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「書きたい小説」から「読みたい小説」を経由して「みんなが読みたい小説」になった話

「書きたい小説」を書いていた若い頃

自分の小説は二度変化したと思っています。
初めて小説を書いたのは中学生の頃でした。当時好きだった歴史小説を自分でも書いてみたいと思ったのがきっかけです。出来上がったものは、司馬遼太郎や吉川英治の真似みたいなもので、とてもオリジナルの小説といえる代物ではありませんでした。
小説といえるものを書いたのは、高校の頃です。三島由紀夫や村上龍、井上光晴に憧れて、純文学を書いたものです。
当時は、自分が「書きたい小説」を書いていました。自分が抱えていたやるせない思いや自分が気持ちの良い文章を小説という箱の中に放り込んでいました。
書きたいものを書いているので、読者のことを考えず、読んだ人が楽しめるかどうかより、自分が書いていて気持ち良いことが第一でした。
当時の代表作が「空っぽな未来」です。

タイトルもカッコつけていますよね。「空っぽな未来」は、クールな独身男性が、秘密を抱えた同級生と付き合い、ある事件と向き合う物語です。今読んでも内容は嫌いではないのですが、表現や文体は若いというかキザというかそんな雰囲気が作品を覆っています。
Amazonの平均評価は3.7。こういう小説が好きな人もいるでしょうし、反面キザだなと思う人もいるのだと思います。現に、そういうコメントをもらったこともあります。
空っぽな未来」のような小説を純文学系の新人賞に投稿していました。この「空っぽな未来」が二次選考を通過したのが最高で、その他の小説は一次も通過しませんでした。

「書きたい小説」から「読みたい小説」へ

このままでは小説家になれないと思い、僕は焦りはじめていました。
そこで、書きたいものを好きなように書くのでは限界があると思い、僕はたくさんの小説を読むようになりました。
プロの小説は読んで楽しく、深い余韻が残り、感動的ですらありました。もちろん、好きな小説もあれば、あまりハマれない小説もあります。自分の好みに完璧にハマる小説はそこまで多くありません。
そこで、自分が「読みたい小説」を書くことにしました。「書きたい小説」ではなく、「読みたい小説」を書く。似ているようで、かなり違います。「書きたいもの」は自分が書きたものを書いているだけですが、「読みたいもの」は後で自分が読んで楽しいと思えるものを書くことです。比較する対象は、プロ作家が書いた小説です。プロ作家に近い作品を書かないと、読者である自分が納得しません。
当時の代表作は「哀しみアプリ」です。

哀しみアプリ」は、自分が本当に読みたい小説を書いた、自分の中ではエポックメイキング的な作品です。初めて、自分という読者を意識して書いた小説でした。
当時、道尾秀介さんなどのどんでん返しがある小説にハマっていて、自分でもどんでん返しがある作品を書いてみたくなりました。
今まで多かった自分が好きな人物ではなく、物語にあった性格の人物を創造して主人公にしました。脇のキャラクターも凝っていて、ちょっと変わった天才プログラマーや、髭モジャのベテラン社員など、頭に映像が浮かぶ個性あふれるキャラクターを作品中に据えました。
哀しみアプリ」の平均評価は、4.2。「空っぽな未来」よりも好みの読者が多かったようです。自分が読みたい小説を同じように求める人が一定数いたということだと思います。

「読みたい小説」から「みんなが読みたい小説」へ

哀しみアプリ」は、新人賞でもかなり良いところまでいった気がします。それでも、受賞することはありませんでした。
次の転換点は、自分以外の読者を意識したことです。自分が読みたい、面白いと思う感性は大事ですが、それが多くの人と同じ感性かどうかはわかりません。自分の好みが偏っている可能性もあります。
それでは、新人賞を選考している編集者に「面白い」と思ってもらえないし、書籍化しても売れないと判断されるでしょう。
そこで、どういう小説が売れて、どういうエンタメが流行っているのか、調べることにしました。小説のベストセラーだけじゃなく、映画やアニメなどのエンタメを積極的に観るようにして、たくさんの人が面白いと思っている物語がなにか徹底的に調べました。

その調査をもとに書いたのが、「ふたりの余命」です。

ふたりの余命」の初稿を書きはじめたのは2018年でした。その少し前に、住野よるさん原作の映画「君の膵臓をたべたい」を鑑賞したのがきっかけでした。原作も読み、瑞々しい表現、驚きのラストに感動したのを覚えています。
小説も映画も大ヒットしていました。「きみすい」のような若者の恋愛と生命を題材にした物語を多くの人が望んでいると考えて書いたのが、「ふたりの余命」でした。
ラストシーンを書き上げたとき、この小説は今まで自分が書いてきたものと違うと思いました。
一番良くできたと思えたし、多くの人が読んで感動する姿が想像できました。自分の小説が「自分が読みたい小説」から「みんなが読みたい小説」へ変わった瞬間でした。
その予感は当たり、「ふたりの余命」は僕史上最大のベストセラーとなりました。現在の平均評価は4.3。「哀しみアプリ」の4.2とそれほど変わりませんが、評価数は769と段違いに多いです。
Amazonで人気になった「ふたりの余命」は編集者の目にもとまり、「ふたりの余命  余命一年の君と余命二年の僕」の名で書籍化されて、僕は商業デビューすることができました。
ふたりの余命」以降に書いた「タイムスリップ・ロックンロール 」も他人である読者を意識して書いた作品です。
同様に、どういう小説が多くの人に楽しんで読んでもらえるか考えて書いたのが、「ポプラ社小説新人賞」奨励賞を受賞した「夏のピルグリム」です。「夏のピルグリム」は、単行本としてこの夏に刊行され、多くの人に読んでもらっています。

商業デビューした僕は、これからも「みんなが読みたい小説」を書き続けることになると思います。商業作品である以上、多くの人が手に取り売れることが求められるからです。
「みんなが読みたい小説」を書くということは、多くの人が求めているものを提供するということです。
「書きたい小説」から「自分が読みたい小説」、そして「みんなが読みたい小説」へと僕の小説は変化していきました。
「みんなが読みたいものを書く」。今読むと当たり前のように聞こえますが、僕は長い間そのことに気付けずにいました。
このことにもっと早く気づく人もいるでしょうし、小説を書いていてまだ気づいていない人もいる気がします。
新人賞に応募しているのに選考を通過しない人は、一度「みんなが読みたい小説」を調べて書いてみることをお勧めします。見える世界が変わり、結果も変わるかもしれません(変わらなくても怒らないでくださいね)。

著者初の単行本形式の小説「夏のピルグリム」がポプラ社より発売中です。「ポプラ社小説新人賞」奨励賞受賞作です。よろしかったら書店で手に取ってみてください。善い物語です!


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