『孫子』

こんばんは。今日もお疲れ様です。
今日は『孫子』書いてみます。

変化したこと

1. 課題解決の視点や心の持ち方が深まった。


背景


中国では春秋戦国時代という、ひたすら戦いに明け暮れていた時代がありました。
『孫子』というのは、その中で呉という国の王様に仕えていた孫武という方の敬称だとされているようです。

中国の中で最も古く、最も優れた兵法書であり、かつ現代も広く読まれている本であります。
兵法書は探したらいくらでもありますし、現代の科学であれば当時の知識を使うまでもないような気がします。
なぜ孫子は今なお読み継がれているでしょうか。

それは、実戦経験によって得られた当時のその現実的な戦術(心の持ち方や問題への対処、準備の重要性など)が、戦争の一般論、さらには個人の人生にまで応用可能な諸説術となり得るという点においてです。

岩波文庫の『孫子』によるとこの兵法書の要点は3点あります。

1点目:好戦的ではないこと。
2点目;合理的で現実主義が貫かれた考え方であること。
3点目:主導権を握ることの重要性が繰り返し説かれていること。

1点目:好戦的ではないこと。


孫子曰く、凡そ用法の兵は、国を全うすることを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。

(孫子はいう。およそ戦争の原則としては、敵国を傷つけずにそのままで降伏させるのが上策で、敵国を打ち破って屈服させるのはそれには劣る。)

この故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

(こういうわけだから、百たび先頭して百たび勝利を得るというのは、最高に優れたものではない。)

善く兵を用うるも者は、人の兵を屈するも而も戦うに非ざるなり。人の城を抜くも而も攻むるに非ざるなり。人の国を破るも而も久しきに非ざるなり。必ず全きを以て天下に争う。故に兵頓れずして利全くすべし。此れ謀攻の法なり。

(戦争の上手な人は、敵兵を屈服させてもそれと戦闘したのではなく、敵の城を落としてもそれを攻めたのではなく、敵の国を亡ぼしても長期戦によったのではない。必ず全、すなわち無傷のままで獲得する方法で天下の勝利を争うのであって、それゆえ軍も疲弊しないで完全な利益が得られるのである。これが謀りごとで攻めることの原則である。)

なぜ好戦的ではないのでしょうか。
孫子は戦争の前提を次のように語ります。

孫子曰く、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。

(孫子はいう。戦争とは国家の大事である。国民の死活がきまるところで、国家の存亡の分かれ道であるから、よくよく熟慮せねばならぬ。)

それは戦争というものは「勝ったぜいえ~い!」というものではないからです。国に利益をもたらすという合理的な理由が存在しているのです。戦うということには大きなリスクが伴い、もし上手く行けなければそれは民を殺し、国家を傾かさせることとなります。子供の喧嘩とは異なる視点で行われなければいけないのです。

今の日本に住んでいると、そういった生死の根幹に関わる場面が存在しません。仕事のプロジェクトを任せられた時、「これ達成できなかったら首飛ぶよ」と本物の銃を突きつけられたら、絶対に「どうしたらかっこよくエレガントに達成できるかな?」とか、「これで一回やってみるか!」とか考えませんよね?笑自分の身を守るために全力で、可能な限り合理的に考えるはずです。
そうした時、どう行動するかという視点で見てみると孫子がまた単なる兵法書ではなく、日常に応用可能な範囲の優れた書籍として見えてくるかもしれません。
つまりこの「大事」を自分の人生として考えてみると面白いなと思います。

2点目;合理的で現実主義が貫かれた考え方であること。


故に曰く、彼を知りて己を知れば、百戦して危うからず。彼を知らずして己を知れば、一戦一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず危うし。

(だから、敵将を知って身方の事情も知っておれば、百たび戦っても危険がなく、敵情を知らないで身方の事情を知っていれば、勝ったり負けりし、敵情を知らず身方の事情も知らないのでは、戦うたびに決まって危険だ。といわれるのである。)

論語に次の言葉があります。「之知ると之知ると為し、知らざるを知らずと為す。之知るなり。」
「知っているとは、知っていることと知らないことがはっきりと分かっていることだ」という意味の言葉です。
これと同じように、「実力があるとは、自分の実力が今どのくらいあって、目的を達成するために必要な実力がどれくらいあり、そのギャップがどれくらいあるかがはっきりと分かっていること」だと言えると思います。

そのため、孫子は続いてこのようにいいました。

孫子曰く、昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て的の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己に在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも、敵をして勝つべからしむること能わず。故に曰く、勝は知るべし、而して為すべからずと。

(孫子はいう。昔の戦いに巧みであった人は、まず身方を固めてだれにもうち勝つことのできない態勢を整えたうえで、敵が弱点をあらわしてだれでもがうち勝てるような態勢になるのを待った。だれにもうち勝つことのできない態勢を作るのは身方のことであるが、だれもが勝てる態勢は敵側のことである。だから、戦いに巧みな人でも、身方を固めてだれにもうち勝つことのできないようにすることはできても、敵が弱点をあらわしてだれでも勝てるような態勢にさせることはできない。そこで、「勝利は知れていても、それを必ず成し遂げるわけにはいかない。」といわれるのである。)

以前紹介させていただいたエピクテトスさんやアドラーさんの教えと通じるものがありますね。とにかく自分のできる範囲のことに集中すること、相手を変えることはできません。でも相手が変わるような自分になることはできるかもしれません。相手がその瞬間になるのを待ち続けて、自分はひたすら自分のことに集中していれば良いのです。

もう一つ浮かんだのは投資家であるウォーレンバフェットさんの言葉です。彼は、絶対に自分の得意領域以外には手を出さないと言います。一時期ネットバブルがあった時、彼はそういった会社に投資を行わず周りの人達からは「古い人間だ」と言われていました。
しかし、彼は自分の能力の範囲を見極める力の方が大切だと気付いていました。色々な場面で応用が可能な考え方ですね。

先にも書きましたが、合理的で現実主義的とは、対象の物事について深く考えているからできる考え方だと思いました。

3点目:主導権を握ることの重要性が繰り返し説かれていること。


孫子曰く、凡そ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、遅れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す。故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。

(孫子はいう。およそ戦争に際して、先に戦場にいて敵の来るのを待つ軍隊は楽であるが、後から戦場について戦闘にはせつける軍隊は骨がおれる。だから戦いに巧みな人は、自分が主導権を握って実に処り、あいてを思いのままにして、あいての思い通りにされることがない。)

夫れ兵の形は水に象る。水の行は高きを避けて下きに趨く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて行を制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、常形なし。

(そもそも軍の形は水のようなものである。水の流れは高い所を避けて低いところへと走るが、そのように軍の形も敵の備えをした実の所を避けてすきのある虚の所を攻撃するのである。水は地形のままに従って流れを定めるが、そのように軍も敵情のままに従って勝利を決する。だから、軍にはきまった勢いというものがなく、また決まった形というものもない。)

自分の形を知られず、柔軟に対応することの重要性が色々な形で説かれています。
これを実現するためにはやはり「彼を知りて己を知れば、百戦して危うからず」が重要になるということですね。

全てにおいて上手くいっていてずるいな思うような人がたまにいます。でも彼らはきっと、全てにおいて恵まれていたわけではないと思うのです。逆に強烈な欠点があったりします。
何が他の人違うのか、それは「自分を知っているかどうか」だと思うのです。大体欠点というものはみたくないものです。そこに向き合うことで初めて、どう振る舞ったら良いのか、どう自分を生かしたら良いのか見えてきます。つまり、彼らは彼らの弱さを一つのバリエーションとしてカモフラージュしていることで、強みの中に組み込んでいるのです。その点で上手くいっている人と上手くいっていない人は違うのだと思います。


~終わり~

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