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おやこで通う小学校⑨先生の衝撃的なひとこと。「生きる力」の根っこにあるもの

「やだ」「やらない」のオンパレード

新一年生にとって、特に1学期前半の毎日には、何かしらの「初めて」がある。
各教科の授業、給食時の白衣や体育での体操着の着用、生活科の課外授業、航空写真…。

「いやだー」
「やりたくないー。行かないー」

珍獣(兄)は、どれも拒否した。( ゚д゚)
いや、今もし続けている。( ゚д゚)

もともと彼は、「やりたいこと」と「やりたくないこと」がはっきりしている性分。
それに対してわたし自身も、例えば怯えて泣き叫んだり、具合が悪くなったりするほど嫌がるような事柄を、無理に押し付ける必要はないし
【「好き・得意」こそが人生の原動力になる】という考えのため
彼の「やりたい」も「やりたくない」も、なるべく尊重してきたように思う。

ただ、学校生活におけるあれこれを片っ端から拒否する彼を見て
今までの対応は、間違っていたのだろうか…
甘やかしすぎたのだろうか…
と感じていた。
実際、母であるわたしが付き添い登校をしていることで、変な甘え方をしている側面は確実にある。

先生の衝撃的な一言

そんなモヤモヤを抱えていた、ある日。
支援級の先生とわたしと、3人で校内探検をしていると
階段の踊り場に飾ってあった掲示物の前で、珍獣(兄)が立ち止まり、声を発した。

「うちゅう」

掲示物は、「コスモサークル」という糸掛け曼荼羅だった。
支援級に在籍する6年生が作ったものだという。
珍獣(兄)は以前から、宇宙に興味があって
惑星の名前や位置、特徴を覚えたり
昼間から部屋中の電気を消してミニプラネタリウムを設置・鑑賞し、わたしと妹からヒンシュクを買ったり(ʘ言ʘ╬)ミエネーヨ…
していた。
漢字全般は読めないけれど、「宇宙」の読み方は覚えていたようだ。

続けて、「これ作りたい!!」とのたまった。( ゚д゚)

えええー…。
手順はシンプルなのかもしれないけれど、精巧なつくりを見る限り
今の珍獣の手に負えるとは、とても思えない。
何より、決められた学年の決められた科目において制作するものだろうから、彼の希望には沿えないだろうなと思った。

案の定「◯◯くん、これ作りたいのー?うーん、ちょっと難しいなあ」という、先生の回答。
ところが少し思案した後、先生は代替案を示してくれた。

「コスモサークルの前に、これはどうかな?」
持ってきてくれた箱の中身は、「コースター手織りセット」だった。
織り板と、櫛状に溝の入った板、各種糸などが入っている。
一瞬で、珍獣の目に光が集まったように見えた。

この日から、時間割の隙間を縫って、コースターづくりに勤しむ日々が始まった。
途中、GWを挟んで中断したし
支援級の友達とのふざけあいで、糸を教室の端から端まで伸ばして笑い転げるなど( ゚д゚)
脱線もしたけれど
それでも珍獣(兄)は、せっせとコースターを織り続けた。

そんな姿を見て、コースターを持ってきてくれた先生が、彼にこう言った。

「先生も、◯◯くんの好きなものがひとつ見つかって、嬉しいよ」

支援級で、「好き・得意」の芽が伸びる理由

好きなものが、見つかる】
この言葉を、学校教育の現場で聞くことが出来るなんて…。
わたしは内心、驚いていた。

わたしは自分自身の経験から、学校というところは押しなべて
個々の【好き・得意】に、フタをしがちな場所だと思ってきた。
いや、期せずして毎日現場に身を置いている今も、そう思わざるを得ない場面によく遭遇しているし
一律の教科内容を、一律に子どもたちに教え込むことが、学校教育の大義名分であり続ける以上
そうした側面があって仕方ないと思う。

でも、支援級においては
そのテーマである「1人ひとりに寄り添う」が実践される過程で
【好き・得意】の芽が、必然的に大切にされることが多いように見える。
(もちろん、先生たちの人手の問題、時程との兼ね合いといった制約が多々あるので
見逃されてしまう芽もたくさんあるけれど。)

珍獣(兄)はコースター作りによって、数字を覚えたわけじゃないし、コースターというカタカナを読めるようになったわけでもない。
この経験を通じて、何が得られて何を学べたのかは分からない。
でも、自ら「やりたい」と思う気持ちを大事にできたことで
これからの学習…いや、そんな小さな枠組みに収まるものじゃなく
大げさに言えば、【生きる力】の、足場の1コを掛けられたような…。

完成したコースターを見ながら、そんなことを思った。


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