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イスパニア日記⑦ トレド (終)

スペインを代表する古都、トレド。
今回の旅行で最後に訪れた街。イスパニア日記最後の街でもある。

マドリードから70キロほど南下した場所にある歴史都市だ。
この街は古代の西ゴート王国の都、その後イスラーム王朝の支配、カスティーリャ王国によるレコンキスタ。その後再び王都として栄え、近世にマドリードへと首都の座を譲るまで、スペイン史の中心であり続けた。
それは、イベリア半島のちょうど中央という地理的要因もさることながら、テージョ川に囲まれた丘陵、すなわち天然の要害としての機能的要因にもあるだろう。
そして、トレドに積み重なった歴史は、スペイン政治史のみならず、宗教史や文化史においても重要な地位を占めている。文化史に至っては、中世ルネサンスの一翼を担い、ヨーロッパ史にも影響を与えた。これはヨーロッパにありながらも、かなり長い期間にわたってイスラーム文化と濃厚な接触(時に衝突)があったことに大きく起因するだろう。また美術史では他にも、キリスト教絵画の巨匠エル・グレコがこの街を拠点に活動したことはトレドの文化的価値を高めている。
それほど重要な都市であるからして「スペインに一日しか居られないなら、迷わずトレドへ行け」という言葉があるのも頷ける。
それでは、少しトレドの歴史について軽く説明したい。軽く説明するつもりだが、トレドをめぐる歴史は内容が濃いがゆえに、私の説明では足りない部分もあるだろうし、かなり雑な説明になってしまっていることはご容赦願いたい。

トレドの歴史 概要


トレドに関する歴史をざっと眺めてみよう。
まず前史として、ローマ帝国時代に城塞都市として建設されたことが、トレドの起こりだという。

トレドが王都としての歴史を歩み始めたのは、西ゴート王国(418年〜711年)の時代に遡る。
418年に建国された西ゴート王国はゲルマン系の王朝である。元は西ローマ帝国時代に、西方から襲撃して来るフン族への防波堤として、帝国領ガリア(のちのフランス)に建国を認められた経緯がある。しかし西ローマ帝国内におけるフランク人との権力闘争に敗れ、イベリア半島に逃れて来る。
当初はカタルーニャなど首都を転々とした西ゴート王国だったが、6世紀半ばにはトレドが首都とされ、またイベリア半島を統括するキリスト教の司教座が置かれた。また西ゴート王国の時代には、トレド公会議が何度も開催された。この公会議はスペインのキリスト教史上、かなり重要な出来事である。少しだけトレド公会議に触れてみる。

西ゴート王国の時代には、国内でキリスト教の教義をめぐり対立があった。ガリア(今のフランス)から侵入し、イベリア半島に王国を建設した西ゴート王国の王族、彼らはアリウス派を伝統的に信仰していた。しかしイベリア半島の人々はローマ帝国時代からカトリックを信仰しており、王国支配者層とイベリア半島民の間に教義をめぐる対立があったのである。
何度も開催されたトレド公会議においては、カトリックとの対立を回避すべく、西ゴート王国のキリスト教アリウス派の教義変更を何度も繰り返した。しかし、カトリック教会の教義の核心とも言える「三位一体説」を採用することがなく、平行線を辿ったのである。
結局のところ、この論争は第3回トレド公会議において、西ゴート王国支配層がアリウス派からカトリックへと改心することによって決着した。
また公会議にはもう一つの側面がある。それは、ユダヤ人や異教徒を弾圧する決定をするという政治的な側面である。西ゴート王国時代、当初は宗教教義をめぐる対立解消のための機関としての側面もあったことは触れたが、第3回公会議で西ゴート王がカトリックへと改宗してからは特に異教徒や異端者への弾圧を決定する場として、また政治的決定を行う機関としても機能した。(トレド公会議は第1回から既に異教徒や異端への迫害を決議していることは誤解なきようにここに書いておく。)
この公会議が果たした役割は、かなり大きいと言える。スペイン宗教史のみならず政治史にも影響が及んでいるからである。
美しい教会建築や、後のルネサンスなど、キリスト教が果たした功績はスペイン史において計り知れない。しかし同時に、カトリック教会がスペイン史において担った負の側面として、この公会議の存在は記憶されなければならない事実であると、個人的には考えている。

トレドの歴史に戻ろう。
スペイン史屈指の大事件は、トレドをも飲み込んだ。711年、イスラム教勢力のウマイヤ朝が北アフリカ(現在のモロッコ)から侵攻して来たのである。王国末期には既に西ゴート王国は権力闘争の末に腐敗・疲弊しており、半ば内部崩壊の様を呈しつつ、西ゴート王国は300年近い歴史を閉じることになる。
ウマイヤ朝、次いで後ウマイヤ朝、トレド王国と、トレドにおけるイスラーム王朝支配は300年以上続いたが、1085年にカスティージャ王国による包囲の後、イスラーム勢力は降伏。キリスト教徒が支配を取り戻した。
その後もトレドを巡りイスラーム勢力との攻防が続いたが、ついにイスラーム教徒の手に渡ることはなかった。

12〜13世紀には、文化的に大きな意味がある。イスラーム教徒によって保存されていた古代文献を翻訳する作業が教会によって行われて、古代ローマ・ギリシャをはじめとする優れた知識がヨーロッパにおいて再び花開くことになる。これにより、12世紀から始まる西ヨーロッパのルネサンスにおいても大きな役割を果たした。

またカスティージャ王国が長らく王宮を置き、首都としての役割を果たしていたのもトレドだった。
しかし1561年、マドリードに王宮が移ると、トレドは首都の役割を終えることとなる。首都が移転した後は、スペイン政治史の中心からは退き、一地方都市として衰退していくことになる。
しかしその後もトレドはスペイン・カトリック教会の中心としてその役割を今日まで果たしてきた。
中世スペイン絵画の巨匠エル・グレコがトレドを活動拠点にしたことは、スペイン美術史および宗教史においては大きな財産である。彼の描く絵は、ルネサンス期以来の写実性をあえて無視した独特の作風だが、劇的で神秘的な美しさを湛えており、今でもスペイン国内を中心に、世界中で多くの作品が人々に愛されている。日本でも上野の国立西洋美術館に行けばエル・グレコの絵が一点展示されており、楽しむことができる。
(美術史的にはエル・グレコは中世に分類されるようだが、当時の時代をスペイン政治史的に解釈すると近世として扱われる。自分でも書きながら混乱しているが。解釈を間違っていたら申し訳ない。)

十字架のキリスト(国立西洋美術館)
幻想的な美しさ


今は歴史と宗教、美術の街として、スペイン国内屈指の観光地となっている。
「スペインに一日しか居られないならば、迷わずトレドへ行け」と言われることがお分かりいただけたと思う。

色々と説明をしたが、実は今回、時間があまりなかったため、回れた場所はかなり少ない。
そのため、トレド周遊バスに乗り、トレドをぐるりと一周した。
またいずれトレドは攻略したいと思う。

トレド大聖堂

トレドに所在する大聖堂。スペイン・カトリック教会の総本山でもある。
13世紀に建設が始まり、1496年に完成した、ゴシック様式建築の傑作と言われる建物である。
完成して以来、長らくスペイン・カトリックの総本山としての役割を果たしてきた。
この大聖堂の壮大さと美しさは、私が訪れたいくつかの大聖堂の中でも、間違いなく一番である。
清楚にして荘厳、美しさと豪華さを兼ね備えた内装は必見だ。スペイン・カトリックの総本山にふさわしい建物だと思う。

巨大な大聖堂にただただ圧倒される
祭壇も大きさと豪華さで、他の大聖堂とは一線を画す
曲線の美しさを感じることができる
周囲が狭い道なので、大聖堂の大きさは外からだとわかりにくい


トレド軍事博物館
本当は城砦のアルカサルに行こうと思ったのだが、あいにく行った日は休館日。ゆえに併設している軍事博物館(この日は開館していた)を訪れた。
この博物館はスペインやヨーロッパの武器や武具を中心に歴史を辿りながら展示していくユニークな施設だ。
ローマ帝国時代に始まり、西ゴート王国時代、イスラーム王町時代、そしてカスティーリャ王国、スペイン帝国、スペイン王国と、時代ごとに展示されていてわかりやすかった。展示自体はそこまで多くはないが、武器が好きな人なら大変気に入ることと思う。
またなぜか日本の甲冑や刀剣もしれっと展示されていて、ヨーロッパにおけるジャポニズムブームを感じた。


軍事博物館入り口にある大砲。
ムキムキのお爺さんスタッフたちと共に威圧感を放っていた。
中世イスラーム時代の武器や調度品
なぜか日本の武具があった。日本刀と甲冑は大変な人気のよう。日本は南蛮貿易でスペインと交易していた。
近世の武具と思われる
レストランには対空砲?が鎮座していた。
軍事に詳しい人なら狂喜乱舞するかもしれない。


他の醍醐味は、やはりトレドの外観、そして街の散歩だろう。
川に囲まれた丘陵の上に聳えるように立つトレド市街の美しさは、独特の景観だ。
まるで島のようにも見えるトレドが、長らく城塞都市として大きな役割を果たしてきたことを、感覚的に見ることができる。
また、細く入り組んだトレドの街並みは、散歩していてとても楽しい。近世タイムスリップか、ゲームの世界に異世界転生したかのような気分になれる。

川に囲まれた丘陵に立つ市街地はさながら天然の要害
この街の美しい風景は、少し離れた丘陵から眺めることができる
入り組んだ坂道。教会の壁面が良い雰囲気を出している。
教会近くの商店街。まるでテレビ番組。まるで異世界。
「世界ふれあい街歩き」を観てる気分になれる。


トレドでのグルメは、先述の軍事博物館のミュージアムレストランで食べた。とても美味しかったし、その量の多さに驚いた。しかもなかなかお得な値段だったのを覚えている。
また印象的なのは、軍事博物館がスペイン王国軍による運営なのか、博物館のおじいさんスタッフはおそらくみんな退役軍人だったということ。
博物館の入口では、まるで王宮を警備するかのようにガタイの良いおじ様方がずらりと立っていて、威圧感がすごかった。レストランも例外ではなく、強面でムキムキのおじいさんがウエイターだった。強面だがとても親切で優しかった。ただ、配膳や下膳の際に軍隊のようにビシッと動く姿が、レストランには少し場違いに感じて面白かった。
レストランでは軍服姿の現役の軍人さんたちも昼の宴会を楽しんでいて、博物館というより基地にいるような気分でもあった。スペインは軍人も昼はお酒を飲んで楽しそうであった。

二人前を二人で分けたが、思ってたよりたくさん出てきた。
イカのフライをはじめ、料理は全て美味しかった。
イカのフライと、シュウマイみたいな見た目の料理。
シュウマイ?の皮の中はマッシュポテト。
イカフライはスペイン人のソウルフード。
メインのライスコロッケも大変美味だった。
ただこの頃にはお腹いっぱい。「デザートはいかが?」と言われたが、とても入り切らないのでデザートはギブアップ。


最後に、トレドでちょっと感動したのが、トレド駅である。レトロな雰囲気の美しい駅舎で、とても楽しかった。


駅舎の外観
イスラーム建築と教会建築を意識したと思われる駅舎の内装
駅のホームも美しい。トレドのワクワクが詰まっている。



少し忙しかったトレド観光を終えて、マドリードから帰路に着いた。

2週間のスペイン旅行は、結果的には大成功だった。
初めて訪れたヨーロッパ、そして初めて訪れたスペインで、歴史と芸術、美食の旅を存分に楽しむことができた。

今回の「イスパニア日記」では、訪れた各都市の歴史ににフォーカスしつつ辿ってきたが、スペインという国の持つ魅力は、当然ながら歴史に由来するところが大きい。今度スペインに行く方にとって、少しでもスペインの歴史にも興味を持つきっかけになればとてと嬉しいし、歴史を紐解けばきっとスペイン旅行はさらに奥深いものになると思う。またスペインに興味のなかった方が、スペインに興味を持ってくれたなら、この日記は大成功である。

今回の旅では、日本の良さを知ることにもなった。
他国を知ること、すなわち日本を知ることにもなるのである。
日本の清潔さや礼儀正しさ、日本の食事がいかに世界で愛されていて、美味しいものなのかということを知ることができた。日本食の人気は凄まじい。寿司はヨーロッパ化しつつも、完全にスペインの美食文化の一翼を担っていると言っても過言ではない。また甲冑や浮世絵などの日本文化も人気を博しており、日本人としては誇らしいと思う。

また同時に、日本のあまり好ましくない点も当然ながら意識した。たとえば店に入った時に、店員に対して挨拶やお礼を言う人が日本にはあまりにも少ないことに気づいた。挨拶やお礼、「お願いします」の一言はスペインでは必要な言葉で、これを言わないことは、スペインでは大変失礼なことである。
日本においては、客と店という構図において、客の立場があまりにも強すぎると思う。これは日本の高品質なサービスという圧倒的な利点を生みつつも、同時にカスタマーハラスメントという汚点を生じさせている。結局のところ、店員であろうと客だろうと、一人の人間として尊重される社会というのが、本来望ましい姿のはずである。
(ただ、アメリカのようにチップばかり要求されるのも辟易するので御免である。客と店員のパワーバランスは、スペインがとても心地よいと思った。)

今回はかなり強行軍だったので、かなり疲れた。
ゆえに、今度からは少しのんびり海外旅行をするようにしようとも思った。

羽田に帰ってきた時、とても安心したし、コンビニおにぎりとコンビニ味噌汁の美味しさに感動した。
安く高品質な食事を食べることができるのは、日本の何よりの利点だと思う。
これからも日本には、世界中から憧れの目で見られる美食の国、美しくて清潔な国であってほしいし、スペインをより多くの人に好きになってもらえたら嬉しい。スペインから帰ってきて、こんなことを思った。

以上でイスパニア日記を終わりたいと思う。




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