お金と命の価値

お金がたくさんあればいいんだ。そう思いながら大人になりました。
大人になり、お金があればたいていのことは解決してくれることを知りました。
 
でも、子どもを産んだときや、祖母がお金ではなく大勢の家族を残して他界したときに感じました。
お金で手に入る幸せは一時的なもので消えてしまいます。人の生きる力はお金ではありません。
 
自分が選挙権をもって18年になります。今の社会や政治のこれからに不安がいっぱいです。
戦争、原発、物価高、子どもの貧困、格差、自殺、気候危機、なぜこんなに不安や問題が山積みになったのか。お金のため、財政のためといって人が置き去りになっているように思えます。それは政治家だけのせいじゃありません、選挙権をもった私たち市民の無責任さもあると思います。
しかし、目の前の日々の生活に追われ、政治に関心を持つ余裕などないし、自分も子どもができるまで自分だけの平穏な生活を保つのに必死でした。
 
情報が溢れて、簡単に手に入りお金があればひとりでも生きていけるような気になってしまう社会です。
文明が発展して、人間の数だけ事情があり都合があるぶん問題も起きてきます。
環境問題、戦争、経済、政治など社会のことが自分事と感じる余裕がある日本人はどれだけいるのでしょうか。
人間社会が生み出した問題なのに、それが毎日の生活で感じることができないことが何とも気持ちが悪いです。情報とお金の動きは毎日脈々と感じているのに、人間の命の鼓動が感じにくいです。
私は子どもを産んで気がつきました。
 
人はひとりでは生きていけない。
 
どんなに文明が発展しても時代が変わっても、みんなお母さんのおなかの中で生きて育ち生まれてくる。ミルクを飲ませてもらって、おむつをかえてもらって、手をつないで歩いてもらう。いつのまにか、つないだ手はスマホをもつようになります。
スマホやパソコンの向こうに人がいるわけですが、スマホやパソコンの向こうの人はつまづいて転けそうになった時、手を差し伸べてくれますか?
情報やお金のように自分に都合よく操作、搾取できる便利な関係は生身の人間同士では築きにくいけど、
それが人間社会の、人と人とのつながりの素晴らしさであり、命を感じるつながりの尊さでもあると思うのです。
 
命を生み出す方も、生まれてくる方も簡単じゃないんです。子ども達と過ごす中で命のキセキを感じます。
便利で自分さえよければいいと思える社会に希望は持ちづらいです。
高齢者も子どももみんなお金がある人しか生きていけなくなると、基本的人権も何もないです。
私は地位も富もないし頭もよくないけれど、
 
自分にできることは、子ども達にみんながキセキなんだよと伝えること。情報やお金に惑わされないで自分が生きているというキセキを感じれるような日々を過ごすこと。
 
そして選挙に行くことです。
 
ただのたったの一票だけど投票にもいかず、物価高だ、なんだと生活苦や、戦争が起きた時に政治のせいにするのは違うんじゃないかと思います。
国をつくっているのは、社会をつくっているのは政治家でもなく、他でもない私たち一人一人なんです。
 
毎日の生活、物価高子ども達のことを想うけど、どうすればいいかわからない。
諦めている。
そんな人は少なくないと思います。こんなところでしゃべっている私も、はんぶん諦めています。諦めているのは政治、よくわからんし自分事とは思えない、諦められない半分は毎日の生活、子ども達のことです。
 
社会とか政治が自分の暮らしと子ども達の未来に繋がってる感じがないんです。
毎日の生活の追われて自分を守るのに精一杯、そんな社会を子ども達にバトンタッチしたくないです。
 
給料は増えへんのに物価はあがる。子育て、医療、介護、おまけに戦争の心配まで。私たちの「命」のセーフティネットは穴だらけです。これは政治家の責任だけでなく、政治家を放っておいた私たちの責任です。
政治は政治家の為にあるのもではありません。私たちのためにあるものです。
選挙に行くのも行かないのも自由です。
でも、今の政治は「命」と「くらし」大切にしてくれていますか?
選挙は、自分の大切な人の「命」と「くらし」を守るための私たちの声なんです。
 
私たちには、幸せに生きる権利があります。
ひとりの力は微力ですが、無力ではありません。
もうみなさん感じていると思います。この国の危うさを。
小石が集まれば、大きな力となります。当たり前の毎日は自分でつくるんです。
 
人が人を生み、人が情報も物もお金も社会もつくるのではないでしょうか。

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