「美しさと年齢」と「子供ごころとマナー」ふたつのことを書きます。

お疲れさまでございます。今日は、なにを書こうかと題材を探す時、noteの投稿からヒントを頂くことがあります。

今日は、二つの記事がヒントになりました。

① 年齢を重ねて美しくいること
② 子供の時からマナーを教えること

どちらも、50才前後くらいの女性の方が書かれている感じがしました。どちらも、タイトルではありません。こんな感じのことが書かれていたということです。



◇ 違和感

どちらも違和感を感じました。なんか違う。そんな感じです。

きっと、どちらの内容にも賛同者は多いと思います。ひとつずつ書いてみます。書きます。



◇ 年齢を重ねて美しくいること

まずは、「美しい」の観点がちがえば、ちがってくるのではないかと思いました。

美しさとは何でしょうか?姿形もさることながら、自分が本来の自分で在ることが輝く美しさだと存じます。

本来の自分は、個性の塊なので、個性が生かされることが美しいにつながるような気がします。輝き方がちがうと思います。

常識や、社会が決めた美しさは、ある一定の決まりごとの中にあります。多くの人が、同じような美しさの観点を持っているので、それが美しいと言われます。

そして、いつか気がつくと思います。輝き方が違うことに。



◇ 子供の時からマナーを教えること


子どもは、子供の時ぐらいは、子供だから、遊びつくした方がよいと思います。子どもの時にしか見えない景色があります。子どもの時にしか、聞こえない音があります。

子どもだからこそ、感じる感覚があります。子どもだからこそ、自然と近いのだと存じます。やはり、自然ととことん遊ぶことをしてほしいです。

とことん遊ぶことと、マナーとどちらが「人として」生きる時に活きてくるのでしょうか?

きっと、人は社会の中で暮らすので、社会の中で常識的に過ごすためのマナーが必要だということだと思います。

人としての常識が欠けるから、マナーが必要になります。人として、社会の中で生きていきますが、人として自然と共存するためには、遊びがトコトン必要だと感じます。



◇ 結び。

まとまりのない話でした。いつか、こんな風にまとまりのない話をまとめていきたいと思っています。

では、では。

明日も!会いましょう!


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