戦後の復興期の沖縄そばをめぐっては、価格に一喜一憂する話題が多かったようです。というよりも、新聞に取り上げるそばネタとしては、市民が興味を持つような公共性の高い話題が優先されたということですかね。
今も増税クソメガネこと岸田首相の政権下で、似たような状況が生まれていますね。
ソバ一杯で二十四円 那覇市が十日から付加税 入場、建築、サービスの三つ
店で沖縄そばを食べるにも本税と付加税の2種類が必要になる、と那覇市が改定したという話題です。付加税は他の租税の課税標準と同じ課税標準に課税するもので、法人税だの事業税だのが対象であるはずですが、このへんの事情は定かでありません。
サービス業の他については、建築業はわかるとして、「入場」とはなんでしょうか。入場料を払う業種全般なのだとひとまず理解しておきましょう。
『メシ付で二十圓也』 夏枯れにソバ安くなる
それから2年後、沖縄そばの価格が下落します。小麦粉の仕入れ価格が安くなっても値下げに踏み切らなかったそば業界でしたが、夏の暑い時期は売上が落ちてきて、客足を取り戻すために値下げやむなしとしたという内容です。採算ラインのギリギリまで落としたよ、と必死にアピールしています。
以前減らぬ麺類輸入 需要の多い中華そば
この記事のポイントは、①この頃コムギ麺の消費量は沖縄県が最も多いこと(たぶん一人あたり)、②中華麺の製造は沖縄が本土にもたらしたものだったこと、です。
沖縄がソーメン大好き県民性なのは、下手をすれば明治よりも前からだと考えられます。婚姻に際して「ソーミンムスビ」という結納にも比せられる儀式が執り行われていたほど、縁起がいい食べ物でした。
そのソーメンよりも中華麺の需要のほうが高くなったのがこの頃で、これはすなわち沖縄そばの家庭内消費が増えたためだと思われます。「家庭内」と書いたのは、この記事の最後の「そば屋は自宅製造或は島内産のものを利用している」という一文を根拠にしました。
そもそも中華麺は沖縄発祥だよ、というのも首肯できる話です。中国との冊封関係の中で中華風の調理法や食材が琉球王国時代から連綿と受け継がれてきた沖縄で、公式に沖縄そばを出す店が現れたのが明治の中~後期だと指摘されています。対して、本土でラーメンが普及し始めたのが戦後の闇市からなので(◉の潰れ字は意味としては「戦前」でしょうね)、さもありなんといえます。記事によると、中華麺はOEM生産だったことになります。
安くなりますメリケン粉 九ヵ月ぶりに輸入解禁
まだまだ小麦粉をめぐるトラブルは続きます。乾麺を粉々にして沖縄そばとして練り直すなんて、人件費まで計算すると高くなりそうな気がしますが、背に腹は代えられないといったところでしょうか。どんな味だったのか興味がありますね。