氣のオーガズム
私たちは肉体を超えて氣で交わることができる。それは微細な感覚を開くところから始まる。微細な感覚が開いていくと、触れ合うことで2人の間にある氣は動き、その人の纏う氣が動き始める。氣が動くことは肉体を動かし、氣の動きによって生まれる超自然な野生的な肉体の動きを産む。それは頭で考えて、思考や感情によって生まれる動きとはまるで違う質の動き。
「こう動かざるを得ない」「こう動くしかない」というところへ、強い衝動と共に身体は自然と動いていく。その動きの中でさらに氣は動き、私たちの経絡を通し、ツボというツボを刺激し活性化していく。
その氣の流れを一度キャッチして、その感覚的なスイッチが入ると、私たちはあらゆる小さな氣の動きをキャッチするようになる。
それは触れ合わなくても起こるようになる。目線だけでも氣は動く。氣が影響を与え合うのには距離も関係なく、オンライン上でも氣は動く。肝心なのは微細な動きをキャッチできる感覚が開いているかどうか。動かす感覚というよりも、耳を澄ませて聴き、キャッチする感覚が開いているかどうか。
見つめ合う。ただそれだけで氣は動く。感情とは別のところで涙が溢れる。「氣が動いているな。」と感じる。これは特別なことではなくて、私たちにはもともとそのような機能が備わっている。それが発動しているかしていないか。それだけ。
現代の私たちが暮らしている社会の中で、その機能は「ない」ものとして扱われているし、その機能が発動しないようなシステムが張り巡らされている。氣を感じる感覚は嘘を見破る感覚。真実を見つける感覚。それと似ているから支配層にとって邪魔になる。できる限り、感じず、感覚から思考せず、盲目であることは、支配層にとって有益。
感じず、感覚から思考せず、盲目であるようにするためには、大きな音や粗雑な音、匂い、触覚など、粗雑な刺激に慣れさせること。微細な感性とは真逆の、荒い情報の海に人間を漬け込むこと。荒い情報は荒い言葉を生み、荒い言葉は粗い感性をさらに引き寄せる。
氣づきがあれば、私たちは「微細な感覚を麻痺させるシステム」から自分を切り離すことができるし、それを通して微細な感覚を発動させていくことができる。
荒い情報から距離を置くようになれば、あなたが今「心地いい」と思うものは変わっていくし、変わっていけば纏うものは変わっていくし、それと同時に纏っていく氣も変わっていく。
そして氣と氣で繋がり響き合う仲間と出会っていく。そして響き合う感覚は、さらに微細な感覚を開き、氣を貯める力を強める。
自分の感性の粗雑さに氣づくこと。
氣のオーガズムはそこから始まる。
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