アナログ派の愉しみ/本◎『源氏物語』

そのとき光源氏が
密通の柏木に突きつけたものは?


阪神・淡路大震災(1995年1月)から東日本大震災(2011年3月)へと続き、さらに今後30年以内に南海トラフを震源域とする巨大地震の発生確率が70~80%といわれるなかで、マスコミはしきりに日本列島にとって「千年に一度」の地球物理学的な事態だと伝えてきた。その見解にもとづくと、いまから千年前の事態とは西暦9世紀後半、平安初期の貞観年間(859~877年)前後のことで、約半世紀にわたり東北から九州までの各地が大地震や大津波に見舞われ、また、富士山をはじめあちらこちらの火山が大噴火を起こした記録が残っている。

なんら科学的な知見のなかった当時、人々は阿鼻叫喚の地獄絵図にひたすら恐れおののくことしかできなかったろう、と想像をめぐらせながら、わたしは自然災害の年表と社会文化の年表を重ねてみて重大なことに気づいた。ちょうどこの時期に、ひらがなが現われたのである。それまで中国の漢字を借用しての和文表記が試みられてきたところ、独立した文字体系として発祥し、藤原氏の摂関政治の宮廷でおもに貴族の女性たちの手によって育まれ、やがて世界に類を見ない女流文学の隆盛が現出したことは周知のとおり。これはただの偶然だろうか? ついに紫式部の『源氏物語』(1000年ごろ)をもって頂点をきわめるという成り行きは、ひとつの仮説として、日本列島の未曾有の危機的状況が新たな物語の地平を切り開いた結果と考えられはしないか。

もとより「千年に一度」の事態にまつわる仮説を立証のしようもないのだけれど、わたしはもうひとつ、それよりスケールは小さいながら類似の現象が思い当たる。太平洋戦争の敗戦(1945年8月)後、荒廃した焦土から「団塊の世代」の大島弓子、山岸涼子、池田理代子、里中満智子、萩尾望都らの少女マンガ家が輩出したことだ。彼女たちの描いた物語もまたおよそ世界に類を見ないもので、かつての平安女流文学と同じく、やはり「性」の深淵が凝視されていた……。

つまり、こういうことではないだろうか。それが天災であれ、人災であれ、この日本列島がまるごと滅亡しかねないくらいの危機的な状況に瀕すると、そこから新しい種子が芽吹くように未知の表現方法が現われる。その主役は新たな世代の女性だ。なぜか。まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図と化した国土にあって、つぎの次世代への生命連鎖を担う女性たちは底知れぬ実存的恐怖と対峙するはずだ。しかし、彼女たちは必ずそれを乗り越えて未来へと歩みだす。そのとき、もはや逃げも隠れもせずみずからの「性」と向き合うために、できあいの価値観ではない、まったく新たな表現方法によってアップグレードされた物語を必要とするのではないか。

もし上記の仮説が成り立つならば、現在われわれが直面している日本列島の地殻変動が終息したのちには、ふたたび「千年に一度」の傑作と相まみえることができるだろう、あの『源氏物語』のような――。たとえ自分自身では目撃できないにせよ、そんな未来を固唾を呑んで見つめないではいられないのである。

その『源氏物語』をわたしが読んだのはずいぶん以前のことだが、実際、これまで出会ったなかで最もエキサイティングな読書体験だったと断言できる。いまだに深く記憶に刻み込まれているシーンを書き抜いておこう。全54帖のうちの第35(ないし第34の後半)にあたる「若菜 下」の一節だ。

光源氏は、ふたり目の正妻・女三の宮と、長男・夕霧の親友である柏木(衛門の督)がひそかに契りを結んでいたことを知ると、ある日、そのケツの青い相手に向かって、「年寄りは酔うと泣けてくるのを若いあなたは笑うでしょうが、いずれあなたもそうなるのですよ」と告げて、無理やりに盃を勧める。すでにことが露見した恐れのあまり柏木は気分がすぐれず、頭痛さえ襲ってきて、なんとか逃れようとするものの断じて許されない、という個所を原文のひらがなで。

 主人の院、「過すぐる齢に添へては、酔ひ泣きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門の督心とどめてほほゑまるる、いと心はづかしや。さりとも今しばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老はえのがれぬわざなり」とて、うち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈じて、まことにここちもいとなやましければ、いみじきことも目もとまらぬここちする人をしも、さしわきて、空酔ひをしつつかくのたまふ。たはぶれのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば、けしきばかりにてまぎらはすを、御覧じとがめて、持たせながらたびたび強ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての人に似ずをかし。

ここには、優雅をきわめた平安貴族が、いったん自己の「性」の領域に闖入してきた者に対して向けるまったく別の顔つきが窺われるのだ。結局、柏木はこのあと病床に伏して、そのまま息絶えてしまう。光源氏が強要した盃の正体について、紫式部は何かしら暗示しているようにも思えてわたしは戦慄を禁じえないのだが、深読みに過ぎるだろうか?


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