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報恩寺 五百羅漢

7月17日、夏の盛りに盛岡に旅をした。

片岡球子の「面構展」を岩手県美に観に行った折に、報恩寺五百羅漢を訪ねた。父に連れられて行ったのは中学生だったので、かれこれ半世紀ぶりになる。

盛岡駅から市内中心部を走る循環バスでんでん虫号に乗り、本町通りバス停で降りた。そこから寺町の方に徒歩で進む。当時、報恩寺までどのように向かったのだろうかと、父と並んで歩く幼い自分を想像してみる。スマホを頼りに歩くと交差点に交番、その向かいに病院が現れる。ここはどこかで観た風景だ。こころに引っかかりを感じながら、交番を右手に折れるとまもなく報恩寺である。

禅宗寺院の風格を感じさせる山門

豪壮な山門に迎えられる。境内には木陰が涼をつくっていて、蒸し暑さから救われる思いだ。そこをくぐると目の前に本堂、向かって左手に土蔵作りの建物がある。ここが五百羅漢堂である。

左手の白い土蔵が羅漢堂 

下足を脱いで本堂から入り、受付を済ませて渡り廊下を行く。
土蔵作りのぶ厚い扉の奥に、羅漢像が暗がりにひしめいているのが見えた。ひんやりとしたお堂には誰もいない。

土蔵作りの羅漢堂入口

羅漢さんが座っている棚は天井まで5段もあり、照明が当たらない上方の羅漢さんはほとんど見えない。中央の廬舎那仏が立つ壇の裏手にも羅漢さんたちは居るのだが、暗がりで表情までは確認できなかった。

像の配置はおそらく何百年もかわっていないのではないだろうか。そんなことを思いながら眺めていると、ひときわ胸の辺りの金が剥げて下地の黒漆が見える一体があった。伏し目がちの穏やかなお顔の羅漢さんである。今では仏像保護のためにアクリル板が回されているが、かつて人々は様々な祈りを込めて羅漢さんの胸を撫でたのだろう。

黒漆のあばら骨が浮き出た羅漢さん お顔も撫でられらて黒びかり

羅漢さんの中には玉眼が入っているものもある。気のせいかこちらが動くと小さな視線もそれにあわせて動き、羅漢さんに見つめられているようである。お堂の中をめぐっているうちに、ふとお堂の床が気になった。床は黒色の石張りで、下足を脱いだ観覧者のために板状の歩道が回されている。

確か父と訪ねた時は、足元から冷気が上ってくるような寒さだったのだ。当時、お堂には下足のまま入り拝観できたのかもしれない。

遠目ではあるが大きな欠損がある像は見当たらず、羅漢さんの保存状況は良い。パンフレットに拠れば、享保年中に京都で制作され報恩寺に移送されたというから二百九十年近い時が経っていることになる。おそらく外気の影響が少ない土蔵造りが、羅漢さんを守ってきたのだろう。

石張りの歩道が堂内にめぐらされている

旅を終えて、早速スマホで撮った画像を老父に見せにいった。すると父は部屋の隅から盛岡市の古い地図を取り出して、報恩寺の位置を探し始めた。今回なぜか気になって撮った交差点の病院の風景。それは母が二年間もの間入院していた病院だったことがわかった。あれから半世紀もの時を越えて、病を抱えながら父も母も懸命に生きてきたのだ。私たち家族のある小さな物語が、くっりきと輪郭を伴って浮かびあがった瞬間だった。

誰かの面影を探しにくる人、あるいは変わらぬ佇まいを求めてくる人、様々な人々の言葉にならない思いを受け止めてきた羅漢さん。コミカルな表情で微笑みながら、それでいいよと赦してくださったような気持がした。


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