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名もなき小さな花|エッセイ


義母は、主婦のかがみだ。
わが家で何か起こると、
遠くから駆けつけ、
洗濯・掃除・調理など、
こまごまとスピーディーに
片付けてくれる。

まるで魔法のようだ。


***



私は独身時代、恥ずかしながら
ほとんど家事をせず
親まかせだった。

働いて、帰ったら
ごはんの用意を
してもらっていた。

そのため、結婚してから
「家事のきほん」
「家庭料理のすべて」
といった本を買って研究した。


そもそも、
わかっていないことが多すぎる。

「なぜ、洗濯物を干す時
たたいて干すの?」

「豆腐の水切りは何のため?」など、
疑問だらけ。


夕飯を作るのも
ひとつの作品を仕上げるほど
困難をきわめ、
何をするにも
やたらと時間がかかっていた。


***


義母は、私と正反対。
若い頃から、自炊をしていたらしい。


正社員として長年働きながら、
二人の子を育て、
完璧なくらい
きちんと家事をこなしてきた。

とにかくスマートなのだ。


義母と調理をしていて、
「レタスはふちの赤いところは、
綺麗に取った方が良いのよ」と
教えてもらい、

(そうなんだ、もしかしたら、
取り切れず
家族の身体を壊していたかも…)

ひそかに悩んだこともある。


そんなこんなで、
夫に対しても
引け目を感じていた。


微塵みじんも文句を言わなかったが、
内心義母と比べて、

(え?これしか出来ないの?)
(何でこんなに片付かない?)

などと思ってはいないだろうか、と
冷や汗をかいていた。

一言で言うなら、
コンプレックスのかたまり。

主婦として失格だと思い込んでいた。



***



ある時期。
私は引きこもりになった。


ベッドから離れられず、
生きる活力を失くして
抜け殻そのものだった。


義母は、このときも
遠くから飛んで来て、
私たちの生活が保てるよう
一生懸命努めてくれた。


娘息子はまだ母親が恋しい頃。
不安だっただろうと思う。

子どもたちの情緒を
乱さないように、義母は心を配ってくれた。


有難くて、申し訳なくて、
でもそれすらも口に出せず、
ただベッドで悶々とするしかなかった。



***



義母に助けてもらって
ひと月以上った頃だった。

私は家から一歩も出ていなかった。


ふだんは社交的にしていたため、
やつれ果てた姿を人前にさらすのは
耐え難かった。


玄関先の植栽も管理できずに
枯れ放題になっていた。
あれほどガーデニングが
好きだったのに。


義母は、私を裏庭に誘った。
玄関先すら何もできないのだ。
裏庭はもっとひどい状態に
違いなかった。


(外の空気を吸うのに
誘ってくれてる。


だけど、
草むしりもしていないし、
荒れている庭は見たくない…)


実際、ドアを開けた先は
殺伐さつばつとしているように見えた。

庭に降り、サンダルを履いた。


***



義母は、しゃがみながら言った。


「〇〇さん、ほら見て!
 すみれが咲いてるのよ」


2ミリほどの薄紫の粒だった。
確かに、よく見れば
小さな小さなすみれだった。
てっきり、ひねこびた雑草だと
思っていたのに。


すみれ…?)



かがんだ私に、
しゃがんでいた義母は
眼鏡の向こうから
優しく、微笑みかけてくれた。


***


…私の記憶は、そこで消えている。


義母は、北国の山深い土地で
育った人だ。

おそらく、自然の持つ力、
寒い冬から春が訪れる時の恵みを、
深く受けとめて育ったのだろう。


私は、ゆっくりと芽を吹くように
回復した。


そして、義母は、
義父の待つ家へ、
また飛行機に乗って、帰っていった。



***


「規範」そのもので、
少し厳しいと思っていた義母。


本当は、もう親二人失くしていた私を
娘のようにいつくしんで
くれていた。


よわいを重ねて、
遠くまで来れなくなった義母を
できるだけ大切にしたいと思う。


***


引っ越して、
見れなくなったけれど。



あの小さなすみれは、
春に咲いているだろうか。 




***




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