見出し画像

音の中にあるものは

最近、「a」と「wa」の音を出しています。ひたすら声を出していると「a」の中にもいろんな音が混ざっていることに気が付きます。見えてくるのは「m」や「z」私の出す「a」の音には他にもいろんな音が混ざっていて、聴いていると万華鏡のように変化している。「a」が出る手前にザラザラとした幕を通り抜ける時もあるし、小さな「s」のような震えが寄り添っていることもある。

そして同じ「a」を出していても喉の奥の形が様々に変化していることにも気づきます。私は割と喉の奥が閉じた状態で「a」を出しているようで、その喉奥の表面を緩めてあげると、また音の質が変わります。

「wa」を出していて感じるのは、意識しないでこの音を出すと「wa」がすぐに「a」になってしまうこと。そして意識することで「wa」は「wa」でいてくれるということ。「wa」は「w」と「a」でできた「面」のような音だと捉えていたけれど、よくよく感じながら出してみると「u」と「a」が混ざり合った音なのだと。きっとこれは日本語的な音の捉え方であり、出し方。 音霊的な多角的な音の発し方球として捉える音の出し方。今まで「w」と「a」の「面的」な重なりだと捉えていたのは西洋的な音の捉え方だったのだと、私自身が音に対してどのような概念を持っていたのかに気づかされます。出していって思ったのは「wa」は「uao」というような丸い音だということ。このuの音が縦に降りるような響きを体内に響かせてくれるということ。この感じ方もほんの数十分声を出すことを3日くらい繰り返しただけの発見なので、この先、私の音に対する感覚がもう少し深まってくれば、感じ方も発し方も変わるのでしょう。

そういう感覚が深まるごとに、きっと私から発せられる音も深まっていて、深い調和に向かっていくのだと。今出している私の音なんて、不協和音のようなものとしか感じられなくなる時が来るのかもしれない。

音というのは出した音を自分の耳で聞くことができるので、音の濁りや雑さというのを自分で感じやすい。それがそのまま、私の気づきの浅さであり、雑さなのだなと、それはそれで愛おしく思う。

舞踊というのはそれを身体の動きを通してやるもので、気づきが増えれば増えるほどに、私から発せられる動きは調和に近づいていく。
まだまだ、濁りや雑さ、荒さが目立つ私の動き。

心の状態がそのまま現れている。
そんな時に、呼吸を見つめる時間を作りたいな、と思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?