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熊野古道 小広王子から

 湯の峰温泉で湯垢離を済ませた明くる早朝、本宮大社駐車場にレンタカー車を置いて、今回のスタート地点、小広王子を目指してバスに乗った。
 国道311号線沿いの小広王子口バス停で降りて国道を渡り、急傾斜の舗装路をひたすら登る。あたりに案内はなく、たまたま通りかかった軽トラに道を聞けたのは幸運だった。後で知ったが、小広峠はその昔昼間でも暗い山道で、旅人は野獣や魔物に怯えながら旅したという。

 ここでふと嫌な予感がよぎった。この旅行に備えてトレッキングシューズを新調し、不意の雨に備えてレインポンチョも購入した。けれども一番肝心なルートマップが手元に無いのだ。世界遺産だから案内標識は煩いくらいにあると思い込んでいた。あまりの好天に油断して、新調した雨具も車中に置き、手元にあるのは500mlの水1本と民宿に頼んでこしらえてもらった握り飯だけだった。

 不安に囚われると人間というのは弱いものである。どこを歩いているのかわからない心細さ。道標のない人生とはかくも頼りないものか、などと考えているうちに、草鞋峠の上り坂が始まる。案内板によれば、草鞋峠とはここで草鞋を履き替えて悪路に備えた場所、あるいは蛭降峠百八丁ともいわれ、旅人は山蛭に悩まされた場所だというから山の深さが想像できよう。

 女坂の急坂をやっとのことで下りきると林道に出た。ほっとするのも束の間、「迂回路」の小さな看板があるではないか。2011年の台風の影響で迂回路が設置されていることなど知る由もない。呆然としながらも地図を持たない私達は引き返すこともできず、案内板に記された手書きの矢印を信じて進むしかなかった。しかし行けども行けども次の案内板は現れない。

 法華経の化城の譬えという話がある。遠くの聖地を目指す一行が、疲れ果ててしまったとき、幻の中継ポイントを設定して導く話である。熊野の神よ、迷える私たちにもどうかウパーヤ(方便)をお示しくださいと祈らずにはいられなかった。

熊野の地は温暖多雨で、シダの繁殖に適した自然環境に恵まれている。それを証明するかのように古道の周辺には緑色が鮮やかなコケ植物が繁茂して美しい。

 難行苦行の末に辿り着いた蛇形地蔵は、鬱蒼とした杉林の中にあった。ふと、杉の木肌は赤味がかった優しい色だと気付く。目的地が確かにあった安堵感で不安が和らぎ、蛇形地蔵尊を参拝する。
 しばらくすると次第に上り坂になり、やがてつづら折れの急坂になる。既に正午、足下がふらつき空腹も覚えたので休憩をとることにした。温暖といえども12月なので、日陰に入ると汗が一気に冷える。微かな日当たりを見つけて腰を下ろし握り飯を食べた。水は殆ど残っていない。

 あとどの位歩くのか途方に暮れていると、こちらに向かって参詣者が歩いてくるではないか。熊野古道を歩くのは2回目というその女性に、ルートマップを見せて貰うことができた。そして発心門王子まで行けばバスに乗れると助言を貰い、とにかく道を急ぐことにした。当初計画したのゴール地である熊野本宮大社までは、到底歩いて辿り着ける距離ではないことをこの時やっとわかったのだ。

古道に沿う川の水は不思議な青色をたたえて流れている。

  しばらくして小さな橋を渡ると湯川王子である。この辺りは田畑や石垣の跡が残り、なんとも不思議な気配があった。道湯川の集落である。この辺りはかつて道湯川村があったが昭和31年に廃村となったらしい。薄暗い林の中にたたずむ廃墟なのだが、木漏れ日が差し込んでいたせいか幻想的な光景だった。案内板によると貴族たちは湯川川で禊ぎを済ませ、ここで宿泊や休憩をとった。後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家の日記にも「湯河宿所」と見えるらしい。今少し留まってこの雰囲気を味わいたい気持ちがあったが、陽が傾き始めていた。


三越峠関所を下って猪之鼻王子に向かう


三越峠のバス案内

 トイレ休憩所とバスの時刻表があるという三越峠は、舗装路のある開けた場所だった。三越峠は口熊野と奥熊野を隔てる境界とされ、中世には関所が設けられていたそうだ。そこから下っていくと、音無川沿いの林道に入る。この平坦な道がずっと続けば良いのにと祈りながら、バスの出発時刻に間に合うかぎりぎりだったため、辺りの風景を見過ごして先を急ぐ。やがて猪之鼻王子に着くとそこから発心門王子まで、最後の急な階段状の上り坂が続く。前の週までコロナ感染で臥せっていたせいか息が上がるが、最後の力を振りしぼって登ると赤い鳥居が見えてきた。発心門王子であった。


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