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【音楽と思い出】『冬のオペラグラス』新田恵利

〔東京の大学に入って〕
高校を卒業し、予備校は1年で卒業。
晴れて大学生になることができたのは親のおかげである。

予備校は地元にはなく福岡まで毎日通った。親不孝通りという地元では有名な盛り場(今は言わないか)の先にある予備校で人がとても多かった。予備校の話は別の機会に記す。

東京で大学に入り、早々にクラスで飲み会があった。どんなクラス分けであったのかよく覚えていないけど語学が同じだったのではないか。

クラスメイトには家から学校に通っている人や自分みたいに地方から出てきた人と色々いたが、自分は地元の人は全部同じように都会の人に見えた。

どういう事かというと、具体的になにがそうなのかは言葉のアクセント以外は特にないのだけど「都会の人」という得体のしれない感覚である。

端的にいえば「田舎もんが気おくれしているだけ」なのだけどその気おくれ感が自分は強かった。

クラスの男女構成は男が圧倒的に多く、自然と数少ない女性の周りに輪ができる状態になった。たった3人くらいであっただろうか。

すこしづつ打ち解けつつ話も進みだしたときに、ある子が突然こう切り出した。「君たちのポリシーっていったい何なの?」

はあ?ポリシーとは。受験戦争も終結し穏やかな日々が来ると信じていたのに。なんと返したのかはよく覚えていない。多分しどろもどろだったはず。

断片的に覚えているのは、「私たち地元の人間は原宿なんかには行かない」という発言。

原宿とか表参道にはよく行くの?という風な会話をしたのだろう。ちょっと都会風吹かせやがってと軽くイラっとした感覚が残る。

まあ当時は地元の人は全部都会の人というふうに思っていた。
だけどそのややお高くとまった子は都会の子かもしれないけど、
千葉から結構長い時間をかけてこちらに来ていた(高校名は出さない)から、原宿なんかにはなかなか行けなかったのかもしれないなと今は思う。
彼女、ちょっとカッコつけていたのかもしれない。

学生寮に入っていたので寮に戻るとそこは地元。いきなり方言が飛び交う。

それどころか今まで行った事がない市や町の方言まで追加でマスターした(実際、夏に帰省したらなまりがひどくなったと親や友達から言われた)

〔おニャン子クラブについて〕
ここからが本題である。

1年間の浪人生活はほぼ全ての時間を受験勉強に充てていて、テレビは全くと言っていいほど見ていなかった。 

そして学生寮は最初は2人部屋。自分は持っていなかったが同室の友人がテレビを持参していた。なのでテレビはよく見た。

特に当時大ヒットした番組「夕焼けニャンニャン」が平日夕方5時から放送されておりけっこう見ていた。

久しぶりに見るテレビでしかも女の子がたくさん出ている番組はとても新鮮だった。

余談だがこのビジネスモデルがそれから40年近くたつ現在も続くとは思わなかった。

新田恵利がとても可愛くて(今で言うと推し?)セーラー服を脱がさないでではなくこの歌が好きだった。

当時のヘアスタイル、ファッションにも注目して聴いてもらえたらいいなと思います。






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