アナログ派の愉しみ/映画◎山内鉄也 監督『忍者狩り』
コワイことでは
史上屈指の時代劇だろう
コワイことでは史上屈指の時代劇だろう。『忍者狩り』――。これがデビュー作となった山内鉄也監督以下、平均年齢26歳の若いスタッフが妥協なくつくりあげた、酸鼻きわまる集団抗争のドラマだ。
徳川三代将軍・家光のころ、幕府は豊臣恩顧の外様大名をスキあらば取り潰すべく虎視眈々と狙っていたところ、松山藩蒲生家の当主が重病にかかり、幼い子息への家督相続を定式どおり認めたものの、そのお墨付きをひそかに奪い返してご破算にしようと、公儀隠密に密命が下される。一方の蒲生家ではこうした不穏な動きを察して対抗するために、これまで同様の手段で主家を取り潰された経験を持つ連中を雇う。ここに闇の蔵人を首領とする甲賀忍者一派と、和田倉五郎左衛門ら4人の浪人による壮絶な闘いの火蓋が切って落とされた……。とまあ、ストーリーの枠組みはごくわかりやすい。
前半の山場は、蒲生家が最近召し抱えた6人の藩士のなかに忍者が紛れ込んでいることが判明した場面だ。和田倉はかれらを拷問にかけたあげく業を煮やして、刀を引き抜くなり片っ端から叩き斬っていき、5人目までくると相手が素早くジャンプして正体を現したのを一撃で仕留めた。殺戮が終わったとき、最後に残った6人目の男はすでに発狂しており、周囲の家臣たちに向かって和田倉は傲然と「こうしなければ忍者は斬れんのだ!」と言い放つ。その双眸にも狂気の光を漲らせて……。
この和田倉の役に扮したのは近衛十四郎(松方弘樹、目黒祐樹の父)だ。戦前からの剣劇俳優だったかれを、わたしたちの世代はテレビ時代劇のユーモラスな素浪人役として知っているけれど、その本領はパワフルな殺陣(たて)であり、また、それ以上にチャンバラのさなかの、他のスター俳優には真似できないほど真に迫った表情であったろう。
最後のクライマックスでは、お墨付きの奪取に失敗した闇の蔵人がもはやなりふりかまわず、藩主の葬儀にあたって、世継ぎの幼君と護衛を霊廟に閉じ込めて一挙に殲滅しようとする。凄まじい斬り合いの末、闇の蔵人に両足の腱を切断された和田倉こと近衛の、這いつくばったまま身動きできぬ恐怖を露わにした形相の凄まじさといったら! 観ているこちらまで顔面が引き攣ってしまうほどだ。結局、同僚が針で両目を潰されながら闇の蔵人にタックルして「和田倉さん、早く!」と叫び、その男もろとも串刺しにしてようやく息の根を絶つ。モノクロームの画面からも鮮血が飛び散り、生臭い熱気が襲ってきて、この映画を観たあとの夜はいつも夢見が悪くなるのだ。
『忍者狩り』が劇場公開されたのは1964年秋だ。ということは、先の東京オリンピックが開催されたころに映画館にかかっていたわけで、華やかなスポーツの祭典と同時に、このドラマも時代を反映していたはずだ。ひとつの裏切りを消すために疑いのある者すべてを排除する、また、満身創痍となって強敵を斃した和田倉がラストシーンで藩を去っていくように、結局はだれしも組織の論理の前に使い捨てにされる――。平均20代の若い映画制作者たちが見つめていたのは、高度経済成長を成し遂げた日本社会が孕む無残なハラスメントの構図だった。
だった? それは果たして過去の話だろうか。半世紀あまりが経過して、すでに2度目の東京オリンピックも済ませた現在の日本社会では?