と考えるきっかけになった本だった。
「推し活」って一体なんだろうと思った方は一度読んでみると「推し活」についての解像度が上がるかも?

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