夢日記 No.79
「友人の家の隣にある魔王城での冒険」
色々と夢を見てきましたが、魔王城が出てきたのは
今のところこの時期だけです。数少ないです。
この”友人”とは、アニメの話をする事が多いので、
そういったことも影響してこういった表現になった
のだと思います。
なので、この夢の「魔王」という表現こそが、
友人の存在を表しているといえるとも取れます。
とはいえ、魔王です。
どうでもいいかも知れませんが、私、勇者ものの話って好きです。
勇者が成長しつつ、困難にぶち当たり、落ち込み、
そして新しい力を得て再び立ち上がる。
そういったモデルが好きなんです。
こういったモデルの大元とも考えられる古典の話はいろいろ
あると思いますが、基本的にはヨーロッパから生まれています。
日本の話は、魔王との直接の対決する昔話って、
実はほとんどなくて、河合さんの著書によると、
あるドイツの子供に日本の浦島太郎の話をすると
その子どもに途中でこう言われたそうです。
「いつ、ドラゴンと戦うの?」
ご存じの通り、浦島太郎は四季折々の美しさ、
タイやヒラメが舞い踊って、楽しんで帰って
きて、玉手箱を開けてしまって歳をとる話です。
桃太郎のように、鬼と戦うものもありますが、
河合さんがおっしゃるには、ヨーロッパの方が
圧倒的に多いそうです。
ところで、近頃のラノベから生まれたアニメを
見ていて思うのですが、近頃はそういった純粋な”勇者”
という話も少なくなってきたように思えます。
もちろん基本的な流れは同じなのですが、
どちらかと言うと、強さや成長よりも
知性や生産性といったような・・・
これ、なんなんだろう?
と思って、先日、池上彰さんの「高校生でもわかる資本論」
という本を読んでいてハッとしました。
近頃の主人公が使っているのは、知性によって
生み出された「道具」なんですよね。
このような道具を、マルクスの資本論では
「死んだ生産力」=道具 と
「生きた生産力」=労働者 が、
合わさること(融合すること)で、より多い生産性を生む
という表現をしています。
マルクス資本論的には、これは機械などの事を示しています。
この道具ですが、以前は勇者も強い敵を倒して”手に入れたり”
といった感じだったのですが、今は、強い敵から「作り方」を
手に入れて、自分で”作成する”んですよね。
見ていてまるでこれは、プログラマーのような感じです。
ところで、
SNSが生まれた時からある世代を、Z世代というそうですね。
自分が欲しいアプリを、自分で作る。
そして、あわよくばそれで儲ける。
そんな流れを今の”勇者もの”にも感じるから面白いです。
この勇者の在り方の変化に、そのZ世代の感覚が
詰まっているような気がしました。
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