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No.42所感=^_^= 水泳~海のエピソード(まだまだありました(;^_^A)

「30歳過ぎて、水泳大会に出たこと②」の記事に、続気楽な散歩。さんが、コメントしてくれた。

それが、こちら ↓↓↓

下関の少年時代、
プールはなく
海で波があり
最初は犬かきで
慣れてくると
平泳ぎ、
平泳ぎで1km先の
島まで往復しました。😄

続気楽な散歩。さんのコメント

これを読んで、「海」「1㎞」というワードに、私の脳内センサーが反応して、今回の記事を思いつい(というか、いろいろ思い出し)た。

そして、下書きをしていたら、なんと、みゃー先生が、私の記事を引用してくれて、しかも、その記事の中に、またもや、「海」「遠泳」という、さらに脳内センサーに引っかかるワードが入っていた。

こうなったら、もう仕上げるしかありません。

しかも、1回では終わりそうにありません( ̄▽ ̄;)



水も滴る変な人

教員になる前に紆余曲折していた頃、地域の小学校で時間講師をしていた話はどこかに書いたか…
とにかく、教員になる前のこと。

私は2校の時間講師を掛け持ちしていた。
普通の体育の授業の時はいいのだが、夏のプールの時期になると、プールの授業を掛け持ちすることになる。

1,2時間目にA校で入った後、3,4時間目がB校。
移動は20分。
当然、着替える時間はないので、水着の上に、ジャージを羽織って、自転車をとばす(あ、交通ルールは守っています(;^_^A)。

いいお姉さんが、髪から水を滴らせ、ジャージを着てはいるが、水がしみだし、明らかにびしょ濡れ。
それが、自転車ですっ飛んでいくわけだから、傍から見たら、絶対変な人である。

B校は、私の母校ではなかったが、プールのつくりは母校と同じで、体育館の下で日陰、名ばかりの温水プールだった。

プール開きは6月下旬。
水温と気温を足して55℃になっていたとしても、日陰のプールは寒い。
私は、足腰がすっかり冷え、しびれるようになってしまった。

家に帰って、温かいお風呂に浸かり、仕事に支障が出ないよう努力して、何とか持ちこたえた。
若さでなんとか乗り越えたが、これは、絶対、体に悪かったと思う。
ムリはよくない。

時間講師を掛け持ちしたとしても、水着での移動はお勧めしません。

見た目も、変だし…。

臨海学校~子供編

教員になったばかりの頃、夏、6年生の臨海学校に助っ人で参加した。
臨海学校の引率は、毎年、若者の仕事である。

臨海学校のメインは、1㎞の遠泳。


この遠泳は、実は、私が小学校6年生の時にも行われていた。
時は、50年前。
小学校6年生の私は、もちろん、臨海学校に参加した。
しかし、1日目に水遊びをしたところで、なぜか背中全体に、ものすごい湿疹が出てしまったのだった。

幸か不幸か、2日目の遠泳は見学となった。
正直に言うと、不幸ではなく、勿怪の幸いだった。
なんせ、泳げるようになったとはいえ、25mから進歩しておらず、遠泳なんて絶対無理と思っていたから。

私たちが行う遠泳は、沖に向かって泳ぐのではなく、海の中に浜辺と平行におそらく50m離してやぐらを2つたて、その間にロープを張って、ぐるぐる回るというもの。10周で、1㎞。

立とうと思えば足がつく、浅瀬なのだ。
いざとなったら歩けばよい。
だから、私は途中から歩く気満々だったのだが、決して楽しみではなかった。
おそらく、気持ちの問題が体調に現れ、湿疹となったのだろうと思われる。

私の臨海学校は、湿疹のおかげで苦しいことは免除され、楽しい所だけ楽しんで終わったのだった。

臨海学校~教員編

というわけで、大人になって教員として参加することになった、臨海学校。
遠泳の、ロープの周りをぐるぐる回る方式は変わらず。

引率の大人の役割は、以下のとおり。
①陸に一人:上がってきた子の看護。
②二つのやぐらに一人ずつ:管理職、または、常駐している体育部員
③先導一人:ペースを作ったら離脱してよい(最後まで一緒に泳いでもよい)
④ロープより沖側に一人:子供は疲れてくると、沖に漂っていってしまうことがあるとのことで、そういう子を引き戻す係
⑤ロープより岸側に一人:リタイアした子や、完泳した子がヨロヨロと歩いているのを助ける係

その年、私は、⑤を担当した。
④は、同期の男性教員だった。

一人当たり1㎞泳ぐには、30分ほどだと思うが、最初の子から最後の子まで、しかも最後の方はロープにつかまって歩いたりする子がいるので、トータル1時間以上かかる。

天候は曇り。
日にガンガン照らされず、ちょうどよい、と、思っていた。

遠泳が始まると、だんだん潮が満ちてきた。
すると、始まって10分も経たないうちに、④を担当していた同期が、真っ青な顔をして私のところに走ってきた。(文字どおり、海の中を走ってきた…)
「N=^_^=先生、おれ、泳げないんだ。なんか、潮が満ちてきてるじゃん。もう怖くって…」
私は、真っ青になる人を始めてみた。本当に顔から血の気が引くんだな、と思って吹き出しそうになったが、本人はいつもの元気はどこへやら。泣き出しそうである。

この頃の私は大学の水泳実習のおかげで、平泳ぎならいくらでも泳げるようになっていたし、臨海学校前の6年生の練習にも参加して、一緒に1㎞を泳いでいた。淡水で大丈夫だったのだから、海水では楽勝。

「いいよ。おごれよ!」と、快く代わってあげた。
彼は、心底ほっとしたようで、何度もお礼を言っていた。

さて、④に位置した私。
確かに彼の言う通り、すでに足が立たなくなっていた。
だから、私は、その場で立ち泳ぎをしながらのんびりと浮かんでいた。

ところが、沖の方から、満ちてくる水が、とても冷たい。
泳いでいれば体が温まると思うが、ほぼじっと浮かんでいると、どんどん体が冷えていく。
30分ほどで冷えきった。
足の感覚がない。
浮きを取っている手も、冷たさでしびれてきた。これはまずい。
時折、お日様が顔を出すと、とても温かい。
しかし、すぐに雲に隠れてしまう。
この時ほど、太陽の偉大さを感じたことはなかった。
お願い、太陽、顔を出してくれ!

お日様が出てこないので、どうにか温かくなる方法はないかと、しびれた手を頭にのせてみる。
頭は、ずっと海面から出ているから、温かい。
頭に手を乗せると、掌に血が通ってくる感じがする。心地よい。
ほっとしたのも、束の間、しびれて思うように動かない足だけでは浮いていられず、沈む。

背泳ぎのように浮かぶと、空しか見えず、任務が遂行できない…。

これは、遠泳が終わるまで、私は持たないかもしれない。

というか、今、私の方に漂ってくる子がいたら、助けるどころか一緒に溺れる…。

もう限界、、、尻込みする彼を笑った天罰か。
私としたことが、職務放棄するしかないのか、、、と、思ったところで、最後の子が、這う這うの体で目の前を泳いでいくのが見えた。

助かった…。

私は、最後の子の後ろを一緒に泳ぎ、無事、上陸したのでした。

私と場所を変わった彼は、浅い方にいても背が立たなくなり、ロープから相当離れた所で、上がってくる子供の世話をしていた。

彼がそのまま沖にいたら、完全に新聞沙汰になっていた。
まあ、早々に変わってよかった…のだろう。

考えてみれば、途中で疲れてしまった子は、みんなロープにつかまっていた。私の出番は全くなかったわけだ。
でも出番があったときのために、⑤のポジションには、浮き輪が必要だったんじゃないの?!

夜の反省会で、私は、次回から浮き輪が必須!と力説したのでした。

泳げるからといって、海を侮ってはいけないという、戒めでした=^_^=


思い出は尽きず

残念ながら、色気のある思い出はないのだが、こうして書いていると、次から次へと思い出される。

中学校2年生のとき、友達の田舎に誘われた時のこと。
キーワード:海、クラゲ、田んぼ、蛭…

小学校6年生のとき、アパートに住むお姉さんの実家に行ったこと。
キーワード:海、愛媛、新幹線酔い、船酔い、鰻、ゴールデンレトリバー…

キーワードを見ただけで、何が起こったのだろうと思われたことでしょう。
そう、現実は小説より奇なり。
エピソードがたくさん。

普段はすっかり忘れていることが、ちょっとしたきっかけで、昨日のことのように蘇る。
このような、懐かしい、忘れたくない思い出も、このnoteに残しておこうと思う=^_^=

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