見出し画像

南風が吹いた気がした…旅する沖縄そば|Report

みなさんのお口の中で一度は踊り出したことがあるはず。独特の旨味と魅力が詰まった沖縄そばの味。
このスペシャルな一杯が日本全国に広まったのはいつだったんでしょうね。

大きな誘因として挙げられるのは、NHK朝ドラ「ちゅらさん」です。このドラマは、沖縄の文化や人々の生活をリアルに描き、人気を得ました。
また、安室奈美恵の活躍も大きな影響を与えました。彼女の華やかなビジュアルや歌声が全国区となり、それと同時に沖縄文化も注目されたのです。

でもそれより前はどうだったの?という声にお応えして、新聞記事を集めてみました。はりきってどうぞ!


関西の沖縄地帯(2)沖縄ソバ屋も繁盛/大阪の沖縄村“恩加村”

大阪港から西南に市街地に流れこむ尻無川の◉とッつきの川沿いに“沖縄県恩加島村”というのがある。むろん口軽族の呼称で正式の名称は「大正区北恩加島町」。この北恩加島やお隣りの小林町、新千歳町辺りの子供たちが通学する“北恩加島小学校”の在籍数1400名のうち、約半数近くが沖縄出身者の子弟で、大正区の有権者数の3分の1は沖縄出身者…ということで、この地帯の郷土カラーの色濃さは想像できよう。<略>
この町の市場通りに出ると、たちどころにいくつかの見覚えのある看板が目につく。島袋鶏卵店、仲宗根肉店…等々、沖縄ソバ屋が通りの中心部にデンと居座る。<略>
終戦当時この地帯には100名くらいの沖縄出身者の馬力ひきがいた。<略>
縁故を訪ねての移住などで郷土人の人口も膨張、「クブングヮー」という親しい呼び名の地名まで生まれ、一軒の沖縄ソバ屋が一日7~80人前も“ウチナースバ”をさばくというこの地帯なのだが、しかし「4~5トン級の船舶が停泊可能の港」建設の大阪市の構想で、付近一帯は立退地域。<略>

1957.06.10 琉球新報

大正区北恩加島は、沖縄出身者の移住により沖縄の文化が色濃く残っている。沖縄の食文化も根づいており、沖縄そば屋や地元の商店がある。終戦直後には100名ほどの沖縄出身者が住んでおり、その後も縁故による移住が続いている。しかし、大阪市の計画により港の整備が進むため、この地域は立ち退きとなる見込みだ。
という内容です。

大阪市大正区には沖縄出身者が多く住んでおり、そのため沖縄の文化や習慣がいまでもみられます。沖縄出身者や沖縄文化を愛する人々が集まる活動として、さまざまなイベントや交流会が開催されています。

イメージ写真

好評の“沖縄そば”新宿三越の琉球物産展で

天高く味覚の秋も深まりゆくきょうこのごろ、東京新宿の三越デパートで10月28日から2週間琉球物産展”が催され好評を博している。<略>
今回は特に新橋の料亭“なは”の協賛で“沖縄そば”の実演即売も兼ねて都会◉士の味覚をさそっている。食堂で始めて“沖縄そば”を食べたご婦人連はそのおいしさにぜひ家庭でも作りたい、と熱心に作り方を聞いていた。<略>

1958.11.11 琉球新報

東京新宿の三越デパートで開催されている琉球物産展が好評であり、新橋の料亭「なは」の協賛により、沖縄そばの実演販売も行われている。来場者はその美味しさに感動し、家庭でも作りたいという熱心な声が聞かれた。
という内容です。

沖縄観光は、1937(昭和12)年の神戸ー那覇の船の就航あたりから組織的になりはじめ、「沖縄視察団ツアー」が回を重ねて行われました。琉球政府は1950年代後半から日本国内に観光プロモーションを展開するようになり、沖縄の物産展は全国各地で開催され、沖縄の文化や観光資源の紹介に役立ってきました。

イメージ写真

静かなブーム“沖縄そば”/新宿、川崎に約30店/若者にうける手づくりの味

“沖縄そば”が本土観光客から喜ばれ、静かなブームを呼んでいるが、東京でも沖縄そばを出す店が増え、本土の人たちにうけている。沖縄そばといえば、古里の味を求めて食べに来る沖縄出身の客がほとんどであったが、近ごろは本土の人たちで大入り満員の店も出現するようになった。
本土における沖縄そばの歴史は比較的に古いといわれるが、初めのころは食べつけないこともあって敬遠されがちだったという。ところが、独特の味にひかれ“沖縄そば好き”が年齢に関係なく増え、若者に人気があるという。
沖縄そばの看板を出し、広く知られている店だけでも、新宿、川崎などで約30店はある。そば一杯の値段は350円から600円まで。沖縄に比べて100円~200円高い。それでも、昔ながらの手づくりそばとあって、結構うけている。「沖縄では手づくりのそばが次第に減りつつあるが、東京はまだ、昔ながらの味が残っている」と、出張で上京する際には必ず立ち寄る客もいるという。<略>
また、めんを昔ながらの技法でつくり、東京、川崎などの店に卸している埼玉県上福岡市丸山三ノ一、黒島栄幸さん(50)=石垣市出身=は「次第に東京でも沖縄そばが定着して来た。好評を得ているのは、昔ながらの味が残っているからでしょう」と自信たっぷり。黒島さんは現在、30店にめんを卸し、一日に5~600食分を供給している。

1976.12.03 沖縄タイムス

東京でも沖縄そばが人気を呼んでいる。以前は沖縄出身者が求める味として知られていたが、最近では本土の人たちも大勢訪れ、店が大盛況となっている。沖縄そばは年齢に関係なく広まり、若者にも支持されている。東京や川崎などには約30店舗があり、価格は沖縄よりもやや高めだが、手づくりの味が評価されている。埼玉県の製麺卸売業の黒島さんは、東京での沖縄そばの定着を実感している。
という内容です。

川崎市近くの横浜市鶴見区は沖縄出身者の比率の高いところで、これまたNHK朝ドラ「ちむどんどん」で話題になりましたね。川崎市内にも沖縄料理店や食材を扱う店舗が多くあり、沖縄そばや沖縄料理を楽しむことができます。新宿では2002年、新宿東口の沖縄料理店の社長が発起人となり、「新宿エイサーまつり」が始まりました。こちらも沖縄との接点は以前からあるんでしょうね。

イメージ写真

酒や沖縄ソバ携えて/南洋墓参団、最後の法要へ

あれからはや32年――サイパン、テニアン、パラオなど南洋諸島で戦没した沖縄県出身者の33年忌の慰霊法要に向かう第一陣、266人が4日午前9時55分と同午後6時の二班に分かれ、チャーター機で那覇空港を出発した。手に手に花束、故人の好物だったのだろうか泡盛、沖縄そば、それにみ霊の前で弾いて聞かせてやりたいと三味線を持参する人などウワイスウコー(最後の法要)に個々の思いを込めてはるか南洋の地に…<略>

1976.07.05 沖縄タイムス

32年前に戦没した沖縄県民を慰霊するため、266人がチャーター機でサイパン、テニアン、パラオなどの南洋諸島に向かった。彼らは花束や泡盛、沖縄そば、三味線などを持参し、亡くなった人々への敬意を捧げた。
という内容です。

慰霊団は高齢化などで年々参加者が減っていて、存続が危ぶまれています。団体での慰霊活動を取りやめたところも多くなっています。

イメージ写真

本土に旅立った沖縄そばは、最初は「何それ?」という視線を受けつつも、独特の風味に魅了された人々が増え、くちコミで広がっていったのです。
まず、お店に入ってみると、そこには南国の風情が漂っています。
独特の香りが鼻をくすぐり、胃袋を刺激します。
運ばれてきた一杯の沖縄そばを前にして、熱いスープとひとすすり。
うん、これぞ至福の味! 豊かな出汁と麺のコシ、そしてトッピングの具材の組み合わせはまさに絶妙。
これぞまさしく旅する沖縄そばの魅力なのです。

とChatGPTは申しておりました、ハイ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?