萬年飽き性の私が、ほぼ日手帳を続けられたわけ
「ほぼ日手帳を、ほぼ日続けてみる」という目標を掲げて早2か月ちょい。体調が悪い日を除き、言葉通り、ほぼ日続けられています。3日坊主にも至らぬ、1日坊主の私がここまでなにかを続けてこられたのは初めてです。
そんなわけで、本日は1日坊主から卒業を促した、ほぼ日手帳(敬称略)をべた褒めする回にしたいと思います。
そもそも、なんで続けてこれたのか、と自分なりに考えてみたところ、
自由度が高い、強制力がない。
という、ほぼ日手帳の特徴にあるように思いました。
ほぼ日、何をその日のページに書いているのかと申しますと、その日であった言葉や感情、見た映画やネットサーフィン中に見つけた欲しいもの、つくった料理のレシピ、などなど。
(1.18sat 映画Littleforestの冬を見た日,レシピのメモ書き)
ふと思い出した、音楽の歌詞を書き写すことも。
私にとっては、日記に近い自由帳のような使い方をしています。
ページをめくるたび、明日はなにを書こう。
書けることをしてみようかな、なんて思いたって外出することもあり、ほぼ日手帳が最近の生活のモチベーションになっています。すごい、ほぼ日。
そう、この手帳の中ではなにしたっていい、自由なの~
そして、もう一つのほぼ日の魅力、強制力がない、こと。
例えば、私が今までに続かなかった一例をあげますと、
映画備忘録
昔から映画がすきなので、見るたび感想文を記録していけば内容を忘れることもないし、なんかマニアっぽくてかっけぇぇと思い、レトロな可愛いノートを買ったことがあります。しかしながら、お察しの通り、2.3作品をみて記録したものの、その後は映画を見てもそのノートを開く気にならず。気づけば、放置。そのあとのページは白紙のまま……勿体ない
極めつけは、ノートの表紙にタイトルなんて、油性マジックで書いちゃったからメモ紙にするしか使い道もなく……とほほ
こういう場合、映画記録と決めたなら、映画記録をするしかないノートが生まれるのです。必然的にそのノートを開けば、映画のことを書かなければならないという強制力がこんにちは!するのです。
この強制力をめんどくさがる人種にとっては、例え好きなことであっても続くことはないのです。どうせ、続かないのに興味は尽きないから勿体ないノート達がお部屋にちりつもしていくのです…エンドレス
そんな勿体ないサイクルから、救ってくれたのが、ほぼ日手帳なのでした。
この「ほぼ」日ていうのが、一日坊主の私にとってはありがたい言葉。
毎日、書く必要はないのよ~☻
なんて言われたら、
まぁそう言われても書いてみようかなぁ☻
なぁんて、気持ちになってくるのです。(やるなといわれたらやりたくなる原理と似てるような)
もちろん、表紙にはタイトルをかくスペースもないので(笑)
(1.12sun 意外と読めない漢字をメモ。湯湯婆と湯婆婆の違いをイラスト付きで記載、なぜか)
用途を変えたって…いい (既視感)
強制の「き」の字もない手帳だから飽きないのだと思います。
まぁ、まだ始めて二か月ちょっとなのでどこまで続くかは分からないですが、ね??
だって、一日坊主だった私のことですから、二か月坊主なんてこともありえないことは、ないのです…
今後もほぼ日続けていけたらいいかな、と緩く考えて
今日のページを開こうと思います。
今日は令和2年2月22日、にゃんにゃんにゃんで猫ちゃんの日だそう。。
ほほう、
今日のほぼ日のネタはこれで決まりですね。。
PS .拙い文章にお付き合いありがとうございました。最後まで読んでくださった貴方にとって今日も、素敵な一日となりますように。
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