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#12 ーうつ病みのうつ闇ー 光を求めて…できるとこまで できることだけ

彼は数年前から、幸せについて考えているようだった。それまで彼は、周囲の人の幸せが自分の幸せだと思っていた。でも、彼自身が幸せになることが大切だと思い始めた…

いっけん矛盾(むじゅん)するようだが、自分の幸せについて、本気で考えだしたその時からうつ病が悪化し、黒い霧の来襲(らいしゅう)が増えるというのが、最近私が気がついた、私の経験だ。

考えてみれば、自分を憎み不幸にしたい人間が、自分を幸せにしようと相反(あいはん)する感情を持てば、それを強く望めば望むほど、深いところで、それまで以上に激しい葛藤が生まれるのは必然だ。

この葛藤は、いつまで続くのか。どうすればなくなるのか。光が大きければ影も大きいというが、いったい光はどこにあるんだろう。光を見る前に、影を生み出す実体が消えてしまうんじゃないか。

幸せになりたいと望めば、それ以上の力で不幸に突き落とそうと、真逆(まぎゃく)の方向に足を引っ張られる。

どうして自分は、こんなふうになってしまったんだろう。この葛藤は、この真っ黒い霧は、どうしたら私を苦しめなくなるんだろう。いつになったら姿を消すんだろう。この霧が消えるのか、私が飲み込まれるのか、どちらが先なんだろう。
 

「自殺した人の作品なんか見るから、うつがひどくなるんじゃないの?」…それは違う。誰にも言えない深い闇に苦しむ私が、彼の遺(のこ)したものに触れる時、心を痛めながらもホッとする。

彼の世界では…終わらせたい、自分が憎いなどという、他の人が嫌がり理解できない考えを、感情を…それを持っていても、顔をしかめられることも、イライラされることも、理解できないと呆(あき)れられることもない。どう扱ったらいいのかと困惑されることも、なぜそうなんだと責められることもない。

自分を苦しめる誰にも理解されなかった感情・辛い葛藤を持つ人が、ここにもいたんだと安心し、そして『お互い頑張ったね』と、何も気を遣わずに心からエールを送ることができる。心の中で、彼と自分…エールを交わすことができる。

真っ黒な闇が続く心に灯(ひ)が点(とも)り、自分の中に温かいものが流れ込んできて、それに包まれる。

独りよがりな空想だと呆れられても、自分を褒めることのできない私が、同じ苦しみを闘った彼を通して、ようやく自分を褒めることができる。
 
彼はその作品の中に、ようやく自分の思いを吐き出した。生きるという辛い時間に疲れ切って、もう終わらせると決めて、そこで初めて自分のこととして、それまで見せたことのない自分の気持ちの、ほんの一部を打ち明けた。もう自分は、いなくなると決めたからできたことだった。

私が今こうして書くのは、生きるためだ。綱渡(つなわた)りのような日々に苦しんでも、なんとか生き延びて解放され、自由になることを望んでいる。

そのために、ずっと隠してきた呪(のろ)われたもう一人の自分を陽の光の下(もと)に引きずり出し、日を浴びた吸血鬼(きゅうけつき)みたいに消えて欲しいと、何度も何度も祈った。

今は断固(だんこ)たる決意なんて持てない。またうつ病で身動きできなくなるのか、終わらせるのか、自由を獲得して母の予言通り明るいところを歩いて行くのか…どうなるかはわからない。それでも、できるところまでやってみる。
 

彼もできるところまで…文字通り、限界を超えるまで…頑張った。疲れたね。本当にお疲れ様。辛かったね。よく頑張った。誰が何と言おうと、あなたは勇敢(ゆうかん)に闘った。

弱いとか負けたとか…批判の言葉を気にとめる必要はない。どんなに激しい闘いがあったのか、彼らは何も知らない。

まして、闇が深いなどと…だから何だというのだ。誰もが恐れるその闇を覗(のぞ)いたこともないくせに。その闇と命懸(いのちが)けで闘ったこともないくせに。

自殺した人間は救われないという人もいるが、私は必ずしもそうは限らないと思う。もちろん自殺を肯定(こうてい)する気も、美化する気もない。だが、宇宙は慈悲(じひ)に満ちあふれている。人間には、とうてい計り知れないスケールで動いている。

真面目に、健気(けなげ)に、懸命に生きて、傷つき壊れた…そして、この世を去った後も誰かを癒す人を、無慈悲(むじひ)に見放すはずがない。

だからしばらく、そこで休んで。ゆっくり…いつか、再び戻る日まで。
そして私が、あなたの優しく澄んだ声を聴きながら一日を終わらせる時や、どうすることもできずに、息も詰まりそうな辛い時間を過ごす時、ひっそり呟くエールを受け取って――

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