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「さあ、どうかな」…賢い農夫の口癖と天の采配

何かやろうとすると、ほとんど必ず邪魔が入る。友人たちもことごとくスムーズにいかない私を見て、何と言って慰めたらいいかと困惑する。

長い不調からようやく抜けられるかも…という状態になって、仕事を始めようとしてようやく面接にこぎつけた。

……はずだったのに、その数日前に左下半身に違和感を感じ始め、翌日には左足が上がらなくなり、さらにその翌朝…ベッドから起き上がれず、ごろりと転がってベッドから抜け出す羽目になった。

左側だけぎっくり腰みたいになっている。とても面接どころじゃなく、延期になった。まったくなんだというのだろう!次から次へと陰険な災難が、波のように押し寄せては引き、引いては押し寄せてくる。まったく!

しばらくまたイライラして拗ねていたが、その数日前…ある本の内容を知人に話したことを思い出した。この本との出会いは、私の人生に大きな影響を与えた。

ある男が農場を持っていた。彼は物事を昔ながらのやり方でするのが好きなので、農耕用機器を持たず、馬で田を耕していた。ある日男が田を耕していると、馬が突然倒れて死んだ。村人はみな「なんという災難だ」と言ったが、男は「さあ、どうかな」と答えた。

男があまりに穏やかで落ち着いているので、集まった村人はその態度に感心し、新しい馬を男に贈った。「運のいいやつだな」とみんなは言ったが、男は「さあ、どうかな」と言った。

数日後、農場に慣れていない馬は、柵を飛び越えて逃げてしまった。人々は「気の毒に」と言ったが、男は「さあ、どうかな」と答えた。

一週間後、逃げた馬は十頭以上もの野生の馬を連れて戻ってきた。「運のいいやつだ」とみんなは言い、「さあ、どうかな」と男は答えた。

次の日、馬が増えたので息子が乗馬に出かけたところ、馬から落ちて足を折ってしました。「かわいそうに」とみんなは言い、「さあ、どうかな」と男は答えた。

次の日、軍隊が村にやってきて若者を徴兵していったが、息子だけは足を骨折していたので、兵隊にとられなかった。「運のいい子だ」と人々は言い、「さあ、どうかな」と男は言った。
                  シーゲル博士の心の健康法 
                  バーニー・シーゲル著 新潮文庫

この話から、シーゲル博士が言いたいのは『物事そのものには、良いも悪いもない』ということだ。

目の前に起こる現象が、良いことや悪いことに思えても、それが本当の意味で自分のとって良いことなのか、はたまた悪いことなのか――所詮我々凡人には、時間が経たないとわからないものだ。

この「さあ、どうかな」を身につけれたら強いねと、ついこの間話したばかりだった。

ちょっとやそっとじゃ動じない、最強の「さあ、どうかな達人」「さあ、どうかな仙人」になれるのか――今それが試されている。そう思ったら何だか気が楽になった。

「面接を目の前にして、ぎっくり腰なんて気の毒に」
「さあ、どうかな…?!今は動けるようになるまで、ゆっくりするわぃ!」

そして数日、とにかく昼も夜も爆睡した。何がそんなに疲れていたんだか…謎だった。そうしてしばらく経って自由に動けるようになると、不思議なことに、2か月前からずっと取れなかった左肩の痛みが、ほぼ無くなっていた…

きっと新たに働きだす前に、自力で身体を整えていたんじゃないかと思う。バランスが取れて、全体の痛みが無くなったと。

3年にわたる凍りついた長い季節が去り、ようやく動き出す時が来たのだ。

自分のできることを精いっぱいやったら、あとは目の前に起きることを受け入れ、「さあ、どうかな」と受け流す。時には忍耐も必要だ。それでも、この「さあ、どうかな」を身につければ、いちいち右往左往しなくなり、自分を苦しめることが減る。

今起きていることが最悪に思えても、この先はどうなるかわからない。未来を信じ、自分を信じるということにつながるのだが、そんなたいそうなことを考えなくてもいい。

ただ「さあ、どうかな」と呟くだけで、今と違う未来があると思える。それは希望だ。持てない希望を「持ちなさい」なんて言うより、「さあ、どうかな」の方が、よほどいい。


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