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【短歌エッセイ】マスク期間を振り返る

 3月13日から、マスク着用は個人の判断で、ということになった。

 受診時や医療機関・高齢者を訪問する時、通勤ラッシュ時など混雑した電車・バスに乗車する時、重症化リスクの高い方が感染拡大時に混雑した場所に行く時、においてはマスク着用が推奨されるとは言え、もう屋内においてもマスク着用はデフオルトではない。
 ある日、職場からの帰路にて、マスクを外せと声を上げて行進している集団と遭遇した。「マスク反対」というプラカート掲げている彼らは、所謂反マスク派の団体なのだろう。
 マスク着用は個人の判断で、ということになったのだから、もはやマスク着用に抵抗するような、脱マスクを強要するような発言さえ、時代にそぐわないものになっただろうに、と思う。
 それでも、そんな時代の変遷故に、社会に抵抗する正義という自己の存在意義が失われそうな不安が、彼らを駆り立てているのかもしれない、と思わされた。声を上げるならまだマスクをしている人が多い今の内に、と。

 ともあれ、気温の高い気候になって行けば、少しずつ状況は変わって行くだろう。もう逆行はしないような気がする。
 私は、このパンデミックの期間、見聞きして思うことや体験して感じたことなどについて、多くの短歌を残して来た。
 それでも、話題がそればかりになるのも……と思い、短歌エッセイとしては1本、短歌としては1本の記事を投稿するにとどめた。

 今、この時期を機に、マスクを必要としたパンデミック期間に制作したnote未発表短歌を一挙公開し、当時を振り返ってみようと思う。


武漢という 猛々しき名 広まれり    
       世を震わする 脅威によりて

 2020年2月の作品。
 当時、中国に武漢という都市があることも知らずにいた私は、報道にて発症源の地としてこの都市名を知り、随分猛々しい名前だな、と思ったものだ。世間を震え上がらせるウイルスにマッチした、強く怖そうな名だと。
 もちろん、武漢在住民にとっては、そんなふうに思われるのは不名誉で迷惑なことかもしれない、とも思っている。


混乱に 乗じマスクを 転売し      
          暴利貪る 情の寒さよ

 同じく2020年2月の作品。
 感染拡大に伴い広くマスクが必要とされるが、市場に存在する在庫数には限りがあり、需要に対して供給が追いつかないでいた。そんな状況を好機と見て、購入したマスクを高額で転売しようとする人々が現れた。
 彼らにとっては単なるビジネスかもしれない。
 それでも、ある意味命が関わるとさえ言える物を、私利のために非情になれるその在り方には、寒気さえ感じるのだった。


目に見えぬ 敵ゆえ居所 わからずに   
        不安と疑心も 感染し行く

 同じく2020年2月の作品。
 ウイルスは肉眼で見える状態にはない。目に見えてその居所がわかるのなら、それに応じた適切な対処もできて、不必要に不安や疑心も広がらずに済むだろうに、と思ったものだ。
 それでも、見えないから、わからないからまだ幸せでいられる、と思う人もいるのだろうか。


色付きの マスクをしたる 人々は    
        白に飽きしか 品薄ゆえか

 同じく2020年2月の作品。
 それまでマスクの色と言えば白が定番だった。
 しかし、マスクの品薄に伴い、白以外の色のマスクを着用している人も次第に見かけるようになった。白に飽きたのか、品薄で仕方なく色物なのだろうか、と思ったものだ。
 今となっては、白以外の色柄物のマスクも、普段着る服のようにファッションとして特別ではなくなっている。
 時代は変わるものだ。


ついに我が 県にも感染者が出でて    
      見えざる火の粉 飛び来し心地

 同じく2020年2月の作品。
 始まりの場所は限定的であり、いかに広がらないよう抑え込むか、ということが模索されていた。
 毎日テレビのニュースを見て、私自身が在住する県に感染者が出ていないか、関心を持って注目していた。
 今となっては、見えないウイルスを限定箇所に留めておくことなど不可能だと思うが、当時は「ついに……!」と思ったものだった。


どれ程に 何の効果が あるのかと    
        尋ねたくなる 顎マスク人

 2020年3月の作品。
 パンデミック以前から気にはなっていた。マスク紐は耳にかけたままだが、本体は口元から外して顎下に下ろしている人を。
 感染が懸念されるようになると、こういう行為が尚更に気になるようになった。
 作品は、顎マスクに何の効果もないことがわかっていて、皮肉で言っていることだ。


外出の 自粛気にせぬ 若者を      
        守るモザイク 優しき日本

 同じく2020年3月の作品。
 感染を拡大させないために、不要不急の外出を控えるよう呼びかけられたが、その呼びかけには強制力がないため、全く気にかけず街中に遊びに繰り出す若者を止めることはできなかった。
 テレビのニュースではそんな若者へのインタビューを放送していたが、「気にしてませ~ん」と言って笑う若者の顔にはモザイク処理が。
 他国ではロックダウンという外出に罰金などの強制力を持つものが施行されたが、それに比べ日本はお優しいものだと、皮肉交じりに思ったのだ。


社会的距離呼びかける アナウンサー   
       テレビ画面でも 左右の端で

 2020年4月の作品。
 ソーシャルディスタンスという言葉が生まれ、感染を避けるために、生活の中において他者と一定の距離を保つことを呼びかけられた。
 病院の待合席は座っていい席と座ってはいけない席が交互に設定されたり、飲食店内の座席は4人用の席が2人用になり、向かい合う席には座らず斜めに座り合うよう指定されたりということが始まり、今も続いている。
 テレビ局内でも例外ではなく、離れて立つ複数のアナウンサーを1つの画面に収めるために引いた位置から撮られていたのが印象的だった。


出勤時 健康チェック 始まれり     
          熱咳怠さ あらば申告

 同じく2020年4月の作品。
 出勤したら、体温と、熱や咳や倦怠感などの風邪様症状がないかどうかを、専用の用紙に記入する、ということが始まった。
 それぞれに体調について意識させるためと、発症した場合の資料にするのだろう。
 同じような健康チェックは、当時とは別の、今の職場でも、現在進行形で行われている。


ゆとりある 在宅勤務は いいけれど   
        出勤すれば しわ寄せ激務

 2020年5月の作品。
 働くには通勤して出社することがほとんどという時代だったが、通勤ラッシュを避け社内での接触を減らすため、社外勤務や在宅勤務が推奨された。
 とは言え、書類やパソコンを持ち出せる会社はいいが、持ち出し不可や自宅パソコンからのアクセス不可という会社は、簡単には切り替えられない。
 結局在宅勤務では、自宅で出来る最小限の作業をたっぷりの時間を使って行い、出勤しての勤務では、溜まっていた仕事や出勤していない同僚の分のフォローで激務となり、アンバランスさに苦い思いをさせられたのだった。 


十万の 給付金くれ さもなくば     
      学校行かぬと 言う子ありらむ

 同じく2020年5月の作品。
 当時5月1日より、4月27日時点で住民基本台帳に名前がある人は、申請により特別定額給付金10万円がもらえることになった。
 これは家計への支援を目的としたものだったが、住民基本台帳に名前がある国民であれば、子供の分も世帯主へまとめて振り込まれるため、親に自分の分の10万円をくれと要求する子供もいたとか。
 生活に使う金であり、子供のお小遣いではないのだが、理解してくれる子供ばかりではないだろうな、と思ったのだった。


こんな日が 来るとは思わずにいたよね  
        窓開けたまま 冷房なんて

 2020年6月の作品。
 冷気を逃がさないように、冷房を使用する時は窓を閉めるのがそれまでの常識だった。
 しかし感染対策として強く換気が呼びかけられるようになり、冷気を得るのと両立させるために、バスなどでは窓を少し開けた状態で冷房が使用され始めた。
 パンデミックは、これまで常識だと思っていたものさえ変えてしまうのだな、と驚かされたのだった。


ネット裏 合成されし 観客は      
       熱狂しつつ シュールに静止

 同じく2020年6月の作品。
 感染対策としてイベント開催が制限され、この年のプロ野球も開幕が6月にずれ込んだ。更に、開幕後しばらくは無観客での実施ということに。
 試合はテレビ中継されたが、数試合が行われた後、テレビ画面には、投手・捕手・打者・審判というお馴染みのメンバーと共に、バックネット裏で熱狂している観客の静止画が映し出されていた。
 観客の姿がないのを寂しく感じた人がいたのだろう。それでも、熱狂しているにも関わらず静止、というズレに、何だか可笑しみを感じたのだった。


店先で 疲れた顔の 客引きが      
     美味しんですよと 語気強く言う

 2020年7月の作品。
 感染拡大により、密集や密接を引き起こす恐れから、店舗への休業要請や営業の時短要請が出されたりした。買物客の方も、様々な生活への不安から財布の紐も固くなった。
 その結果、売り上げが厳しくなった店舗もあっただろう。この店舗の客引きの言葉からは、「美味しいのにどうして買ってくれないのか……!」という苛立ちが感じられた。
 営業用スマイルをする余裕もないようだった。


泡状の ソープに慣れし 人々が     
        液状ソープに 不安を叫ぶ

 同じく2020年7月の作品。
 当時働いていたのは某所の庶務課。各部署の必要な消耗品をまとめて注文するのも役目だ。ところが、パンデミックにより感染防止のための消耗品が次第に在庫切れになり、仕方なく代替品で対処することも。
 手洗いが推奨され、需要が高くなったハンドソープ。泡状が在庫切れで液状が代替品となるが、泡状に慣れた人には、泡がウイルスを包み込んでしっかり手から除去するように感じるようで、液状だと不安だと言われた。
 形状はどうであれハンドソープだし、無い物は無いんだ、と思っていた。


カコサイタ カコサイタとの 報道は   
       新種の花を 知らするごとし

 2020年8月の作品。
 報道では連日のように、感染者数が過去最多だと伝えていた。
 しかし、あまりにも連日それを聞き続けていると、最多という言葉から、何か咲いたの? と揶揄したい気持ちにさえなり、まるでカコという新種の花が咲いたというニュースのようだ、と思ったものだ。
 記録が更新され続けることで、前日の最多はもう最多でなくなる。注意喚起のためとは言え、嬉しくはない最多のニュースを、私は少しでもポジティブに脳内変換したかったのかもしれない。


代行や オンラインでの 墓参り     
          この世の命の方が優先

 同じく2020年8月の作品。
 お盆休みに帰省して墓参り、というのが習慣化されて来た行事だとしても、この年においては控えるよう求められた。他都道府県に渡る移動などは特にだ。
 それに伴い、墓参りの代行や、インターネット経由でのオンライン墓参りを行う業者が現れ、利用する人もいた。妥協案というところだろう。
 死者の霊に対して失礼だと思う人もいるかもしれない。それでも、まだ死んでいない者の命が大事にされるのも、当然だと思うのだ。


「やるならば 無観客にて やるべき」と 
          五輪で感染懸念する友

 2021年3月の作品。
 1年遅れて開催される東京五輪を、無観客にするか有観客にするか、当時は揉めていた。有観客にすれば、そこで感染が拡大するのでは? との懸念があったからだ。無観客でやるべきと言った友人も、同様の思いだった。
 結局のところ、極少人数の有観客で行われた東京五輪が、正解だったのかどうかは、私にはわからない。ギリギリまで決定を先延ばしにしたことで無駄にせざるを得なかった多くのものがあることも知っている。
 それでも、少なくとも、開催されたのはよかった、とは思うのだ。


 初期の頃は毎月のように制作していた関連短歌が、時間の経過と共にそうでなくなったのは、題材とするパンデミックが、非日常から次第に日常になって行ったからなのかもしれない。
 振り返ってみれば、3年間余りの中でも色々なことがあったんだな、と思わせられる。
 これから少しずつ向かう脱マスク生活が、パンデミック期間を教訓にしながらも、多くの人々がより幸せを感じられる日々になることを願う。





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