推しの力、物語の力
オリンピックを観ていますか?
僕はミーハーなのでオリンピックやワールドカップのような大きなイベントは、かなり観ます。
サッカー好きなのでオリンピックでも日本代表の試合はすべて観ますし、(申し訳ないですが)普段は観ない柔道やスケートボードの種目も楽しく観ています。
何年もの厳しいトレーニングをこなし、技術を磨いてきた選手同士が競う姿は感動的です。正しいスポーツ観戦の見方かわかりませんが、選手の背景にある人間模様や家族の助けが透けて見えると、そこの物語性を見出し感動しちゃいます。
それらは他人の物語なのですが、そこに自分を投影させることで心を揺さぶられます。
スポーツ以外でも、タレントやアーティストの姿に自分の想いを重ね合わせることもあります。
その想いの究極的な形が「推し」なのでしょうか。その人の一挙手一投足を観察し、その生き方を丸ごと肯定する、信仰にも似たその思いは、ときには自分の家族や恋人よりも強い気持ちで繋がろうとします。推しが自分の一部のように感じる瞬間があると思います。
そうでなければ、ライブや試合で推しの頑張りを見て感動し、涙を流すことはないでしょう。
物語にも推しと同じ力があるように思います。物語の登場人物たちに寄り添い、一緒に体験することで、まるで彼らの人生の一部を自分に吸収したような気がします。
それこそが物語の力であり、効用なのだと思います。
「夏のピルグリム」の主人公たちは、推しであるアイドルのライブへ行くために努力をし、推しに会うためにひと夏の冒険へ旅立ちます。
「夏のピルグリム」は、推しと物語の力が合わさり、冒頭からラストまで力強く進んでいきます。
書いていたときは考えていませんでしたが、改めて物語全体を俯瞰すると、物語へ読者を引き込むために推しが必要だったということがわかります。
それは、推しの力と物語の力が似ているからだと思います。
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