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うしろの沖縄そばSS

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沖縄そばを愛し沖縄そばに愛された男の沖縄そばサイドストーリー。♬これっきりこれっきりもう これっきりですか♬
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#沖縄そば

*都知事選応援企画*「沖縄そば屋の息子に一票を」の裏側|Report

沖縄はいま県議選の真っ最中です(6/15現在)。 来月には都知事選があり、なんといっても米国…

志村まうしろ
1か月前
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金八先生に叱られちゃう? 腐った沖縄そばの方程式|Report

巷では、紅麹または紅麹菌がすっかり悪者になっているね。紅麹サプリの摂取による副作用が原因…

志村まうしろ
3か月前
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南風が吹いた気がした…旅する沖縄そば|Report

みなさんのお口の中で一度は踊り出したことがあるはず。独特の旨味と魅力が詰まった沖縄そばの…

志村まうしろ
4か月前
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沖縄そば製麺大王現る|Report

まずこの広告内容をみてほしい。 沖縄そばは商業化された当初から、店で手打ちする自家製麺で…

志村まうしろ
6か月前
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広告代理業がほぼなかった頃のシンプルな沖縄そば広告|Report

明治末期、大正、昭和戦前期の新聞から沖縄そばの広告をいくつか拾ってみた(なかには製麺機や…

志村まうしろ
8か月前
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沖縄そばはクソメガネの増税・値上げ策に屈するのか?|Report

戦後の復興期の沖縄そばをめぐっては、価格に一喜一憂する話題が多かったようです。というより…

志村まうしろ
9か月前
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沖縄そばについて淡々と耽々とTanto|Report

はっ、10月は沖縄そば強化月間だった。油断してた。迂闊だった。 てなわけで再開します。 支那そばと今川焼/月王生 現代語要約 去る10日の月夜の晩に美栄橋近くを歩いていると、「てんぷらや」と「沖縄そば屋」が交互に軒を並べていた。一軒の店をのぞくと、客と店主が何かを談判している様子だった。傘を持った一人が店に入り、その後に二人の客が現れ、帽子職工のような横柄な者が風呂敷包を持って入店、という具合に繁盛している様子。 * * * 「月王生」というペンネームの著者によるコラ

戦争を知らずに僕らはそば食べた|Report

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって一年半が経った昨今、長期化する紛争の影響で、…

志村まうしろ
10か月前
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無銭飲食と無錫旅情は似て非なり|Report

沖縄そばがまだ希少な外食機会だったころ、無銭飲食もときどき横行していました。その様子を当…

志村まうしろ
10か月前
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カノジョ教科書広げてるときの沖縄そばの思い出|Report

前回は清明祭(墓参り)のときに那覇に行く機会があったという話でしたが、今回は学校の教科書…

志村まうしろ
10か月前
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自費出版してでも伝えたかった沖縄そばの思い出|Report

10月17日が「沖縄そばの日」なので、10月は沖縄そば強化月間とし、そば関連の記事を多めに投稿…

志村まうしろ
10か月前
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腸がちぢれるほど美味かった沖縄そばの思い出|Report

『那覇今昔の焦点』という本がある。昭和46年発行である。沖縄文教出版編集部編となっており、…

志村まうしろ
10か月前
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2000年11月の沖縄そば屋の日常を切り取りました#2|Field-note

那覇市古島で営業していた沖縄そば屋をフィールドワークした記録です。店舗名は「わらび」です…

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2000年11月の沖縄そば屋の日常を切り取りました#1|Field-note

那覇市古島で営業していた沖縄そば屋をフィールドワークした記録です。店舗名は「わらび」です(上の写真は別のそばです)。この調査は当時の沖縄そば研究会で実施したものです。 店舗の建築的特徴及び店内の様子 店舗は住宅街にある。RC3階建ての1階部分の一部を利用し、上階はアパートとして賃貸している。建物の建築年数は推定で約10~15 年。そば屋の経営者が建物オーナーである。 住宅を一部改築して店舗化した。入口で靴を脱ぎ、座卓に腰掛ける応接間スタイルで、旧住宅のリビング部分を客室