#34 ーうつ病みのうつ闇ー 自殺…なぜ誰にも打ち明けられないのか その3 誰も責めないで

そんな、いつどうなるかわからない私が思うこと…誤解を生みかねないし、自分勝手な言い分だと言われるだろう。

ただ今回感じた、周囲から見てなぜ?と思われるような人が、自殺するまで追い詰められる感覚、過去に聴いた遺された人の苦しみ…それらをかつてないほど身近に感じたのだ。

もちろん、私にすべてわかるはずも、みんな私と同じはずもない…

私には――自殺する人の全てが、生きることを頑張れなかったとは思えない。生きることを放棄(ほうき)したとか、諦めたとも思えない。

むしろ、自殺という結末を迎えるまでに、命が燃え尽きてしまうくらい頑張ってしまった。

“普通の人達“が誤魔化(ごまか)したり、目を背けて生きていくようなことを、真剣に一生懸命に取り組んでしまった。“普通の人達”はそんな姿を見て、真面目な人だとか、繊細(せんさい)な人だとか言う。

真面目に生きたかったのか。繊細でいたかったのか…そういう風にしか生きれないのだ。時にはもっと気楽に生きたいと思いながら、ぼろぼろになるまで独りでさんざん闘った。それこそ命懸けで。

頑張らないで、力を抜いて生きるということができなかった。それは悪いことではないはずなのだが、不幸なことに、その人をうつ病という死に至る病にまで追い詰めてしまった。

それが環境のせいなのか、性格のせいなのか、運命なのか…その幾つかが重なったのか…わからない。
 
身近な誰かが、そんな風によく理由もわからず突然逝(い)ってしまった時、どうか自分を責めないで欲しい。そして死んだ人も。

このうつの黒い霧の前では、本当にどうにもしようがないのだ。全てが目の前から消えてしまう。おそらくほとんどの人は、死を考え始めてからすぐに自殺してはいない。本人の中で長い長い闘いの末の出来事なのだ。

最後、生き延びるかそうでないかは、ほとんど運だったり、必ず死を迎える死亡率100%の人間という存在の、人それぞれが持っている寿命の問題ではないかと思える。それを人は運命や宿命と言う。

どうか、人知れず闘っていたその人に、よく頑張ったと言ってあげて。辛かったねと。どうかその人のことも、自分自身も責めないであげて。

自殺した人が救われないなんて言わないで。死んだ人がどうなるかなんて、本当のことは誰にもわからない。そんなことを言って、あなたを苦しめる人からは、そっと距離をおいて欲しい。 

何かできたのではと自分を責めたり、どうして打ち明けてくれなかったのかと無力感を感じたり、後悔に苛(さいな)まれて眠れない日も、恋しくて寂しくて涙が止まらない夜も、何か楽しいことがあって笑っている時に、ふと思い出して心が痛む日もあるかもしれない。

そんな選択をしたその人に、怒りを覚えることもあるだろう…

心がえぐられて、大きな穴がぽっかりと開いたまま、耐え難い苦痛と共に止まらない血が流れるのを、ただ見つめているだけのような日々かも知れない。

流れた血が固まり、かさぶたの下で傷が癒えるまで、途方もない時間がかかるに違いない。それでもどうか…いつかは、その人も自分も…許してあげて。
 
私には、生きてる人が幸せになることが、死んだ人を慰(なぐさ)める唯一(ゆいいつ)の方法なのだと思えてならない。これはキレイゴトや単なる慰めではではなく、本当に心からそう思うのだ。

あなたが悲しむと、その人も悲しむ。きっとあなたを心配していて、自分がしたことで遺された人を悲しませたことを、申し訳なく思っているだろう。

「心配するなら、申し訳ないと思うなら、そんなことするな!」と言いたくもなるだろうが、うつのあの黒い霧に飲み込まれてしまったら、本人にももう、どうにもならない…それほど恐ろしい霧なのだ。

そしてまた、どんなに心配してくれているか、思っていてくれるか、わかっている。わかりすぎるほどわかっているから、言えないということもある。だからきっと、長いこと闘っていたのだ。独りで――

「どうして死んだの?」と訊(き)かれたら「ごめんね。どうしようもなかった」としか言えない…

あなたが笑えば、その人も安心して微笑(ほほえ)む。そう信じて欲しい。そう思って…いや、そう決めて、自分を幸せにして欲しい。その人の分も生きるとか、頑張るとか、それがあなたの回復の助けになるのなら、それもいい。

でもどうか、死んだ人への罪悪感から、自分を犠牲にするような重荷を背負い込むことはせずに、自分のために自分を幸せにして欲しい。

それが結果的に、旅立ったその人も含めた、あなたの大切な人を幸せにするのではないかと思う。相手が幸せなら自分も幸せ…本当の愛や友情とは、そういうものではないだろうか。
 

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