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私が鬱になった日の記録

この日の日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。私がはじめて、鬱を自覚した令和六年の七月二日には、私はどんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。

その日、私は朝から落ち着かずにいた。いつものように目覚め、珈琲を淹れ、煙草を喫んだが、どうにも落ち着かない。なんだか、私の知らないうちに、空気の流れが微妙に変わったような、妙な違和感を感じた。空は重々しい鉛色に覆われ、小粒の雨がぽつぽつと地面に降り注いでいた。

朝食は摂らなかった。支度を済ませて、少し時間に余裕を持って家を出た。いつもと同じ電車に乗り、決まった席に座った。音楽を聴きながら、移り行く景色をぼんやりと、無意識に見つめていた。窓の外に見える空は、ますます低く、重く、私のいる世界を押し潰しているようであった。

研究室へはいつも通り、十時に到着した。メンバーと挨拶を交わし、珈琲を淹れ、自分の机に座った。パソコンの電源を入れ、机の傍に置いてある実験記録を記載したノートに目を通した。頭は靄がかかったようにぼんやりしていて、脳が思考することを拒絶している。どうにもやる気が起こらない。思考が深い沼に沈んだかのように、動かぬまま、気づけば時刻は正午を回っていた。

軽く昼食を済ませた後、ようやく実験へと着手することにした。失敗したらどうしよう、間違えていたらどうしよう、そんな思いばかりが頭の中に去来する。どこへ進んでも行き止まりの迷宮を、彷徨っているような、そんな気分である。無力感に支配されたまま、実験を終え、机に戻った。手元のパソコンには未完の発表原稿が映し出されている。私は椅子に深く腰をかけ、大きな溜息をついた。時間がゆっくりと、無常に進んでいくのを感じた。

ここのところ、ずっとこの調子である。なんだか、自分だけ、別の世界に取り残されていて、現実世界に存在していないような感覚なのだ。不安から、眠れない日々が続いていた。内心では、この憂鬱な気分も、明日になれば晴れているだろうと、すっかり信じ切っていた。しかし、自分の存在意義は、日を追うごとに曖昧になっていくのみであった。

夕方、研究室を後にする頃には、もう何も考えられなくなっていた。昼過ぎまで雨模様だった屋外は、すっかり晴れていて、嘘のように青空が広がっていた。果てしなく広大な空は、かえって私に不安を植えつけ、自分自身が透明になってしまったような気にさせた。

帰りの電車は満員で、疲れ切った人々の呼吸が渦巻いていた。私は窓際に立ち、車窓に映る自分を、ただ呆然と眺めた。顔色は悪く、ひどく憔悴しており、自分ではない誰か他人の姿を見ているようだった。電車に揺られていると、どこか遠くへ行きたい気持ちが強くなった。どこでもいい。どこか別の世界へ逃げ込みたくて仕方がない。そんなことを思いながら、電車を降りた。

家に着くと、私は倒れ込むようにベッドに横たわった。体が重く、ベッドに深く沈み込む感覚は、累積した疲労を実感させた。頭の中では、一日が終わったことへの安堵と、明日がくることへの憂鬱が交差している。

気がつくと、私は泣いていた。涙が頬を伝い、時折耳をかすめて、冷たい感触が皮膚に残る。どこからその涙が湧き出たのか、私自身にもよく分からない。ただ、一瞬の静寂の中で、全てが押し寄せてきたような感覚であった。瀬戸際で保っていた理性は決壊し、感情が氾濫して、意識の中から溢れ出した。私は、この時はじめて、自らが病煩であることを自覚した。

鬱という病は、いつからか私の中に入りこんでいて、息を潜めながら、ゆっくりと心身を蝕んでいた。負の感情を食べ続け、ついには私自身を飲み込んでしまうほど大きくなったのである。

そしてついに、私は病院へ行くことを決心した。重度の鬱状態にあることを医者から通告されたのは、この日よりちょうど一週間後のことであった。

こうして、私の長く短い一日は終わりを迎えた。

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