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母子登校を(ほぼ)卒業するまでの経緯【前編】/おやこで通う小学校㉖

我が家の居間の一角には最近、アイロン台が常設されている。
使い手は(もちろん)私じゃない。
珍獣(兄)だ。

小学校の特別支援学級に通う彼は、手先の巧緻性を高める目的で授業に導入されている【アイロンビーズ】と出会い
すぐにその虜となった。
やがて授業時間では飽き足らず、「家でもやりたい」と要求。
物置の奥深くに仕舞われていたアイロン一式を、勝手に引っ張り出し
iPadで好きな絵柄を検索しては、それを見ながら黙々とビーズを並べ
絵柄が出来上がると、あらかじめ水を入れ加熱しておいたアイロンをかけて、完成させている。

時には食事を後回しにして、作品をいくつも仕上げていく。
最近はiPadではなく、頭の中で想像したり、思い出したりした絵柄を再現することも。
何にしても、口元をキュッと引き締め、真剣な眼差しでシュコーーーシュコーーーーいわせながらアイロンをかけている様子を見るたび

「わたしの代わりに、アイロンを使ってくれてありがとう」

という気持ちになる。(‐人‐)ナムナム
アイロンはきっと「俺、この家で必要とされてないんだろうな」と不貞腐れていたと思うし
それに対してずっと、頭の片隅で申し訳なさを感じてきたからだ。(でも使わない)
アイロンに再び光を当ててくれた珍獣には、頭が上がらない。

同時に、彼の(謎の)集中力には恐れ入る。
わたしにそんな力はない。

珍獣は「好き/好きじゃない」「やりたい/やりたくない」が、はっきりしている方だと思う。
そして学校の先生たちは、そんな彼の特性?(わがまま?)を最大限に汲んでくれる。
アイロンビーズや、興味を持ったiPadの勉強アプリをやる時間を、長めに取ったり
ほかの時間もいくつかの選択肢を提示し、その中から選べるようにしてくれたり。
更に、彼の「好き」「やりたい」と紐付ける形で、算数や国語といった教科学習に発展させていく。
その滑らかな誘導っぷりは、さすがというほかない。
 

といってももちろん、先生たちは
「やりたくないことは全部、やらなくていい」というスタンスではない。
珍獣が、【新しいこと】に対して抱きがちな恐怖心を、声掛けや少人数編成の工夫などによって取り除きつつ
背中を力いっぱい押したり、時にはあえてちょっと突き放し、先で待っていたりして
「なんだ出来るじゃん!大丈夫じゃん!」という経験を、いくつも積ませてくれた。

教室に付き添いしてきたこの7か月、特に2学期に入ってからは
わたしは「空気」「壁」と一体化することを目指し、息を潜めていた。 
|・ω・`)ノシーン
惰性でただ付き添っていては、珍獣がいつまで経っても自立してくれず、母子登校が終わらない…( ゚д゚)と考えたためだ。
(でも休み時間の鬼ごっこには参加)

だから黙っていたけれど、本当は
珍獣に限らず、「子ども1人ひとりの学びに寄り添う」を建前でなく、本気で実践している先生たちの姿を見て
驚嘆の声をあげそうになる瞬間がたくさんあった。

ーーー(無駄に)つづくーーー

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