てんまこ

昨年還暦を迎えました。次第に遠のいていく思い出を、仏教美術などの話題も交えながら、この…

てんまこ

昨年還暦を迎えました。次第に遠のいていく思い出を、仏教美術などの話題も交えながら、この機会に書き留めておこうと思います。

最近の記事

能『邯鄲』 夢から目覚めて 

2月上旬、生涯の恩人 Y氏の夫君を訪ねた時の事だ。 30年ぶりの再会の時、私たちはお互いの容貌の変わりようにしばらく言葉を失った。知らない人を見るような困ったような顔。夫君は今年91歳を迎える。 かつて暮らした街並みはすっかり変わっていて、武蔵境駅南側に広がる果樹園だけが当時の雰囲気を残していた。かつてそこに日本を代表する絵画修復工房があったのだ。曖昧な記憶の底から小さな種を拾うように、二人で亡き人の思い出を語りあった。 その日の午後、銀座に向かった。コロナウイルス感染

    • 酸ヶ湯温泉湯治 冬の巻Ⅱ

      前回の酸ヶ湯温泉湯治で書ききれなかった、その続きである。 酸ヶ湯温泉は硫黄泉(硫化水素型)だ。強い硫黄臭があって皮膚や衣類にも匂いが移り、温泉に行ってきたと分かってしまうほどだ。硫黄泉には血管拡張効果があり、血流改善に伴う温熱効果やデトックス効果が期待できるという。 一方、酸ヶ湯というその名のとおり酸性の湯なので、皮膚に対する刺激が強く、皮膚または粘膜が過敏な人、皮膚乾燥症の高齢者などは注意が必要だ。じんわりと骨身に染み入るようないいお湯なのだが、今回の滞在では肌にピリピ

      • 酸ヶ湯温泉湯治 冬の巻 

         正月明けて、今年度2度目の酸ヶ湯温泉旅館湯治である。  酸ヶ湯温泉は八甲田山麓の標高925mに位置し、雲上の霊泉とも称される。前回の滞在は6月半ば。初夏にもかかわらず蛇口からの水はキリリと冷たかった。  さて今回は暖冬とはいえ、酸ヶ湯は深々とした積雪で真っ白に覆われていて、山スキーを目当ての客で大変な込みようだ。しかも外国人客が多い。    酸ヶ湯温泉旅館には旅館棟と湯治棟があり、様々なタイプの部屋が用意されている。いつもの部屋、自炊棟3号館の6畳間は一人分の布団を敷いて

        • 報恩寺 五百羅漢

          7月17日、夏の盛りに盛岡に旅をした。 片岡球子の「面構展」を岩手県美に観に行った折に、報恩寺五百羅漢を訪ねた。父に連れられて行ったのは中学生だったので、かれこれ半世紀ぶりになる。 盛岡駅から市内中心部を走る循環バスでんでん虫号に乗り、本町通りバス停で降りた。そこから寺町の方に徒歩で進む。当時、報恩寺までどのように向かったのだろうかと、父と並んで歩く幼い自分を想像してみる。スマホを頼りに歩くと交差点に交番、その向かいに病院が現れる。ここはどこかで観た風景だ。こころに引っか

        能『邯鄲』 夢から目覚めて 

          高村光太郎のことⅡ 書「般若心経」

          地元の寺で写経を習い始めて1年が経とうとしている。先週、師匠からお借りした古い書道雑誌の頁をめくっていたら、高村光太郎の書が目に飛び込んできた。大正13年、光太郎が42歳の時に書いた「般若心経」だ。 この写経について、弟の豊周(とよちか)が次のように記している。 これまでも高村光太郎の書はいくつか見たことがあったが、自分が写経をしているせいか、端正で気品に満ちた「般若心経」に目が釘付けになった。素人だから書の巧拙はわからないが、誠実で細やかな人柄を感じた。紙面に配置される

          高村光太郎のことⅡ 書「般若心経」

          熊野古道 小広王子から

           湯の峰温泉で湯垢離を済ませた明くる早朝、本宮大社駐車場にレンタカー車を置いて、今回のスタート地点、小広王子を目指してバスに乗った。  国道311号線沿いの小広王子口バス停で降りて国道を渡り、急傾斜の舗装路をひたすら登る。あたりに案内はなく、たまたま通りかかった軽トラに道を聞けたのは幸運だった。後で知ったが、小広峠はその昔昼間でも暗い山道で、旅人は野獣や魔物に怯えながら旅したという。  ここでふと嫌な予感がよぎった。この旅行に備えてトレッキングシューズを新調し、不意の雨に備

          熊野古道 小広王子から

          熊野 湯の峰温泉

          12月初旬、熊野を旅した。日が暮れかかる頃、新宮市から湯の峰温泉を目指して車で走ると、やがて雨粒が落ち始めた。南紀線の電車に揺られた朝方は、青い空がまぶしい程の好天だったのに、山深い温泉に到着する頃には傘無しでは歩けない程の雨である。湯煙のあがる鄙びた風情と湿った雨の匂い、硫黄臭に包まれて、旅の緊張がゆるゆるとほどけていった。宿泊先である4階建ての民宿を見上げると、切立った崖に細長く張りつくように建っていた。  湯の峰温泉は熊野本宮大社へ参拝する前に温泉の湯で潔斎をする湯垢

          熊野 湯の峰温泉

          盂蘭盆万燈会

          北東北地方では大雨が続いて、今現在も停電や電車の運休が続いている。そんな折、久しぶりに陽が射したので、行くのを半ば諦めていた盂蘭盆万燈会の会場に向かった。 盂蘭盆万燈会は、地元にある真言宗の寺が毎年催している行事で、大小の何百という灯籠を寺の境内に置き、先祖の御霊を供養するものだ。 寺に着くと見た、久しぶりの夕焼けが美しかった。夕方の薄暗い境内に、小さな灯籠が柔らかな光を抱いて、辺り一面に灯されていた。小さな灯籠は、故人の戒名や氏名、申込者等が記された紙様のシートと蝋燭だ

          盂蘭盆万燈会

          『禁じられた遊び』 紫陽花

          山紫陽花が少しずつ色を濃くしている。紫陽花が咲くと、シジュウカラの弔いを思い出す。小学生の頃、シジュウカラを飼っていて、その世話は私の役割だった。鳥籠に敷いていた新聞紙を取り換えて掃除したり、庭のハコベを摘んでの餌やり、飲み水を用意するのも。 その世話が少し億劫になり、それを怠ったある日の午後、学校から帰ると、細長い容器に白いからだを逆さまにしてシジュウカラは硬く冷たくなっていた。喉が渇いて、頭が抜けなくなるほど水を欲していたんだ。初めて死というものを目撃した忘れられない出

          『禁じられた遊び』 紫陽花

          高村光太郎のこと 木彫『柘榴』

          それはつややかに光る、掌に納まるほどの小さな木彫だった。十和田湖畔の『乙女の像』を身近に知っていたから高村光太郎は馴染みのある彫刻家だったが、それらの木彫作品は自分が見知っていたブロンズ彫刻とは全く別物だった。作品の表面につけられた鑿跡の美しさに息をのんだ。およそ40年前、大学の彫塑の授業での記憶である。 O教授が持参した大きな作品集に、『文鳥』や『柘榴』、『桃』、『セミ』などの、どれも掌に納まる程の寸法の小さな愛すべきモチーフたちが頁に並んでいた。それらはうっすらと着色さ

          高村光太郎のこと 木彫『柘榴』

          根開け 春始動

          日光で暖まった木々が雪を溶かす現象を「根開け」と呼ぶ。北国に暮らすものにとって春を迎える喜びは例えようがなく、豪雪に泣いた今年はなおさらだ。勤め先の建物から「根開け」を見つけて、その健気さに心を奪われた。 木々は厳しい寒さが緩んできたのを察知してか、地下に眠っていた根が一斉に目覚めて水を吸い上げる。それが木自体の温度上昇に関与しているとも聞く。目には見えない春の始動を「根開け」はそっと教えてくれる。 先週末に引っ越しの荷物を整理していたら、ひと昔前の新聞の切り抜き帳が出て

          根開け 春始動

          彼岸 雪解けの空

          昨日は春のお彼岸だった。時折吹雪ながらも陽射しが注ぐなか、積雪に埋もれた墓石をスコップで掘り起こして参拝する家族が、テレビで放映されていた。 昨年の暮れに、学生時代に交際していた人が病で逝った。同期会で時折再会するものの、その後の人生で互いに接点はなかったのに、折に触れて悔やまれるのはなぜだろうか。 何もしてあげられなかった。 死にゆく人にどんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。 出棺の前日に、私は初めて『般若心経』を写して、お守り代わりに棺に納めた。旅の途中で怖い

          彼岸 雪解けの空

          これからnoteをはじめます

          もう40年近くもの間、スナップ写真を整理していない。昭和生まれだから、スナップ写真は紙媒体のネガフィルムから焼き付けたそれだ。スナップ写真の整理といっても大した数ではなく、ものぐさゆえに先送りしてきただけだ。そうして記憶の整理を怠ってきたせいか、自分の来し方が思い出せなくなっていることに気が付いた。めまぐるしく引っ越しを繰り返してきたせいもあるだろうか。いつも一緒にいた友人も、気がつけば姿が見えなくなっていた。 だからここらで、スナップ写真を整理するように、過ぎ去ったことや

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