アナログ派の愉しみ/本◎芥川龍之介 著『蜘蛛の糸』

まっさかさまに地獄へ
転落した罪人のその後は


芥川龍之介の作品のなかで、わたしがとくに興味を掻き立てられるのが『蜘蛛の糸』(1918年)だと言ったら奇異に聞こえるだろうか。理由はこうだ。華々しく文壇にデビューして間もない時期に、鈴木三重吉が創刊した雑誌『赤い鳥』のために初めて児童文学を書いたという経緯から、とかく一言一句まで技巧を凝らしがちな芥川にしては平明なつくりで、そのぶん、かれの心底にあったものが垣間見えるように思えるからだ。

 
あらすじを紹介するまでもないだろう。ある日、お釈迦さまが極楽の蓮池を覗くと、はるか下方の地獄ではおびただしい罪人たちが苦しみもがく光景が広がっていたところ、そこに犍陀多(かんだた)の姿を認める。この男は人殺しの大泥棒なのだが、かつて小さな蜘蛛を救ってやったことがあったので、せめても報いようとお釈迦さまは一本の蜘蛛の糸を垂らしてやる。すると――。

 
 犍陀多はこれを見ると、思わず手を拍って喜びました。この糸に縋りついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいることさえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられることもなくなれば、血の池に沈められることもあるはずはございません。

 
かくして犍陀多は勢いよく登りはじめたのだが、ふと自分のあとから大勢の輩がついてくるのに気づいて追い払おうとしたとたん、手元で糸が切れてまっさかさまに転落してしまう。そのありさまを眺めたお釈迦さまは悲しげな顔をして、またぶらぶらと歩きだしところで終わる。

 
この物語はドイツ系アメリカ人の作家、ポール・ケーラスが1894年に発表した仏教説話がもとになっているそうだ。もとより完全な創作で、仏教本来の教えに沿うものかどうかは疑わしく、もしお釈迦さまが犍陀多のなかにささやかなりとも善意を見出したのならば、わざわざ蜘蛛の糸を垂らすといった小細工など弄さずにさっさと引き上げてやると思うのだが、どうだろうか。

 
むしろ、ここに描かれた極楽と地獄の構図は、あの世の話ではなく、まさに煩悩にまみれたこの世の上下の格差を反映したものと見なしたほうがいいのではないか。さらに芥川自身の立場に即して言うなら、東京帝国大学在学中に同人誌『新思潮』に掲載した作品が文豪夏目漱石に激賞されて新進作家のスタートを切った当時、明暗を分かつごとく、文壇の底辺ではどす黒い情念を孕んだ労働文学が台頭しつつあった状況とも重なって見えてくるのである。

 
たとえば、宮嶋資夫の『坑夫』(1916年)では、常陸(茨城県)の奥深くにあるタングステンの鉱山を舞台として、文字どおり地獄のような暗黒の地下に生きる労働者たちの姿が描かれる。主人公の石井金次は坑夫として優秀な腕を持っていたが、荒々しい気性で、同僚の不在中にその妻を平然と犯したり、酒に酔った勢いで喧嘩をはじめた相手に匕首をふるって半殺しにしたり……。そんなかれであっても、わが身にまといつく得体の知れない死の影を感じ取ると葛藤が去来するのだった。

 
 彼れは、そのいまわしい脱(のが)れる事の出来ない死の手に抱かれる為に、身を苦しめて働いて疲れたり、怒ったり憎んだり慄えたりして、貧しく果敢ない寂しい日を送らなければならないかと思うと、檻に入れられた獣のような窮屈と疲労を感じた。――世の中にはもっと自由に楽しく生きている人もある――坑夫だって立派な生産を営んでいる以上、それ等の人と同じ生活を為し得る権利のある事を彼れは朧ろげながらも知っていた。

 
どうだろう? この述懐は、そのまま犍陀多のものだとしてもおかしくないのではないか。芥川の視点は極楽のお釈迦さまとひとつになって微動だにしないのに対して、宮嶋の視点ははっきりと地獄の犍陀多の側に立って放埓なエネルギーを発している。そして、いまは血の池を這いずりまわることしかできないかれらも、労働文学からプロレタリア文学へと向かう巨大なうねりのなかで、やがて大挙して蜘蛛の糸をよじ登っていくことになる。たとえほとんどがやはり地獄に転落したにせよ、ついに最初のひとりが極楽に到達したとき何が起こったろうか?

 
だが、芥川はその成り行きを見届けようとはしなかった。かれが自死するのは『蜘蛛の糸』の執筆から9年後のことだった。
 

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