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長編小説のポイントは、いかに説明で省略するか

短編小説と長編小説の違いは、文章量で定義するのが一般的です。短編小説は大体原稿用紙で100枚以下で、長編はそれ以上の枚数の小説を指します。

小説の間に流れる時間によっても分けられても良い気がします。長編小説でも、作中に流れる時間が1週間のものもあれば、親子二代にわたって物語を紡いでいる作品もあります。
人の一生を描いた小説は、大河小説といわれることもありますね。歴史小説や、山崎豊子さんが遺した一連の作品、角田光代さんの「ツリーハウス」など、傑作が多いです。

そのような長編小説を書くには、それなりの覚悟が必要です。長い時の流れを描くことになりますので、いくつかの時代について調べる必要があります。時代によって登場人物がもっているものや話す内容も変わってきます。
特に、スマホなどのIT機器は注意が必要です。僕らの暮らしは、スマホやネットが導入された前後で大きく変わっていますし、それに合わせて考え方も変化しています。なにかを調べるのに昔は図書館や人に訊ねるしかなかったのが、現代ではネットで簡単に検索できます。
時代を跨いで描くためには、それらの変化を頭に入れておくことが不可欠です。小説の場合、映像芸術と違い、時代毎の風景を詳細に描かなくてもよいですが、スマホがあるかないかでプロットが変わっていくこともあります。
昔だったら連絡が取れずにすれ違いの場面を描くことができますが、現代ではスマホでお互いの場所をやり取りができてしまいます(なんなら位置情報を送ることだってできる)。

大河小説は、作中で登場人物の人生にさまざまなイベントが生じます。学校の入学、卒業、受験、就職、正月、節分、夏休み、クリスマス。
だからと言って、すべてのイベントを描くわけにいきません。大河小説はいかに省略するかがポイントになります。
省略するところは省略し、説明文でやり過ごし、ここぞという場面では文字数を費やして描写する。大河小説では、説明と描写のバランスが大事です。

今までに長編小説を20作以上書いてきましたが、そこまで長い時間軸の話を書いたことはありません。
長くても一年ぐらいの作品が多いと思います(エピローグで時間が一気に進む作品はいくつかありますが)。
「Ork」シリーズは、最初の「Ork」から最新作の「ニューバースの夜明け」までで20年以上の歳月が流れています。「Ork」の世界ではスマホがなかったですからね。でも、「Ork」はシリーズものです。ひとつの作品内では一年ぐらいしか時間が流れていません。
ふたりの余命」で一年半ぐらい、「タイムスリップ・ロックンロール」では半年ぐらいの時間が流れます。
一生涯を取り扱うような長い物語を書く度量(?)がまだないように思います。いつかは挑戦してみたいですね。
「宝石の国」のような数千年も時が流れるような話にも憧れます。

7月18日刊行の「夏のピルグリム」は、少女の冒険を描いた物語です。作中に流れる時間は夏の3ヶ月間です。ひと夏の間に、少女は傷つき、旅に出て、多くの人に出会い、今までにない体験をします。
多くの文字数を現在形の描写と会話に費やし、説明文をかなり少なくすることで臨場感を出したつもりです。大河小説とは別のアプローチですね。
主人公の夏子と一緒に巡礼の旅を体験してほしいから、このような手法を取りました。長編映画一本分ぐらいの物語という、僕が長編小説を書くときに自分に課したことを実行した作品でもあります。

中学生が主人公ですが、大人が読んでも充分に面白いと思います。むしろ、現状色々と疲れたり悩んだりしている大人のために書いた気もします。大河小説のように重厚ではないかもしれませんが、ひとつの人生を描くことには変わりありません。少女の必死な姿が、大人の心にも響くと確信しています。

著者初の単行本形式の小説「夏のピルグリム」がポプラ社より7月18日に刊行されます。「ポプラ社小説新人賞」奨励賞受賞作です。よろしかったら予約してください。善い物語です!





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