本音と建前 恋愛Ver.
わたしの本音と建前
わたしは、好きな人に自分の全てを知られたくない。
例えば、本音では金持ちしか勝たん!と思っていることや、セルフバチェロレッテをしていること、こうして恋愛の記録を活字化していることは、絶対に、何がなんでも知られたくない。
好きな人には、わたしが与えたいと思った情報のみを根拠にして、わたしのことを好きになってほしい。
わたしはカメレオン女優として作り上げた建前上のキャラクターで、好きな人の生活の一部にほわほわと存在していたいのだ。
素の自分をさらけ出すこと
女友達と恋バナをしていて、“全部をさらけ出せることがカップルのゴールなのでは”という話題になったことがある。
“恋人の前で素の自分になれることが愛しさ”という感覚を知り、「そういう考えもあるのか」とショックに近い感情を抱いた。
どうしてわたしは好きな人に自分の全てを知ってほしいと思わないのだろう。
素の自分をさらけ出すことに抵抗があるのだろう。
自分に自信がないから?
自分が優位に立ちたいから?
嘘偽りのない自分では愛されるわけがないと思っているから?
ありのままの自分を愛してもらえなかった時にあまりにも悲しいから、キャラを付けて演じているのかも。
不動産が賃貸契約の時に物件の良い面しか見せないように、わたしも男には自分の知ってほしい面しか見せたくない。
男が与えてくれる情報>自分が与えている情報
という構図で恋仲を進展させることで、男を掌握したような気になれて、大変気分が良いのだ。
※やっばい奴じゃん。
このように“本音を隠して建前で接すること”は、一見窮屈に聞こえるかもしれない。
しかし、わたしにとっては、自分を安全地帯に保ちながら狙った男を射程圏内に収めることができる、一番心地のいい状態なのである。
わたしってちっせえ人間だなあ…。
男の本音と建前
ちなみに、“好きな人が自分に全てを見せてくれてるかどうか”は、結構どうでもよかったりする。
わたしは本音ではなく建前で人を判断する方なので、究極を言ってしまえば建前の方を整えておいてくれたら何でもいい。
なぜなら、わたしには男の本音がよく分からないから。
というか、本音なんかどうでもいいし、知る由もないことだと思っている。
これには、わたしにとって最も古く、身近な男性像である父親の影響が大きいのではないかと推測している。
本音では大切に思っているのに建前では厳しく当たる人の愛情を、素直に愛情として受け取ることは難しいと感じてしまう。
建前でいいから優しくしてくれる方が「ありがとう!」「嬉しい!」となりやすいのだ。
お金にしろ、愛情にしろ、わたしは分かりやすいものを好む傾向にあるのだと思う。
本音の「好き」が隠し切れていないのに、あえて駆け引きをしてくる奴なんか特にゾッとしてしまうから止めてくれ。
※もちろん、本音でも建前でも大切にしてくれる人が理想です!笑
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