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おやこで通う小学校⑧「原則はあくまで普通学級」なの??

絶賛母子登校中の珍獣(兄)とわたし(母)。
30年ぶりの給食再デビューも果たし、いよいよ卒業までの見通しが立たなくなってきた。ドウスル( ゚д゚)

給食といえば、珍獣(兄)がそれを巡ってひと悶着を起こした。
でも結果的に、特別支援学級の先生に力強い言葉をもらうことができ
この教育様式の意義を、再認識する機会となった。
同時に、特別支援教育の立ち位置と社会的意義とのズレ…のようなものを痛感もした。

白衣・帽子・マスクの一団を恐れる珍獣

給食が始まる日の前日。
普通学級にて、その流れを一通り確認するデモンストレーションが行われた。
珍獣(兄)は普段、普通学級になかなか行きたがらないけれど
この時は珍しく、自分から「見に行く」と言い出した。

教室の前方には、配膳台の上に空のバケツやお皿、お箸などが準備され
子どもたちがその前に並び、配膳を練習。
全員が白衣と帽子、それからマスクを着用し
「何が何だか分からない」といった様子ながら、先生の指示に従い黙って動いていた。
珍獣はというと、入り口の前に立ち尽くして
その光景をじっと見つめていた。

翌日。
4時間目が終わり、初めての給食が始まる直前になって
珍獣(兄)が泣き出した。

「給食たべない」

もちろん本当に食欲がないわけではなく
その本心は、「変な白い服と帽子をぜったい被りたくない」とのこと。
前日のデモンストレーションは、彼にとって「奇妙」でしかなく
その心は不安でいっぱいだったのだ。

出たぁ。
「未知との遭遇」に対する、珍獣(兄)の強烈な恐怖心。
いやまさか、給食の白衣と帽子にまで発動するんかい…。( ゚д゚)

支援級の先生の力強い言葉

白衣や帽子は一応、やみくもに着用させられているわけではなく
服を汚れから守ったり、給食に髪の毛などが混入するのを防いだり
…といった目的あってのことだとわたしは理解している。
もちろん珍獣(兄)にも、説明した。
それでも、すぐに着用することは難しそうで
今はそんな珍獣を一旦受け止めるしかない。
そして「着用できる日が早く来るように、今日を含めて練習させてほしい」
と、先生に伝えてみた。

支援級とはいえ、ここは同調圧力の強い学校現場。
「皆と同じように、お願いします」とか何とか返されるだろうな…
そう思っていたけれど
先生は「それがいいですね。そうしましょう」と、微笑みながら同意してくれた。

先生の予想外の対応が嬉しくて、わたしはお礼を言った。
ただ同時に、何となく「すみません」とも繰り返していた。
『やる根拠があるのに、それを拒否することへの後ろめたさ』みたいなものを、母の立場で勝手に感じていたからだと思う。

すると先生が言った。
「謝ることじゃありません。《1人ひとりに合わせた対応》、ですから!」
穏やかに微笑んだままだったけれど、それまでと違って、とても力強い口調だった。

違和感があった、先生たちの振る舞い

この言葉を聞いた時
「この先生は、誇りをもって特別支援教育をしているんだ」と、わたしは心から安心した。
実は入学以来、普通学級・支援級問わず、先生たちの振る舞いに対して
ちょっとした違和感を抱き続けていたのだ。

珍獣(兄)は登校初日に「1組(普通学級)をやめる」と宣言。( ゚д゚)
実際には、普通学級と支援級両方に籍を置き続ける形なのだが、本人としては支援級にのみ在籍しているつもりでいる。
でも、支援級の先生たちは事あるごとに「今◯◯やっているから、1組に行ってみよう」とわりと強めに勧めてきた。
1度や2度ならまだしも、1時限ごとにそんな感じだ。
しかも、1人の先生に対して「行かない」と返事をしても
入れ替わりでやってきた別の先生から、また「1組さんに行こう」といった感じで声が掛かる。

そんなやり取りが続いたある日、珍獣はとうとう泣き出した。
「行かないって言ってるのに」

先生たちが、善意で声を掛けてくれているのはよく分かっていた。
でも、学校全体に

「原則はあくまで普通学級」
「普通学級がダメなら、支援級」

という、暗黙の了解があるのだろう…とわたしは推測した。
いやもしかしたら、職員室では暗黙ではなく、公然の原則なのかもしれない。

特別支援教育が、珍獣の性格・性質に合うだろうことはもちろん
それに学校教育の未来を切り拓く可能性を感じ、あえて選んできたため
そんな原則が存在するらしいことを、正直、残念に思っていた。

でも、給食の白衣・帽子の着用を巡るやり取りを通じて
少なくともこの先生は、特別支援教育のやり方を信頼し
これに主体的に取り組んでいるひとだ、と勝手に確信した。
学校という組織の、職員という立場上
もしかしたら、個人の主義主張とは異なる振る舞いをせざるを得ない場面が、時にあるのかもしれないけれど。

毎日現場を見ているからこそ、断言できる。
《1人ひとりの学びや、ペースに寄り添う》
特別支援教育におけるこの思想は、誰でもすぐに実践できるものじゃない。
普通学級で求められる先生のスキルとは、まったくの別物だと感じている。

(どちらの難易度が高い、ということではなく。別物なのだから比較できないと思う)
特別支援学級の先生たちには、特に昨今、その教育様式によって救われる子どもや保護者が大勢いるという事実も踏まえて
これに、自信と誇りを持ってほしい
と心から願う。
普通学級の存在を、闇雲に前提とすることなく。


…ともかく、信頼できる先生がいることが分かったし
わたしとしては安心して、珍獣をお任せできるのだけど
同伴登校、いつまで続くんだろう…。


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