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「叱る」行為に効果はない【〈叱る依存〉がとまらない】

最近、今の人はもっと叱ったほうが良いのではないかという主張をする本を読んだ。
その本に書かれたことは概ね分からんでもないが、本当にそうなのか…と首をかしげるような内容だったので、今一度「叱る」という行為について考えてみようと「〈叱る依存〉がとまらない」を読んでみた。

〈叱る依存〉がとまらない

結論から言うと「叱る」にはそんなに大した効果はないそうだ。
人の学びや成長を促進する効果はない。
実際に「効果があるように感じる」だけで、実は課題解決には役に立たない。
人の学びを促進し成長する効果が高いのは、自分の意思で決断し、やりたいことのためにしている我慢だけ。
叱られたら成長するは勘違いで過大評価である。
この事実を知れただけでこの本を読んだ価値はあると思う。
確かに叱られても、成長しようとか頑張ろうと思う前に、また今度叱られないように回避する方法を優先的に考えてしまう。
なにも良い結果を生んでないのは明確。

叱ると叱られた相手は「ごめんなさい」「自分が悪かったです」と言う場合が多い。
その「ごめんなさい」と謝る姿が叱る人の中ではご褒美と感じる。
それが脳への快感になって、叱ることがやめられなくなるらしい。
これが依存への第一歩。

あとよく聞く「叱られて、私は成功できた、強くなれた」という話。
よく美談として語られるこの手の話が私はあまり好きではない。
これについてもこの本は気持ちいいぐらいぶった切ってくれている。

生存バイアスによって「ほとんどの人はうまくいかなかった」という事実が覆い隠されてしまっている可能性があるのです。そしてうまくいかなかった方の声が、社会に広く拡散されることはあまりありません。声が届くのは、一部の成功者たちの方が圧倒的に多い。そういった前提にある「叱られて、私は成功できた、強くなれた」は、うまくいかなかった多くの「犠牲」の上になりたっている可能性が高いのです。

〈叱る依存〉がとまらない

確かに世の中に出ている成功談は生存バイアスではある。
生き残った人の声がどうしても大きくなる。
色んな人の死屍累々の上に立っている人たち。
その方の苦労を否定する気は全くないが、それを他人に押し付けるのはやめてほしい。

子どもの頃に叱られたり理不尽なことを体験しとかないとやっぱり大人になって苦労をすることになるのか。
逃げ癖や辛いことに耐えられない大人ができあがるのか。
そこも私は気になっていた。
そこに対しても著者は答えを書いていてくれた。

「将来、我慢しなくてはいけない場面がくるのだから、今のうちから理不尽に耐える練習をさせなくてはいけない」
このような「今この瞬間には本来必要のない我慢」を与えたくなったら、要注意です。<叱る依存>の罠にはまってしまっているかもしれません。

〈叱る依存〉がとまらない

私たちはそもそも完全に無力な状態でこの世に生まれ落ち、自分ではコントロールできない状況を、赤ちゃんのときにたっぷり経験しています。今さら、あえて理不尽を体験する必要はなどないのです。

〈叱る依存〉がとまらない

私は基本的に甘やかされて育ってきた。
怒られたり、叱られることもあったが、別にそこまで厳しく叱られたことは特にない。
叱られる経験してこなかった人はどうなのかということが気になっていた。
「あえて理不尽を体験する必要がない」「理不尽に耐えても意味がない」ということを言い切ってくれていて、今までの自分を肯定してもらったような気持ちになって嬉しかった。

私もたまに人に対しての怒りや叱りたい衝動にかられることがある。
SNSで芸能人や有名人の不祥事に物申したくなるのも怒りや叱ることに繋がりがあると本には書かれていた。
自分の意見が正しいと、お前は正しくないと正義を振りかざしたくなっちゃうのは私もわかる。
自分で物申すわけではないが、不祥事に対して「私もそう思うー!!」と自分と同じような怒りを持ってる人を探して安心する自分がいる。
ふとこれは無駄な行為やなぁと思うこともあるが、毎回何かが炎上したら見てしまうので、これはもう現代病だと思っている。
最近はそんな不祥事についての正義がよく分からない。
正しさがわからない。
怒りや叱りたいという気持ちを抱いているのは明白なので、そのときはこの本に書かれたことを思い出して、叱る依存になってないか?叱ると得られる脳内報酬を欲しがってないか?などを意識していこうと思う。

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