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鈴木 茂義さん

文:舘野 雄貴

教員 鈴木 茂義さん

「自分とは、如何なる存在か?」

ある年の大晦日、「僕がゲイであること」を両親にカミングアウトする決心をした。幼少期からの夢であった教師としての道を歩み、一端の大人になれたと思っていた時期でもあった。

しかし、大人になったからと言って、問題や悩みが勝手に解決していく訳ではなかった。

むしろ知恵や経験を重ねた分、余計に複雑になってきている気がしていた。

それまで自身のセクシュアリティについて隠してきた訳ではなかったが、性的指向を自認してから何となく時間だけが流れていた。

異性愛者やシスジェンダーは、いちいち自身のセクシュアリティのことを告白するようなことはしないはずだ。しかし、義務ではないとはいえ、セクシュアルマイノリティ側は、自らの性について説明をしなくてはならない時がある。しかも、告白する度に好奇の目で見られることが多い。そうしたことに対して不本意さを感じ、いい加減疲れてもいた。

若かりし頃は、異性と付き合うことで異性への関心が湧き、同性愛から異性愛へと矯正される(?)かもしれないと思った時期もあった。

今日という日まで、幾多の難事と向き合うたびに「自分とは、如何なる存在か」と自問し続けてきた。しかし、何度問いかけても、答えは1つしかなかった。それは、たとえマイノリティという枠組みにはめ込まれようと、自分は自分でしかないということだけだった。

もうこれ以上、黙っていたくないし、新たに来る年まで持ち越したくなかった。

そんな思いを募らせていた寒さの染みる夜、紅白歌合戦を見ながら家族団欒している時に、「僕、ゲイなんだ。」と切り出した。

それに対して、父は、「情けない。二度と家の敷居を跨ぐな!」と言い放った。母は、「あんたを男子校に入れたから、こんなことになった・・・。」と呟いた。

家を追い出されるような罪を犯してもいなければ、環境によって突然変異した訳でもない。

それでも、両親が、急には受け入れることができないことは想定していた。

僕の両親は、LGBTQという言葉すら良く理解できていないのだから、実の息子による唐突な告白を「そうなんだ。ゲイだったのか。」と、簡単に聞き入れられるはずもない。

なので、僕の告白に対して両親が発した言葉は、ある意味では当然の答えでもあったのだ。

そして、僕は、両親の言葉を言葉通りには受け取らずに、カミングアウトを終えた。

Q1.「ご両親からの言葉を言葉通りに捉えなかったのは、他に意味があると解釈したからですか?」

いえ、誰しも未知の世界のことを理解するためには、時間を要しますよね。なので、私の両親ならきっと分かってくれると信じて待ったという方が正しいですね。

私が幼少期の頃から、父は酒浸り・・・母はスナックやスーパーで働き詰めでした。

貧しい家庭ではありましたが、歪に絡み合った力を合わせて苦難を乗り切ってきた家族なんです。なので、理解してくれないとは思っていませんでした。

Q2.「では、時を経て、理解を得ることができたのですね?」

後になって、父に聞いてみたら、「自分の長男がゲイだと聞いて、この子は一生幸せになれないと思った。そのことに愕然とした。」と話していました。

相手を理解する気持ちと正しい知識さえあれば、互いを尊重し合うことができるはず・・・これは、家族という単位だけではなく、社会全体でも同様ではないでしょうか。

Q3.「社会へ向けては、どのようにカミングアウトされていったのですか?」

小学校教員として、最後に担任を務めた6年3組の生徒たちには、カミングアウトをせずに退職する形となったんです。

教師という立場もありますし、教え子だけでなく同僚や学校関係者、生徒のご家族の反応や影響を考慮した末、「伝えない」という選択をしました。教育委員会から問題視されることも懸念しましたし。

ところが、ある生徒が親のスマフォで僕の名前を検索し、ある媒体に掲載されていた僕のカミングアウト記事を発見したのです。それが、クラスのグループラインで拡散され、ゲイである事実が知れ渡ることとなりました。

実はこれは予想通りというか、こうなったらいいなという思いがありました。なので、真実が伝わって良かったと解釈しています。

Q4.「もし時間を戻すことができるとしたら、6年3組の教え子さん達に向けて自らの口でカミングアウトしますか?」

・・・すごく悩みますが、やはり「言わない」という選択肢をとるでしょうね。

仮に、教え子たちに伝えたとしても、どのような反応をして良いか戸惑い、フリーズしてしまうかと思います。

カミングアウトの基本でもありますが、受け皿が整っていないところに注いでも溢れかえってしまいます。しっかりと伝えてあげるためには、タイミングや伝え方が大切ですからね。

在任中に伝えることはできなかったですけど、僕との出会いが、異なるアイデンティティや他者の価値観について考えるきっかけになったら良いと思っています。

いつの日か、みんなと再会することができたら、なんて声をかけてくれるだろう?

あの時と変わらずに「シゲ先生」って呼んでくれるかな?

Q5.「これまで、制限や抑圧を受けることもあったとのことですが、LGBTQへの社会的認知度が高まってきている現在でも、誹謗中傷を受けることはありますか?」

「残念ながら、あります。無知が故のアイコンシャスバイアスや異なる価値観から生じる誹謗中傷を浴びることも少なくありません。また、異なるアイデンティティの人たちからばかりでなく、同じコミュニティの中からも攻撃的なメッセージを受けることがあります。

そうした声を受けると良い気分にはなれませんが、慣れてもきました。そうしたことに対応できる恒常性が身についてきたのかもしれません。

でも、決してそれは良いことではありません。耐え忍ぶことでしか自由を得ることができないなんておかしいです。それも永遠ではない幻の自由だなんて。

Q6.「同じアイデンティティの人の中でも価値観の違いによって軋轢が生じることがあるのですね。そのようなときやマジョリティ-マイノリティの関係が交錯するときに、どのようなことに気を付けるべきでしょうか?」

月並みの答えになってしまいますけど、まずは、違いによって優劣がある訳ではないことを理解した上で、互いを尊重する姿勢をとることでしょうね。

アイデンティティ問わず、善き心を持とうとする人は多く見ます。しかし、知識が備わっていなければ、どうしても偏った見方は拭えないと考えております。よって、知性と理性の両方とも必要です。知らなかったでは済まないこともありますし、この世の中には未知なる奥ゆかしいことばかりですから。未知のままにすることで世界を狭め、狭い視野では他人への理解も乏しくなってしまいます。」

Q7.知るだけでなく、理解を深めるためには、どうしたら良いでしょうか?

違いがあることに対して違和感を感じても良いんです。なので、まずは、違いがあることを知った上で、段階的に理解を深めていけたら良いのではないでしょうか。

Q8.「昨今、LGBTQへの認知度は高まっていますが、意味は知っていても、具体的な内容理解までできている人はまだまだ少ないように感じます。そこで考えてしまうのは、知らないのと知ろうとしないでは、意味合いが異なるということです。これだけ広がりつつある言葉を知らないままでいるのですから、単に知らないだけでなく、積極的に無知でいる選択をしているように思えます。言い換えれば、多様化するセクシュアリティの世界を敢えて遠ざけているのかもしれませんね?」

「まぁ、そこまで押し付けてしまうと、かえって理解を得られなくなってしまうので、とりあえず理解したいという人がいれば理解してもらえれば良いかと思います。」

Q9.マジョリティとマイノリティなんて数字の割合が変わったら、ひっくり返るものに過ぎないですよね。自分がどちら側にいるかが問題ではなく、自分がどうあるかが大切なのですね?

「そうですね。自分がどちら側かどうかは問題ではないかもしれませんね。他との違いが悪いことでもない。そのことは、当事者自身も自信を持って認識してほしいですね。

僕たちは、LGBTQというアルファベットの羅列に並べたりしますが、その並びをみても分かる通り、それぞれの違いがある訳です。

「属性」としては、どこかにカテゴライズされるかもしれませんが、僕たちは1人ひとりは、あくまでも「個」なのです。」

僕は、ゲイのシゲ先生でもあるし、LGBTQ当事者の鈴木でもありますが、「鈴木茂義」でしかありません。

あなたがあなたでしかないように、私も私でしかないのです。

「自分らしく・・・」混沌としたこの世の中では、そんな言葉を用いるのは非現実的に思える時があります。それでも、行政におけるLGBTQ/SOGIをめぐる人権施策の広がりやダイバーシティ&インクルージョンの推進、LGBTQフレンドリー企業の増加、個人レベルでの理解度向上等・・・多様化する社会確立へ向けて、一歩ずつ進んでいると思います。

互いを尊重し合える社会・・・どこかで夢だと思っていた世界が来るのも、そう遠い未来ではないと信じています。

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