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発表!天国に行くための3つの方法を教えます【お金がなくてもOK】

🔹はじめに

天国と地獄はいったいどういうところ?


誰もが幼い時から天国と地獄というものを少なからず意識しているのでは
ないでしょうか?

私も幼い時に読んだ絵本や漫画、それから小説などに天国と地獄という
ものが描かれており、その描写が心に残っています。

それに、「お天道様がみているからわるいことをしちゃだめよ!」とか、

「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるよ!」とか、おばあちゃんから聞かされてきたのを覚えています。

皆さんはどうでしょうか?

天国に行きたいか、地獄に行きたいかを問われると、誰もが天国に行きたいと答えるのではないでしょうか?

天国ってお花畑があって、金銀財宝の山があって、とにかく明るくて幸せなところというのがなんとなく描いているイメージかも知れません。

反対に地獄は、煮えたぎるマグマの中を悶え苦しむ人間の姿を想像してしまうのではないでしょうか。

それでは天国とはどんなところか、地獄とはどんなところか、聖書を読んで引用してみましょう。

ルカによる福音書 23:42

 そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。

イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。

イエスがおられるところは天国ではなくパラダイスであることがわかります。

では天国とは一体どういうところで誰がいるのでしょうか?

黙示録21:11

 その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。

それには大きな、高い城壁があって、十二の門があり、それらの門には、十二の御使がおり、

イスラエルの子らの十二部族の名が、それに書いてあった。  東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。

 また都の城壁には十二の土台があり、それには小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。

わたしに語っていた者は、都とその門と城壁とを測るために、金の測りざおを持っていた。

都は方形であって、その長さと幅とは同じである。彼がその測りざおで都を測ると、一万二千丁であった。

長さと幅と高さとは、いずれも同じである。
また城壁を測ると、百四十四キュビトであった。これは人間の、すなわち、御使の尺度によるのである。

城壁は碧玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。

 都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、 第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。

十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。

黙示録21:3

 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、

人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。

先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

どうやら天国は十二の真珠で造られた門があり、純金や様々な宝石で飾られたきらびやかな場所のようです。

そして天国では神様と人間とが共に住み、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもないところなのです。

そして先のものとはサタンと言われる悪魔のことです。

では反対に地獄とはどのような場所でしょうか?

黙 20:9

 彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。

そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。

また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。

 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。

 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。

このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

やはりこの世に生きている間に、私たちの仕業に応じて、裁きがくだされるようです。

やっぱり地獄には行きたくないですよね😅

では、どのような生き方をすれば地獄に行くことなく天国に行けるのでしょうか?

イエスは次のように叫ばれました。

マタイによる福音書 4:17-
この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、
「悔い改めよ、天国は近づいた」。

ここに悔い改めよとありますが、何を悔い改めればよいのでしょうか?

ヨハネによる福音書 8:42

 イエスは彼らに言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである。

どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。

あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。
彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。
彼のうちには真理がないからである。
彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。
彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。

ここに衝撃的な表現があります。

あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。

イエスは神の子ですが、なんと私たちは悪魔の子だというのです。

でも、そう言われればなんとなく納得してしまう自分がいるのですが、皆さんはどうでしょうか?

私たちはなぜか生まれながらに醜い心を持っているものです。

人を蔑んだり、人をいじめたり、人のものを盗んだり、殺したり、

そこまで行かなくても、誰の心にも、妬みや嫉妬、不平不満の思いがあるのではないでしょうか?

イエスはその心は悪魔から出てきたものだと断言されます。

🔹天国に入るための3つの方法

①悪魔の子から神の子になること

黙示録 21:7

勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

ここに勝利を得るものは神の子となるとはっきり明記されています。

悪魔の子として生まれた人類は神の子とならない限り、天国に入ることはできません。

天国では神様と神の子となった者が共に住むことができるのです。

ではどうすれば勝利を得る者となれるのでしょうか?

それはあまりにも深い内容でありますので、この記事だけで説明することはできません。

これから綴っていく記事を通してその深い内容に迫っていきたいと思います。

②悪魔から来る醜い心を拭い去り、幼子のような謙遜で美しい心を身につけること


マタイによる福音書 18:1ー
そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、
「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。

私たち大人はどうしても傲慢になったり、反対に卑屈になったりするものです。

他にも、妬み、嫉妬、そしり、不平不満の心は禁物です。

それらはすべて悪魔から来るものです。

イエスは天国に入るには幼子のような素直で謙遜な心を持たなければならないと説いています。

③神様の究極の愛を相続すること


私たち人間の親である神様はご自分の持てる特権の全てを与えようと

願われました。

神様は100%与える存在です。

神様に奪うという概念は存在しません。

それは神様の本質が愛であるからです。

神様はこの宇宙を造り、この地球を造り、あらゆる生命を生み出してくださいました。

鉱物も、天然エネルギーも、空気も植物も、あらゆる動物も、すべて私たち

人間に喜んでもらいたいという親の愛で準備して下さいました。

ですから私たち人間が神様の特権全てを相続するために、まずやらなければ

ならないことは、神様の愛の産物に感動し、その感動を自分や家族だけに

留めることなく、常に神様に感謝の気持を伝えなければなりません。

神様!このような美しくきれいな花を造って頂き有難うございます。

神様!四季折々の美しい自然環境を準備して下さり有難うございます。

神様!美味しいお米や果実を造って頂き有難うございます。

神様!わたしという存在をこの世に誕生させて下さり有難うございます。


そして男性なら女性を、女性なら男性を与えて頂き有難うございます。

と、つきない感謝を神様にお伝えすることからはじめましょう。

それが神様の喜びであり、幸せなのです。

神様は、人間に全てを委ねられました。

神様だけに許された、絶対者、創造者、完全者などのすべての権限を人間に

与えた場合、人間が神様の願いに一致しない場合、神様にとってどのような

悲劇に直面するか計り知れません。

神様は、そのようなリスクをわきまえた上で尚、

それでも、それでも、人間に最高の権限を付与することを決定されました。

神様の本質である愛は、その選択以外を許しませんでした。

神様は、人間を愛するあまり、

神様ご自身の権威と位置までが吹っ飛ぶ危険を知りつつ、敢えてその道に進

まれました。

これは、まさしく、神様の愛の特攻であったと言わざるを得ません。

愛は通常の常識を越えます。愛する者の為には、どんな犠牲も惜しくありま

せん。

愛する者の為には、喜んで犠牲の道、困難な道を突き進ませます。

強制されてではなく、自ら突き進みたいのです。

このような究極の愛のお方である神様に私たち人間が応えるためには、

人間もまた、どんな犠牲の道も、どんな困難な道も、たとえそれが命を奪わ

れることであったとしても、それでも神様を愛さなくてはなりません。

それが神様の究極の愛を相続することであり、天国に入るための方法なので

す。

ここまで天国に入るための3つの方法をお伝えしてきました。

どうだったでしょうか?

共感できる部分とどうかな?と首を傾げる部分もあったでしょうか?

この3つの方法の具体的な内容は、これから綴っていく記事を通して

徐々に明らかにしていこうと思っています。

一つ言えることは、天国に入るためにはお金など必要ありません。

ただ必要なのは、真実の愛だけなのです。

ここまでご覧いただき有難うございます。

このブログの記事を読まれて、なにか思うところや感想、或いはご意見など

ございましたら、遠慮なくコメントお待ちしています。

よろしくお願いします。

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