前回は清明祭(墓参り)のときに那覇に行く機会があったという話でしたが、今回は学校の教科書を買うために街に行って食べた沖縄そばの味です。戦前から戦後しばらくまで、そばはまさに憧れの外食だったわけです。
無題
名護の本屋とそばの味
前者は、『宮古島保良の土俗信仰』松川寛良著、平成7年2月の自費出版です。宮古島の平良の街にあった本屋で教科書を買い、そのあとにそば屋に行くことを楽しみにしていた学生時代の色鮮やかな思い出です。
後者は、自費出版ではありません。稲嶺一郎の自伝『稲嶺一郎回顧録 世界を舞台に』(昭和63年5月、沖縄タイムス社)です。稲嶺氏ほどの大物政治家でも、そばに夢膨らませながら本部村(現在は町)から名護まで往復したのです。
同じ本部出身者でも稲嶺氏とは逆向きのそばの思い出があります。名護に寄宿していて、本部の渡久地に帰省したときに食べた懐かしのそばの味です。稲嶺氏が1905年生まれ、この引用文を書いた中真靖郎という方は、沖縄県立第三中学校(今の県立名護高校)の12期生ですから、おそらく1925年頃の生まれで、二人の間にはおよそ20年の差があります。この間に本部のそばが格段に旨くなったというわけではなく、単に味覚の個人差なのでしょうね。アオハルです。
六.小遣い銭のこと