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イスパニア日記① バルセロナ

2023年5月、初めてスペインを訪れた旅の記録


2023年5月私はスペインへと旅に出た。この時は友達と一緒。成田空港からドバイ、マドリード経由でバルセロナへ。

スペインってどんな国?


まずはスペインという国について解説しよう。(少し長いので、興味ない人は下の「バルセロナ旅行」の段から読んでもらって良いです。)
スペインは正式名称をスペイン王国。フェリペ6世が在位する王国で、17の自治州と50の県を擁する立憲民主主義国家。自治州を持つが連邦国家ではなく、中央集権の単一国家である。防衛は陸海空軍と国家憲兵隊で構成される四軍体制。治安は上記の憲兵に加え、国家警察、州警察、大都市は市警察が管轄している。道案内などで警察官優しいし結構頼りになるので旅行の際は覚えておこう。(というのも、親切な道案内人を偽って金をせびる詐欺師がいるらしいので注意が必要なため。スペインは大体治安が良い国なので、スリと詐欺師に気をつければ大丈夫。でも女性の一人旅はあまりオススメしない。)

ヨーロッパ南西部、イベリア半島に位置する国で、人口は4700万人。面積は日本の1.5倍。国土は丸っこい拳みたいな形をしている。(ポケモンSVを持ってる人は分かりやすいかも)その他モロッコ沿岸部にメリリャなどの飛地や、バレアレス諸島、カナリア諸島などの島嶼部がある。
西にはポルトガル、北東にはフランスと接しており、地中海を挟んで南にはモロッコがある。
主な宗教は圧倒的にキリスト教カトリックがメイン。また南部アンダルシア州などでは中世イスラーム王朝の影響もありイスラーム教もある。

言わずと知れた情熱の国で、スポーツはサッカーと闘牛が盛ん。(でも闘牛は残酷なので国内でも賛否が分かれる。)
スペイン料理はパンを主食とする。米も食べるが週に1,2回が普通。ピザやパスタ、寿司、中華もすごく人気だし、芋や豆も副菜としてよく食べる。
スペイン料理は世界的に有名で、トルティージャ(スペイン風オムレツ)、パエリア、アヒージョ、タコのガリシア風、ガスパチョ、ボカディージョ(フランスパンのサンドイッチ)など、日本人にも馴染み深い料理は多い。料理はまた別の機会にレシピとともに解説しようと思う。
それらの料理を生み出すのは豊かな国土。スペインは一次産業が盛んで、オリーブ、オレンジ、トマト、ワイン用ブドウ、牛肉、豚肉(イベリコ豚)、うさぎ、魚介類などの食材の宝庫。特にオリーブオイルは世界一の生産量、ワインも世界三位の生産量を誇り、量・品質ともに高いことで有名。(日本だとイタリアのオリーブオイルが優勢だけど、イタリアはスペインほど生産量は多くない。だがイタリアはマーケティングが上手いんだと思う)

スペイン文化は興味深いが、よく驚かれるのは食事の多さ。朝、午前の間食、昼、午後の間食、夕食がある。もちろん全部がっつり食べるわけではなく、朝はコーヒーと軽食、午前と午後の間食はお菓子、昼食が一番がっつり。夕食は21時以降の遅い時間に軽くスープやサラダなど。
昼はサラリーマンでもお酒を飲みながらレストランでコース料理を食べるのが一般的。夕食は家族とワインを飲みながらゆっくり過ごす。深夜までお酒を飲みながら家族とダラダラ過ごすのは一般的で、家族や恋人、友人との時間をとても大切にする文化。仕事とプライベートの時間をきっちり分けたがる人は多い。(だからよく仕事第一に生きる日本人はクレイジーだと指摘されがち。)
またスペイン人の気質は陽気、フレンドリーとよく言われる。(当然色んな人がいるが)イタリアと同じくラテン系で、マドリードなどはその傾向が強い。田舎は少しだけ警戒心が強いかも。
(※どんなにスペインが陽気な国でも、街を歩いてて突然話しかけてきたりする人は危険。そういう時は荷物の無事を確認してすぐ離れて。スリや詐欺師の可能性が割と高い。)
陽気な国民性に反して、スペインの歴史は結構ハード。近世の一時期は大量の植民地を抱え、無敵艦隊を擁する「太陽の沈まぬ国」なんて言われたが、その繁栄は一時期だけ。むしろ古代ローマ時代から近代まで多くの内戦や外部からの侵略を経験してきた。特に1936年からのスペイン内戦と1939年から1975年まで続いたフランコ独裁時代の苛烈な弾圧政治は今もスペインにどこか影を落としている。
スペインを語る上で欠かせないのは地域性の強さ。サッカー好きな方ならご存知かもしれないが、スペインは各地方の地域色が強い。スペインは17の自治州とその下の50の県によって構成される。特に日本でも有名なカタルーニャ州やバスク州、ガリシア州などは独立意識が強い。なぜ地方色が強いのかと言えば、元々別々の国だったから。マドリード周辺とスペイン中部南部のカスティージャ王国、カタルーニャのアラゴン連合王国、バスクのナバラ王国、ガリシアのガリシア王国など、多くの王国が存在していたものが、近世から近代にかけて一つの国となった経緯がある。だから文化や言語にも違いがあるし、スペインが有する豊かな食文化や伝統文化、言語はその所産でもある。政治的にはカタルーニャでは世論を二分する独立運動も展開されていて、複雑な部分でもある。

バルセロナ旅行

前置きが長くなったが、スペイン全体についての説明はここまでにして、旅行の話に戻ろう。

今回訪れたバルセロナは、スペイン東部の沿岸カタルーニャの州都。人口160万人を抱えるスペイン第二の都市。商工業と港の街。国内での立ち位置は日本で言うと大阪みたいな感じ。雰囲気は大阪とはもちろん全然違うけど。
多くの人が想像するのは、世界的に名高い「サグラダ・ファミリア」だろう。
今回はサグラダ・ファミリアでの素晴らしい経験を中心に、バルセロナの名所やグルメについて書いていこうと思う。

サグラダ・ファミリア
※2023年5月時点で訪れた際の感想です。


バルセロナやスペインといえば真っ先に出てくる世界遺産。スペインが産んだ天才建築家アントニ・ガウディの代表的な作品。そしてバルセロナを代表する巨大教会建築。
ガウディは設計と途中までの制作をしたが、壮大な計画を後世の建築家たちに託しこの世を去った。ガウディは図面を残したが、スペイン内戦によって消失してしまった。しかしガウディの跡を継いだ建築家たちはその力を結集してサグラダ・ファミリアを今日まで作り続けている。残り3年ほどで完成する予定で、今世界中で話題になっている。
この建築物は一生に一度は行くべき傑作建築だと思う。
その理由をいくつか考えてみよう。(建築に関してはど素人なので込み入った説明はできないことは承知いただきたい)


サグラダ・ファミリア外観


サグラダ・ファミリアの概要


まずはこの建築を語る上で欠かせないのは、感動的なほどの緻密な計算に基づく美しさ。それはどこを取っても言えることだ。バルセロナでは飛び抜けて大きい塔。喜びと祝福を表現した生誕のファザード。救世主キリストの捕縛と磔刑、その悲劇と苦悩を表現した受難のファザード。そして森林をイメージし、自然との調和をモチーフに、色とりどりの光に彩られた内部。
様々な要素がより集められて、一見すると雑多で無計画にすら見えるこの教会は、実はどこまでも丁寧に計算されて作られている。
※上記二つのファザードに加えて、栄光のファザードもこれから制作される予定。(ファザードとは、フランス語で建物の正面という意味だそう)

塔の部分

サグラダファミリアはいくつかの塔によって構成されている。
これらの塔は未完成のものを含め、イエスの塔(未完成)、マリアの塔、イエス・キリストの12人の弟子(キリスト教では12使徒という)たちを表す12本(うち4本は未完成)、福音史家の塔4本(すべて未完成)で全18本にもなる。
(※福音史家とは、エヴァンゲリストすなわち聖書を伝道する者たちのこと。)
今のところはマリアの塔が最大だが、すべてが完成すればイエスの塔が最大となる。
サグラダ・ファミリアの象徴とも言える塔の部分は、今なお建設が進んでいる。しかしながら、やはりその存在感と大きさには触れなければなるまい。
キリスト教カトリックにおいて、イエスはもちろん聖母マリアというのは女性や母性の模範とされ、信仰上大変大きな存在である。この教義的に大きな存在を一定程度抽象化しつつ、効果的な形で塔として視覚に訴える演出をしようという試みは、スペインでもピカソが完成させたキュビズムなどの抽象画の流れにも共通しているように思う。(私見)
これらのデザインは、ゴシックなどの教会建築の伝統を踏襲しつつも、とても現代的でスマートである。

生誕のファザード

サグラダ・ファミリアに足を踏み入れた者を最初に迎え入れるのが、この「生誕のファザード」である。イエスの、生誕から様々な奇跡を起こしつつ伝道する前半生を彫刻で描いており、イエスやマリアだけでなく、多くの天使たちが表情豊かに彫られている。その表現は明朗にして柔らかさを感じるデザインになっている。


生誕のファザード遠景


受難のファザード

内部を通って生誕のファザードの反対側に出ると、受難のファザードを見ることができる。イエスが弟子の裏切りに遭い捕縛され、磔刑により刑死するまでを描く。先ほどの生誕のファザードとは打って変わって、かなり荒々しく荒削りに近いタッチで、岩の質感を前面に出したデザイン。全体はイエスの捕縛と死をテーマに、悲壮感や喪失感というものを表現している。

受難のファザード


栄光のファザード

まだ製作中ではあるが、上二つとはまた違ったデザインのファザードになると思うが、完成がとても楽しみである。

内装

私がサグラダ・ファミリアで最も感動したのがその内部。内部の柱は石でできているが、まるで木を想起させるようなデザイン。また色とりどりのステンドグラスから入ってくる美しい光は木漏れ日を意識したようなデザイン。太陽の位置によって差し込む光の色が変わるように設計されており、行く時間によって全く違う雰囲気を味わうことができるようになっている。これらの内装は「自然」を意識したものだと思われる。
これらの演出によって、とても幻想的で感動的な美しさを纏う。
また内部はとても広く、天井もかなり高めに作られている。そのため、とてもたくさんの人がいるのにも関わらず、不思議と静寂を感じることができる。
一連の内装は、「自然との調和」を意識しているとの解説を受けたが、これはキリスト教建築においてはかなり異色だと感じる。
多くのキリスト教建築においてもステンドグラスを効果的に用いられるが、それでもそれら全体の内装が持つ美しさは、キリスト教の信仰や教義に忠実な荘厳さや厳粛な美しさを追求したものであり、端的に言えば人工的な美を人工的に演出した美しさである。しかしサグラダ・ファミリアではまるで美しい森の中にいるように感じさせる演出がなされており、自然界の美を人工的に再現する演出がなされている。その意味で伝統的なカテドラル(大聖堂)などのキリスト教建築と比べても相当異色の建物と言えるだろう。しかしアントニ・ガウディが天才と呼ばれるのは、その前衛的なデザインのみにあらず。近代的でキリスト教建築としては全く斬新で異色ながらも、同時にキリスト教に対する深い敬意と強い信仰を感じさせるもので、その点においてはやはりサグラダ・ファミリアはやはり歴とした教会建築である。時代や表現すらも超越してもなお、キリスト教の教義を訴えかけ表現する建築、そしてそこに反映された調和の精神を見出すことができるからこそ、ガウディが天才たる所以ではないかと私は思う。

内装の柱は森の木を意識したデザイン


バルセロナ、その他の名所巡り


サンタ・エウラリア大聖堂

サグラダ・ファミリアがかなり長くなったが、バルセロナには伝統的な教会建築ももちろん存在する。それがこのサンタ・エウラリア大聖堂だ。スペイン語では大聖堂のことをカテドラル(catedral)と言う。
大聖堂はスペインでは主要な街には一つはある。厳密に言えば、各地域にカトリックの教区があり、その中心とも言えるのがカテドラルだ。
この大聖堂は、西ゴート王国の原始キリスト教の教会があった場所に建てられたと言われており、途中建設と戦争での破壊を重ねつつ、現在の建物は15世紀に完成したゴシック建築である。
荘厳で巨大な大聖堂の周辺は市民の憩いの場にもなっている。アンティーク調の物を売る市場が開かれたり、パフォーマンスをする者とそれを見る人だかりができていたりと、バルセロナの市民が思い思いに過ごす場所でもあるようだ。
日本人は狙われやすいので、浮かれすぎないこと。スリには注意。


サンタ・エアウリア大聖堂外観


バルセロナ・ピカソ美術館

言わずと知れたキュビズムのパブロ・ピカソ。彼が多感な幼少期の一時期をバルセロナで過ごしたことは意外と知られていない。彼の作品だけをコレクションして、幼少期老年期まで時系列に展示しているのが、この美術館。有名な作品ばかりではないが、パブロ・ピカソという天才芸術家を、幼少期の時代から、青年期の「青の時代」そして老年期に完成させた「キュビズム」までを視覚的に理解できる点で、突出していると思う。
見てみると驚くのが、絵の上手さだけで言えば子供の時点で完成していること。しかしマドリードで過ごした青春時代に、美術アカデミーと反りが合わずに学校を抜け出して自ら美術館で日々勉強したらしい。そういう独自の道の模索が、彼の作品を唯一無二の作品へと仕立て上げて行く。
また日本との繋がりで外せないのは彼が作成した陶芸作品。ピカソの陶芸作品は知名度が低いが、彼の独創的な陶芸作品は、戦後の日本における青年陶芸家集団「走泥社」の結成に大きな影響を与えた。
戦後日本において結成された走泥社が後に「前衛陶芸」へと日本の陶芸を発展させ、世界における一つのムーブメントを作り出す。そこにパブロ・ピカソの影響があったことは、彼が世界に大きな影響を与える真の芸術家であったことを示していると思う。

カタルーニャ音楽堂

バルセロナ中心部にある音楽ホール。リュイス・ドメネク・イ・モンタネールによって20世紀初頭に作られたモデルニズモ建築。
ステンドグラスをふんだんに用いた建築で、日が出ているうちは幻想的な光に包まれる。豪華な内装は息を呑むようである。
私たちはカンタータを聴くことができた。クラシックには詳しくないので、バッハの曲ということしか分からなかったものの、印象的だったのは、とても廉価にクラシックのコンサートに触れることができた点で、ヨーロッパの文化の強さを感じた。
音楽堂だけあってもちろん反響や音質はとても良く、満足な時間だった。

カタルーニャ音楽堂。ステンドグラスを豊富に使った内装。


バルセロナ水族館

港の方面に出るとバルセロナ水族館がある。なかなか立派な水族館で、目玉はサメや海の魚たちがたくさん泳いでいる大水槽。この大水槽の周りには動く歩道が設けられており、観覧者はぼーっと立ち止まりながら動く歩道に乗って水槽を観察することができる。


バルセロナのグルメ

バルセロナといえば海鮮である。新鮮な魚介が日々水揚げされる街で、海鮮をいただける。
私たちが訪れたお店では、市場のように魚介が陳列されており、そこから好みの食材を選んで好きな調理方法で調理してもらい、食べることができた。
我々はワタリガニやマテガイ、タイを注文した。新鮮な魚介なのでとても美味しかったし、それ以上にサービスでついてきたロブスターのスープが非常に美味だった。あそこまでレベルの高いロブスタースープは、なかなかお目にかかれない。
また、バルセロナではスペインバルでタパスやパエリアも楽しんだ。サーモンや生ハムのピンチョスを食べたが、シンプルな味付けで素材を活かした料理。美味しかった。スペインビールはわずかなコクを残しながらもスッキリとしていて美味しい。海鮮パエリアは安定の美味しさ。

バルのタパス。この店は4種のタパス+飲み物のセット。
シンプルながらなかなか侮れない美味しさ。
日本でも著名なパエリア。
バルセロナの南にある都市バレンシアが発祥の地。
スペインの定番朝食、チュロスとホットチョコラテ。
朝から揚げ物+甘味は、慣れないとかなり重たく感じる。



実はバルセロナはチョコレートの街でもある。ヨーロッパで初めてチョコレート工場が作られた街であるらしい。ゆえに老舗のチョコレート店があり、美味しい。日本人の女性観光客に人気のようだった。
またナッツやドライフルーツを計り売りする店があり、こちらも行ってみたが、評判通り美味しかった。

バルセロナの雰囲気

バルセロナは日本で言うと大阪みたいな雰囲気。スペイン第二の都市で、観光客が世界中から押し寄せる商業と観光の港町。
街全体の清潔度はと言うと、あんまり綺麗ではなかった。
でも、地下鉄はネットで書かれてるほど危険ではないし、ちゃんとスリ対策しておけば普通に便利で安い。
地下鉄だけじゃなくて路面電車やバスもあるから結構公共交通機関は便利。
宿泊場所はというと、街中の広場(プラサ・デル・ピ)の隣のホテルに泊まった。ホテル自体は古いものの清潔だったし、小さなバルコニー付きで風通しもよく、最低限の設備は揃っていてとても居心地は良かった。多分アジア系のホテルの人も優しかった。友人の旦那さんにめちゃくちゃ似てたので、写真撮って本人に見せれば良かったな…と後からしょうもないことで後悔した。
ただ一つだけ難点は、真夜中に広場で若者が騒いでいて、安眠を妨害されたのは少々迷惑だった。

以上、バルセロナの模様でした。
カサ・ミラは今回眺めただけだし、カサ・バトリョ、グエル公園は今回は行けなかったが、かなりの評判なので、いずれ行ってみたいと思う。

次はAVE(日本で言う新幹線)で一路マドリードへ。


バルセロナの街角。古い建物が多くお洒落。


※念のためキリスト教の解説
(注意)私はクリスチャンではなく、ミッション高校でキリスト教学を受けただけなので、解説に間違いがあるかもしれません。ご了承ください。

このスペイン旅行記では多くの教会建築を解説する関係上、キリスト教についても少しだけ知ってもらえたらなと思い、多少の解説を入れるべく書いてみました。聖書は紀元前から伝えられるとても複雑で長い聖典ですが、キリスト教について分かりやすさを優先するため、イエスに関する話についてのみクローズアップし、内容もかなり割愛しました。雑な解説になってしまい、クリスチャンの方には申し訳ありません。
処女であったマリアは天使による受胎告知によってイエスを身籠り、厩で出産する。そこで生まれたのが神の子イエス。有名な東方の三博士はこの祝福のために厩を訪れ、黄金、乳香、没薬を献上する。この話は日本でも割と有名。(これが生誕のファザードで表現されたメインの部分。)

また詳細な表現などに関しては新約聖書の福音書などによって記述に違いが見られるため一概には言えないが、カトリックの核とも言うべき教義「三位一体説」は、父なる神と、神の子イエス、天使たち聖霊の三つの側面が本質的に一つのものであるとするもの。キリスト教にはカトリック、プロテスタント、正教会などあるが、それらの他にも(あるいはそれらの中にも)多くの会派があり、会派同士で教義には多かれ少なかれ違いがある。ゆえにそれらの違いを認識することは有意義であると考えるが、キリスト教の解釈において「正しさ」という漠然とした曖昧な定義を追求することは長い歴史においてキリスト教を巡り内包してきた問題の本質でもあるので取り扱いには注意を要する。

そして有名な「最後の晩餐」の後、イエスが愛弟子の一人「イスカリオテのユダ」の裏切りに遭い捕縛され、十字架を背負いゴルゴダの丘まで歩かされ、兵士たちに辱めを受けた後に刑死するところまでがいわゆるイエスの受難。(これが受難のファザードで表現されたメインの部分。)
ただ、「神の子イエスが救世主として人々に奇跡を起こし、最後は弟子の裏切りに遭って刑死し、人が生まれ持つ持つ原罪(アダムとイヴが楽園にて侵した父なる神に対する罪)を贖った。その後3日目に復活し、弟子たちと過ごした後に天に上げられた。」というのはキリスト教の共通認識という解釈であると思われる。




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